まぼろしのひつじ

うしさん@似非南国

序章 まぼろしのひつじ

第1話

 「まぼろしのひつじ?」




 俺は言われた言葉を意味もわからぬまま繰り返した。ひつじってあの羊だよな?今も天幕の外でメーメーいってる?




 「そうさ。




 【碧き眠りに囚われし子と血を分けし者よ 『まぼろしのひつじ』を求めよ されば道は開かん】




 つまり、あの子と血を分けし、つまり兄のお前が、『まぼろしのひつじ』を見つけることができれば、お前の妹のあの病はどうにかできるだろう、と祖霊様は言うておる。


 そもそも他所から来てまだ数年のお前たちのために、我らの祖霊様が助言をよこしてくださるだけでも驚きだが……」




 両親と妹の四人で移り住んだ翌年に流行った病で両親を失ってから、俺と妹をなんだかんだ言いつつ庇護してくれたこの集落の長老たる婆様が首を傾げながらも言葉を続ける。


 祖霊様、というのが何かは俺にはよく判らなかったが、この婆様は昔からそういった、目には見えぬひっそりとしたものの声を時折聴くことができるのだそうだ。


 俺たち兄妹はこの婆様の養い子、というよりは日常生活の手伝い手として五年ほど一緒に暮らしてきた。




 「うちの薬師は腕は悪くないんじゃがなあ……ここらじゃめったなことではまともな薬材が手に入らぬし、そもそもあの『碧の眠りの病』に薬は効かぬからの。


 『まぼろしのひつじ』が何処にいてどのような見目形をしておるか知るものを探すところからになりそうじゃが、少なくともこの地では他に手立てはもうあるまいよ」








 『碧の眠りの病』は、ある日突然、それまで何の不調もなかった人間が突然倒れて眠りに落ちる病だ。


 俺には区別はつかないが、特定の眼を持つ人間には、眠ったものの頭の周りに碧い靄のようなものが必ず見えるというのでそう名付けられた。


 不思議なことに、この病にかかると、飢えることも、ほかの病にかかることもない。


 流石に火事やら盗賊の襲撃で怪我をしたりした結果死ぬことはあるそうだ。


 この集落でも俺たちが移住する少し前の年に、十年ほど眠っていた人が火事で亡くなったそうだ。


 その人の家族も方々手を尽くして癒す手段を探したのだそうだが、すべて不調に終わっていたのだという。




 そして、3日ほど前に、突然俺の妹が倒れ、昨日薬師たちにこの病だと告げられた。


 人から人に感染る病ではなく、かつ死に至る病でもないことと、外で放牧の手伝いをしている時に倒れたのに羊にも馬にも踏まれなかったのは不幸中の幸いだとは思う。思うのだが。




 「知るものを探すといってもなあ……とりあえずひつじってからには羊の一種なのか?」




 なんとなく、なんとなくだがそんな簡単な話ではない気がしつつも訊ねてみると、婆様は軽く宙を見上げるようなしぐさをしてから、むぅ、と唸った。




 「……判らぬ。いや、『まぼろしのひつじ』と『羊』は違うもののように聴こえはするのじゃが……


 エスロの時はそもそも祖霊様は何もおっしゃらなんだ故なあ」




 「エスロさんて俺たちが来る前に亡くなったってひとかい?」




 「……ああ、集落の三割が山火事に巻かれて、その折にな。当時住んでいた、今は焼け森と呼ぶようになった場所は木が燃えやすいとわかって、大した距離ではないが、集落も丸ごと今の地に移ったのさ。」




 祖霊様とやらの気配が消えたらしく、婆様は普段通りの声音に戻った。祖霊様のいるときは自然と声が少し低くなってしまうのだそうだ。


 そこで、聞くべきかどうか迷いつつ、一番気になることを聞くことにした。




 「それにしても、実際に『碧の眠りの病』から戻った人の話はあるのか?」




 「祖霊様は知っておる様子であったが、儂は知らぬ。


  ……エスロの前に罹ったものとなると、儂が生まれる前の話じゃからのう……」








 妹よ、お前も俺も、不幸ではないかもしれんが、確実に不運だぞこれは。


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