第10話
「兄ちゃん、あたしのために遠くまで行ってたってほんとう?どんなとこ行ったの?」
妹が俺を見上げて首を傾げる。かわいいなあもう。
俺と同じ茶色い髪に、茶色と、ちょっとだけ緑の混ざった瞳。あれ、ちょっと前まで瞳の色に緑は混ざってなかった気がするけれど。
目の色も髪の色みたいに成長すると変わるとかあるのかな?
俺も妹も、生まれたばかりの時はもうちょっと髪の色が薄かったって母さんが言ってた覚えがあるし。
なんにしても、俺とお揃いなんだから問題ないな!
それよりも問題は別のところにあってだな。
「それがさあ、最後どこまで行ったか、全然覚えてなくってさ。東の森を半分くらいまでは行ったと思うんだけど」
ほんとにまるっきり覚えてないんだよなぁ。と、思ったところで、不意に満天の星空が見えた気がした。
「にいちゃん?」
妹の声がした瞬間、思い出した気がする何かは弾けて消えてしまった。今何が、なんだっけ……ああ、そうだ。
「全然覚えちゃいないが、たぶんとても広い場所にいたような気だけするな。どんな、とはわからないけど」
「西のはらっぱよりひろい?」
「だから、覚えてないんだって。でも、すげえ広いって思ったみたいだから、たぶん西の牧草地よりずっと広かったんだろうなあ」
飯を終えて、妹とそんな会話を交わし、あんなに寝続けていたはずなのに、いつも通りの時間に妹がおねむになって。
手が空いたところで、ちょっと夕飯前までの状況を思い出す。
妹が病に倒れ、俺は祖霊様のお告げに従い、癒しの手段を求めて人の通わぬ東方を目指して旅に出た。
確かにそれは覚えているし、途中幾度か夜を過ごした覚えもあるのだが、気が付いたら俺は集落で厄介になっている婆様の天幕のひとつで寝ていたのだった。
いつも自分が寝ている、子供と役なしの雑魚寝天幕じゃなくて、たぶん客人用のほうだと思う。広かったし、いい絨毯が敷いてあったし。
「おや、やっと起きたねこの寝坊助小僧。弓猟師の下の倅が、お前が木の根元で寝てるのを見つけて連れてきたんだよ。後で礼を言っときな」
目を覚ますや否や、枕もとにいた、婆様の姪にあたるおばさんにそんなことを言われた。
「え?あ、ああ……あれ、俺、なんで……どうやって戻ってきたんだっけ……?」
森に踏み入って、途中で生き物がいなくなった辺りまでは記憶がある。だがそのあと、その先は?
何かがあったような気はする、というか、絶対に何かがあったはずなのに、何の覚えもないってなんだこれ?
「あらまあ、本当に『そう』なんだねえ。伯母様にしては不思議なことを言うと思ったら。
それに関しちゃ深く考えるなって伯母様からの伝言があったよ。「そういうもの」だから、気にしても無駄だとさ。
起きられるようなら飯はできてるから、いつものところに食べにおいで」
おばさんは真面目な顔でそういうと、天幕を出て行った。
と、思ったらすぐに戻ってきた。
「ああいけない、肝心なことを忘れてた、あんたの妹、三日前にちゃんと目を覚ましたからね。晩飯食いにくればもう会えるよ」
ああ、よかった。何にも覚えちゃいないが、俺はどうやらうまいことやれた、らしい。
「そうか、ありがとう。着替えたら食べに行くよ」
返事をすると、おばさんはうんうんと頷く。なんだろう、以前に比べて俺に向ける表情が柔らかい、ような?
「それじゃあ火は落とさずに待っているから、早めにおいでよ。あんた、戻ってからまる二日寝てたから、食えるなら食わないとね」
それにしちゃあまり空腹は感じない気がするが、よほど深く眠ってしまっていたんだろうか。
どうやらおばさんには、純粋に心配されていたらしい。これといって体調が悪い感じでもなかったから、二日も寝てたとは思わなかったよ……
そして飯炊き場に晩飯を食べに行って、無事ごきげんな妹に再会した、という次第だ。
さて、婆様に呼び出されていたっけね、と、俺は、集落の中央よりちょっと奥、長老格の使うなかでも一番大きな天幕へ入った。
まあおばさんに伝言されたのと同じようなことを婆様にも言われて、特に具合が悪くないなら、明日から元通りの手伝いをするように言われて終わったけどな。
しいて言うなら、俺が旅に出てから五か月も経ってて、秋がもうすぐ終わるって言われたのだけびっくりした。
道理で、天幕出たとたんに風が冷たかったわけだ……いや待て、なに?俺半年分近くの記憶がないの???
ああでも、まあいいか。婆様がそれを事実として告げるだけで、細かい忠告をくれないってことは、多分たいしたこっちゃないんだろう。
妹は無事目覚めたし、俺もそこそこの長旅から身体的には無事に、それこそ傷一つない状態で帰ってこれた。
ならもう全部終わったことだ。いつもの日常に戻れば、それでいい。
自分の寝床に戻る前に見上げた空は、いつも寝る前に見る通りの、端っこが森に隠されてはいるけれど、きれいな星空だった。
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