二話

「じゃあ、中に入れ」


 門番は罪人の背中を押すと、庭を通り、玄関扉を開けて中に入れる。兵士の集団は後は任せたと言ってさっさと帰ってしまったので、ここからは私と門番の二人で対応するしかなかった。


「名前は、ビクトール・アルフレッド・リュヒナー……で合ってるか?」


 これに罪人ビクトールは小さく頷く。想像してたよりも随分若い人だ。二十代半ばぐらいだろうか。そんな歳で流刑になるなんて……同情はしないけど、少し可哀想な気もする。


「リュヒナーか。こんな田舎に住んでる俺でも、ちっとは聞いたことある名だな。向こうじゃそれなりの名家だろ? そんな家の人間が何で遥か南の小島に来ちまったんだか」


 皮肉交じりに言われても、ビクトールは眉一つ動かさない。暗い表情は怒ることも嘆くことも忘れてしまったかのように見える。そんな様子には構わず、門番は彼の手をつかむと、両手を縛った縄を解いてやる。


「ま、俺には関係ないが。これからはここで好きに過ごして反省しな。だが、いていいのはこの家の敷地内だけだ。そこから外へ出たらあんたは犯罪者としてとっ捕まる。その際にもし反抗でもしたら命がないと思っておけよ。俺達はそういう指示も受けてる。島民の安全のためだ。大人しくしてるほうがあんたも俺達も助かるってことだ」


「……逃げる気なんてない。安心しろ」


 呟くようにビクトールは答えた。初めてしゃべった声……やっぱり生気はない。


「口じゃどうとでも言えるさ。……ああ、俺は基本外にいるから、用がある時はこの娘に言ってくれ」


 言われて私は咄嗟に背筋を伸ばし、自己紹介する。


「えっと、私は、あなたの世話係をすることになった、ヨハンナ・グレーベルです。どうぞよろしく……」


 右手を差し出して握手を求めたけど、ビクトールはその手を不思議そうに見るだけだった。その反応に私もすぐ気付く……罪人と仲良くなろうとしてどうする。馬鹿なことをしたと、ごまかすにごまかせない右手をそっと引っ込めた。


「ご、ごめんなさい。間違え、ました……と、とにかく、何かあれば、私に言ってください。それが仕事、なので……」


 最後は笑顔で繕ってみたけど、多分赤く引きつったひどい顔になってることだろう。鏡を見なくてもわかってしまう。そんな私を見かねたのか、門番が明るく言う。


「そう緊張するな。困ったことがあれば俺に言えばいいし、もっと気を楽にしろ。単なる世話係なんだ。難しいことじゃない」


「はい。ありがとうございます」


「じゃあ俺は行くから、頼むぞ」


 自分の仕事場へ戻って行く姿を見送り、私は玄関扉を静かに閉めた。途端に部屋は静まり返り、私はビクトールに目をやる。すると彼はこっちを気にすることなく、ふらふら歩き出すと、間取りや置かれた家具を確かめるように各部屋を見て回り始めた。私も今日初めてこの家に入ったけど、誰かがちゃんと管理してたのか、壊れた物もなく、掃除も行き届いてて、最近まで住人がいたように整えられてる。私が一から綺麗にする必要はなさそうで少しほっとした。


 二階の部屋も確認したのか、階段を下りて来たビクトールは最初にいた居間に戻ると、その棚にあった本を手に取り、パラパラとページをめくって眺めてたが、大して興味が湧かなかったのか、すぐに閉じて棚に戻した。そして側の椅子に座り、机に両腕を置いてうなだれる。そんな一連の行動を私はただ黙って眺めてた。何か、話しかけたほうがいいんだろうか……。


 すると、おもむろにビクトールの顔がこっちへ向き、怪訝な目が見つめてきた。


「……何をしているんだ?」


「え、何って……その、私は、世話係なので……用があれば、言ってください」


「今は何もない」


 素っ気なく言われて私は困った。やることがないと、ここにいる意味がなくなってしまう。


「何でもいいですよ。言ってください」


「この家には最低限の物が揃っているようだ。今頼むことはない」


 そう言われても、私は仕事をしなくちゃいけない――


「……あ、そうだ。お腹は空いてませんか? 本土から長いこと船に乗って来て食事を――」


「食欲はない。用があればその時に言う。悪いがどこかへ行ってくれないか」


 口調は穏やかでも、暗い表情にかすかな苛立ちが見えた。これ以上言ったら怒らせてしまいそうだ。私は諦めて笑顔を返した。


「わ、わかりました。じゃあ、夕方にまた来ます……」


 それだけ言って私はそそくさと家を出た。はあ、緊張した――空気を思い切り吸い込み、深呼吸して全身の強張りを解く。これからはあの人と毎日会うのか……でも罪人の割に見た目はそんなに怖そうな人じゃなかった。中身もそうだといいんだけど。


「……ん? どうした、早速用を言い付けられたか?」


 庭先に立つ門番が塀に寄りかかりながら声をかけてきた。


「いえ、用はないから、どっかへ行けって言われて……」


 これに門番は不快そうに鼻を鳴らす。


「追い出されたのか。これだから貴族ってのは気難しくて困るよ。こっちは仕事だってのに」


「仕方ないですよ。遠い島に送られて、家に閉じ込められれば、誰だって気持ちが塞ぎ込みます」


「罪人を思いやるなんて、優しいんだな、あんたは」


「そういうつもりじゃ……」


 思いやるならまずは被害者が先だ。あの人が何をしたか知らないけど――そこで私はふと思って聞いた。


「あの人って、どんな悪いことをしてここに来たか、知ってますか?」


「俺も詳しくは聞いてないが、どうやらお偉いさんを怒らせたらしい」


「お偉いさん?」


「身分やら権力やらを持った、俺達とは無縁の人間だろ」


「じゃあ、人殺しとか、そういうひどい罪じゃないんですね?」


「人を殺めたとは聞いてないな……だが流刑になったんだ。お偉いさんにとってはひどい罪だったに違いない」


 確かにそうかもしれないけど、でも私は人殺しの罪じゃないと聞けただけでちょっと安心した。もしあの人が殺人犯だったら、毎日怯えて顔色をうかがってただろう。そうしなくて済んだだけよかった。


 私は夕方に戻ると告げて罪人の家を離れた。食欲はないって言われたけど、仕事として夕食を作らないわけにはいかない。時間が経てばさすがに腹も減るはずだ。普段はお母さんが料理を作ってるけど、再婚前までは私もお父さんと交代で料理をしてた。上手とは言えないかもしれないけど、でも不味くない料理は作れる。一つ心配なのは、あの人が貴族だってことだ。素人の私が作った料理をちゃんと食べてくれるのか、そこが心配でもある。まあ、とりあえず今は自分の腹ごしらえをしないと。その後はやり残した家事を済ませて、それから夕食の材料を買って――これからの予定を頭で組み立てながら、私は家に帰り着いた。


「ただいま……お母さん」


 入ると、居間にいたお母さんは昼食のパイを食べてる最中で、帰って来た私を見ると丸い目を向けてきた。


「何で帰って来たの? 世話係は夜までいるんじゃなかった?」


「そうなんだけど、今はやることがないから、昼食を食べに戻って来た……」


 私はちらと机の上のパイを見やる。もうほとんど食べられてるけど、はみ出した具材は挽き肉みたいだ。肉を使ったこんな料理、私達は随分食べてないな……。


「戻るなんて聞いてないから、ヨハンナの分なんてないわよ。そういうことは前もって言ってくれないと」


 お母さんは最後の一切れをフォークで刺すと、大きく口を開けて頬張る。


「うん、そうだよね。ごめんなさい」


 もぐもぐ噛み、ごくりと飲み込むと、お母さんは満足そうな表情を浮かべる。


「ふう、美味しかったわ。……昼食、作るなら自分で作ってね。材料少し残ってるから、使ってもいいわよ」


「わかった。そうする」


 椅子から立ち上がったお母さんは思い付いたように言う。


「あ、このお皿、ついでに洗っておいてね」


「うん」


「それと、家の前、砂埃がすごいから、ほうきで掃いておいてちょうだい。……はあ、お腹いっぱい。休まないと」


 満腹のせいかゆっくり歩きながら、お母さんはそのまま自分の部屋へ消えて行った。私はパイの皿を持って台所へ行く。と、そこにはパイを作る時に使ったと思われる調理器具が汚れたまま放置されてた。これもいつものことだ。まずはこれを片付けないと昼食が作れない。私は腕まくりしてそれらを洗い始める。それが済んだら残った材料の確認だ。何が作れそうかな――のぞいてみたかごの中には、いくつかの香辛料と数枚のキャベツの葉、小さくいびつな芋一個だけだった。これだけ……正直、どう料理しても腹は満たされそうにない。でも勝手に食材を買えば怒鳴られるだろうし、外食は私にとってはまだ高い。これでどうにかするしかないってことだ。しょうがない。昼食抜きよりはましと思って作ろう……。


 そして十分後、皿には茹でたキャベツの葉と、その上に載る茹でた芋がほわほわと湯気を立ち上らせてる。振りかけた胡椒の香りがわずかにするけど、食欲を刺激するほどじゃない。キャベツと芋でどう料理すればいいかわからず、何となく茹でることにしてみたけど、これは料理って言えるんだろうか。とりあえず芋をナイフで切って口に入れる。熱は中まで通ってるが、芋自体が古いのか、その食感はパサパサして喉に詰まる。でも不味くても食べなきゃ。こんなものでも空腹は紛れるはずだ。


 味気ない昼食を終えたら家事だ。お母さんに言われた外の掃き掃除、それから後回しにしてた自分の部屋の掃除もしないと。窓がちょっと汚れてるから拭いておこう。朝干した洗濯物はもう乾いてるかな――皆の服をクローゼットにしまい、一通り家事を終えて時計を見る。時刻は午後三時。夕食を作りに行くまでもう少し時間がある。それまで自分の部屋で休もうとベッドに腰かけて、しばし休憩しようと思ったが、それがよくなかった。


「……ん、え?」


 うっすら目を開けると、部屋は薄暗かった。そして、自分がベッドに横になってることに気付いて、ゆっくり上体を起こす。私、知らないうちに寝ちゃってたんだ――ふと見た窓の外は、もうほとんど日が暮れて夕闇が覆ってる。そう言えば、何かすることがあったような……。


「あっ……!」


 寝ぼけた頭が閃いて、私はバタバタと部屋を飛び出した。


「お? ヨハンナ、帰ってたのか」


 一階の居間へ下りると、そこでは仕事から帰ったお父さんがくつろいでた。隣の台所ではお母さんが夕食を作る姿があった。私も夕方に料理するつもりだったのに!


「い、今から、仕事に行って来るから、夕食は後で食べる!」


 そう言い残して私は家を走り出た。


 完全に寝過ぎた。一日目から失敗なんて我ながら情けない。まだ開いてる店はあるはずだから、何を作るか何も考えてないけど、とにかくまずは食材を買いに行かないと――商店通りのほうへひた走り、開いてる店で売れ残った食材を適当に買い込んで、そこから罪人の家へ大急ぎで向かう。


「聞いてるよ。ヨハンナだろ? 世話係なんだってな」


 昼間の門番と交代したのか、家の前には別の自警団員の男性が立ち、声をかけてきた。話をする余裕もない私は、よろしくお願いしますとだけ言って中へ駆け込んだ。


「遅くなって、ごめんなさい……」


 謝りながら居間へ行くが、そこは真っ暗でビクトールの姿はなかった。別の部屋だろうかと台所に食材を置いてから捜してみるが、どこも灯りはついておらず、人影もない。不安が湧くのを抑えながら二階へ行こうとした時、通りかかった窓の外に金色の頭が見えて足を止める。居間に面した裏庭にポツンと置かれたベンチ。そこにビクトールは座ってた。何をするでもなく、ぼーっと島の景色を眺めてるようだった。それに一安心した私は居間へ戻り、そこから裏庭に出て声をかけた。


「遅く、なりました……」


 後ろから恐る恐る言ってみるが、ビクトールに反応はない。仕方なく前へ回って話しかける。


「あの……」


 顔を見ると、景色を眺めてた目が私に移る。


「……何だ」


「これから、夕食を作ろうと思うんですけど、何か好き嫌いがあったら――」


「食事はいい」


 そう言うと視線はまた遠くの景色へ戻った。


「食べないんですか……?」


「ああ。今はいらない」


「でも、昼食も食べてないのに……」


「食べたい気がしないんだ。だからいい」


 相変わらずの暗い顔で、やっぱり素っ気なく言う。そう言われたら作る理由がなくなってしまう。となると、せっかく買った食材も無駄になってしまう。それはもったいない。


「体調が悪いわけじゃ、ないんですよね……?」


 ビクトールは夕焼けの薄れた黒い海を見つめながら言う。


「私の、気分の問題だ」


 食欲がないと言っても身体が受け付けないわけじゃない。流刑の地に送られて、今は心がまいってるだけなんだろう。だからそのうち食欲も湧いてくるはず――


「一つ、聞きたいんですけど……食べ物で、嫌いな物はありますか?」


 これにビクトールの目が、少しだけわずらわしそうに見てくる。


「……何もない。好物も特にない」


「そうですか。わかりました……」


 私は裏庭を後にして台所へ向かう。そして食材を並べて作る料理を考える。鶏肉は焼いたものと、刻んだ野菜と混ぜたものでいいか。その残った野菜はみじん切りにして冷製スープにでもしてみよう。そうすれば時間が経ってもそれなりに美味しく食べられるだろう――私が帰った後に食欲が戻っても、作り置いておけばすぐに食べられるし、食材も無駄にならずに済む。ただ問題は、味があの人の口に合うかどうかだけど……。


 調理台に出来上がった料理を並べ、その皿ごとに布巾をふわりとかけて埃避けにする。一通り食事できる準備を終えてから私は再び裏庭へ行った。


「……あの、台所に料理を作っておきました。もしお腹が空いたら、食べてください」


 ビクトールはこっちを見向きもせず、微動だにしない。私を相手にする気はまったくなさそうだ。


「じゃあ、他に用がなければ、私はこれで帰ります……」


 返事があるかと待ってみるも、無意味な期待だった。最後まで動かなかったビクトールから離れて、私はそっと扉を閉め、家を出た。門番に挨拶し、家路につく。その時、気を抜いたせいか、腹の虫がわめくように鳴いた。そう言えば、昼は満足に食べられなかったんだっけ。お母さん、今夜は何を作ってくれたかな――期待していいのか、半信半疑な気持ちを抱きながら、私は夜のとばりが降りた道を歩いて行く。

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