北海道の小さな村に住む、作者様の祖父母の暮らしが四季を通して綴られたエッセイです。
田舎の村での「日常」の暮らし、スローライフ……いやいや、私にとっては、異世界冒険ファンタジーでした!
描かれるのは未知の連続。延々の豆とか、ホッケとか。リンゴ食えとか。ユーモラスな文章も相まって、小さな子供の頃の作者様の目線で異世界を冒険している気分です。
スターウォーズのイウォークだって、森の中で平和に「日常生活」していたでしょう? そういうことですよ(異論は認める)。
でも、きっと人によっては「ああ、なんだか懐かしい……」と感じるのでしょう。「郷愁」を感じる方にも、「異世界」を感じる方にも、楽しんでいただけるお話です。
そして思うのです。古典文学でも、日常の何気ない一コマを描いているところが文学のみならず歴史的資料としても貴重なものだったりしますが、この作品も、時を経てこうした田舎暮らしの様相が変貌し、失われていくにつれ、当時の「日常」を伝えるものとしても大切な作品となるのだろうと。
北海道の小さな村での暮らしの、四季折々の様子を描いたエッセイです。漁師であった祖父、そして祖母とのスローライフ。孫目線でその暮らしぶりを眺めさせてくれます。
私は北海道出身ではないのですが、何故かとても懐かしい!
地域が違っても、どこかしら似た光景があるのかもしれません。
北海道ならではの、体験したことのない暮らしぶりを垣間見れるのも、このエッセイの面白いところです。とても丁寧に愛情深く紡がれる文字列が、するりとこの世界に浸らせてくれるのです。
どんな生活なんだろう? と興味を持たれましたら、ぜひ本編を開いてみてください。
彼らから注がれた愛情が窺える、素敵な昔語りです。
お薦めします(^^)!
このエッセイは北海道の田舎での生活を描いたものだ。
自分の子供時代は作中ほど田舎ではなかったが、お世辞にも金がある家庭とはいえず、近所の家にはビデオデッキがあるというのに、自宅には電話も風呂もなく祖父宅の風呂は石炭で炊いてるという有様だった。
実益重視の釣りと家庭菜園によってやたら変わり映えしないメニューが続く食卓、干物作り、ホッケはかまぼこではなくツミレだったが。それに火の見える生活に、あの時代の木造ひらやのクソ寒い家。
作中には自分の経験と重なる部分が多々あった。
あの家は寝起きが本当に寒くて寒くて憂鬱で飯は腹を満たすのが第一で、不味いのか旨いのかいまいち覚えてないし、子供心に早く一日が終わって欲しいと思い続けた日々もある。断熱がクソすぎてつららで屋根と地面が繋がる。高校の頃はとにかく早く札幌に出たかった。
今はどうだ。
あんなに魚を食おうと思えば本州ほどでなくとも金がかかる。子供の足でも走っていけた海は少し遠い。夏に聴く虫の声は少ない。相変わらず毎日同じ飯でも平気だし、寝室で息を白くして凍えることはなくなったが。
あの頃の俺に、この作者の数分の一でも多感さがあったなら、あの生活の中にも美しいものが見えていたのだろうと、このエッセイは教えてくれる。
過ぎた今だからこそ、俺は他者の目を借りて、あの頃の故郷の風を知ることができる。
ありがとうございました。
このエッセイのタイトルに掲げられている「延々」は、
「この作業を始めてどのくらいがたったんだ……」
「まだ終わらないよう!」
「この果てしない時間がオレに“死角で眠る”特殊技能を身につけさせた」
……などの悲鳴と置き換えが可能な言葉です。
スローライフ、本当に本当にシャレにならない。
終わらない単純労働・単純じゃない労働・ひっくるめて重労働、美味しいけど無限に同じメニューが続いたりするご飯環境、等々。
身も心も弱い自分なんかからすると絶命ものです。
現代日本の流通その他各種インフラが整っているところで生きていて良かったと本当に感じさせられます。
でも、それでも。
そういう自分でも、このエッセイを読んだ後には確かに「たっといな」と思うものが残ります。
それはきっと作者さんがこの思い出にまつわって感じている愛しさなのだと思います。
延々と続くスローライフのハードな面と、忘れがたく光っている面。
とりもなおさず、それは「生きること」のつらさと良さの一側面であるように感じました。
すぐに読み終わる短い文面、その中に凝縮された「生きる」のスケッチ、ちょっと立ち寄って眺めていきませんか。
「なんて豊かな生活なのだろう」と、なぜか懐かしさで胸が一杯になりました。
田舎暮らしの経験はないはずなのに、なぜかこの光景を知っている――そう勘違いしてしまいそうになるほど、いきいきと情景が浮かび上がります。
そんなリアルなスローライフを、中学生時代の月子先生の、どこか達観した目線で語られます。
ちょっとそっけなくて、淡々とした口調だけれど、じんわりと愛情や温かさがにじみ出る。
文章そのものが味わい深く、そして可笑しい。
忘れていた記憶を呼び覚ますような、不思議な感覚にどっぷり浸かってしまいましょう。
もしかすると、ファンタジー的「スローライフ」という言葉のイメージが一変してしまうかもしれませんが、泣きたくなるような懐かしい風景を共有してみませんか?
一万字のエッセイです。
筆者の月子先生が子供時代に泊まりに行った祖父母の漁村を描かれています。
おそらく読み手によって感じ方が違うと思われます。
つまり漁村とは言わねども、祖父母の田舎があった人、
北海道以外でも漁村を知っている人、
都市部の暮らししか知らない人――
ある人は「なつかしい」と感じ、また別の人は「珍しい」と驚くでしょう。
ですので、誰にでも勧められるレビュー文というのが書きにくいのです。
というわけで、ここからは都市部の暮らししか知らない人間のレビューです!
正直、春夏秋冬すべてが驚きの連続です。
平成の時代になっても、日本に自然と共に生きる丁寧な暮らしが残っていたなんて、本当に嬉しい驚きです。
人とのつながり、自然とのつながりを大切にしながら送る日々はどんなに素晴らしいでしょう。
うつろう四季と共に生きることの美しさをぜひ体感してみてください!
おそらく想像することしかできませんが、垣間見せていただけただけでも感謝したくなるエッセイです!
人の数だけ人生はある。
とても当たり前な話ですが、二つとして同じ人生はありません。
同時に培った経験も、心に残る風景も唯一無二のものです。
必然的に常識も人の数だけあります。
我々は今川焼きの名前も、正月の雑煮の種類も、目玉焼きに何をかけるかすら最適解を出せない存在です。
そんな自身の拘りに縛られている我々が、真に相手の事を理解し合うのは、到底不可能な話なのかもしれません。
ただ、不可能だからと言って知ろうとする努力を否定する必要はありません。
本作で綴られる情景は、私の知的探究心をこれでもかと刺激して、私の知らない、でも確かに存在する生活を教えていただきました。
もちろん、知識と経験は異なります。知っただけで理解したつもりなどとは申しません。
それでも、青い空を見上げ、続いているその先に、ここに記された暮らしがある。その事実だけはしっかりと心に刻まれました。
いつか私も、一日だけでもいい。山のようなホッケや豆に囲まれて、エンドレスりんごに舌鼓を打つ生活を体験する日を夢見て、明日からの変わらない日常をしっかり生きたいと思います。