十三話

「……ヨハンナ、どうだった? 上手く聞けたか?」


 居間に入ると、ビクトールはすぐに私の元へ歩み寄って来た。


「ええ、聞けました」


「そうか。それで、話し相手は――」


「やからは、あなたに何かしようとしてます」


「え? じゃあやはり話していたのは――」


「危険なことかもしれません。早くどうにかしないと――」


「待って、ヨハンナ、落ち着いて。急がなくていい……聞けたことを順番に話してくれ」


 穏やかに話しかけてくる顔を見て、私は自分の心を落ち着けた。


「……すみません。そうですね、ちゃんと話さないと」


 私は一呼吸置いてから、オットさんに聞いた話を伝えた。門番をお金で買収してること、夜の時間帯に人払いをしようとしてること――これを聞いたビクトールは、少しだけ険しい表情になったけど、予想ができてたのか、うっすらと微笑んだ。


「本気で私を狙いに来たようだな……わかりやすい行動だ」


「嫌がらせ、ですか?」


「その程度で済めばいいが、わざわざ買収や人払いまでしている……おそらく、それ以上だろうね」


「それ以上って……?」


「私の命を奪いに来た」


 私は息を呑んだ。そのせいで喉の奥がギュッと締まって妙な苦しさを覚えた。


「ま、まさか……命を奪うなんて、そんなわけ……」


「やからの存在に気付いた時から、そうじゃないかとは思っていたんだ。君の話を聞いて、より確信できたよ」


「殺されなきゃいけないような、そんな理由があるっていうんですか?」


「残念ながら、そういう結果に至る者はいるんだよ」


「恨みを買ったんじゃないんですよね? だってあなたは、誰かの命を奪ったんじゃなく、偉い人を怒らせたからここに送られたって聞いて……」


「私の詳しい事情は聞いていないか……まあそうか。世話係の君が知る必要のないことだしね。……座らないか? そこで話そう」


 促されて私は食卓でもある机の席に着く。その向かいに座ったビクトールは机の上で両手を組み、伏し目がちに口を開いた。


「私の家……リュヒナー家は、自分で言うのも何だが、それなりに名高い家でね。歴史もあって、代々国王陛下に仕えてきた貴族なんだ。だから政治の中枢で働く者達とも深い交流があって、両親はそういう方面で顔が広かった。そのうちの一人に、オクスという者がいてね。陛下の右腕となる宰相をしている男だ。頭脳明晰で思慮深く、指導力もあり、宰相としては申し分のない人物だ。互いの屋敷を訪れるほど仲がよく、ある日も両親は彼の屋敷に招かれていた」


 ビクトールの眉間にしわが寄る。


「いつもの社交的な集まりだった。だがそこで父が、ある話を耳にしてしまったんだ。廊下に出て外の風に当たろうとした時、角を曲がった先からオクスと誰かが話す声が聞こえ、父は気を遣ってしばらく待つことにしたそうだ。しかし流れ聞こえてくる会話に驚愕した。話し相手はオクスの側近のようで、隣国とのやり取りや交渉の仕方、さらには外交機密の持ち出し方法などをコソコソ話していたらしい」


 政治がさっぱりわからない私には、それが何となく悪いことだけしかわからない……。


「その宰相は、一体何をしようと……?」


「目先の金や私利私欲のために、私達の王国の重要な情報を隣国へ漏らそうとしていたんだ。つまり、陛下への裏切り行為……」


「裏切り……! そんなことしたら、大変なことに……」


「ああ。帰った父は私や母に憤りながら話してくれた。そしてオクスを問いただすと決め、後日、本人と顔を合わせた時に聞いたそうだ」


「裏切りを、認めたんですか?」


 ビクトールはゆっくり首を横に振る。


「いや……彼は白を切り、知らぬ存ぜぬを通し続けた。いくら言われたところで、父はその証拠を示せないとわかっていたんだろ」


「それだけ、上手くやれてる自信があったんでしょうか」


「かもしれない。けれど父は裏切り行為を見過ごすことはできないと、どうにか糾弾する方法を母と共に探した。だが証拠も証言者もなく、最後に思い付いたのは、陛下に直接お伝えすることだった」


「国王様なら、話を聞いてくださると?」


「陛下は広くお耳を傾けてくださるお方だ。訴えを門前払いするようなお人柄ではない。父は城に謁見を求めた結果、陛下のご予定のない五日後ならと許された。その日を待ち侘び、残り一日となった朝……我が家に突然兵士達がやって来て、父と母は城へ連れて行かれてしまった」


「な、何で……」


 ビクトールは歯を噛み締めて忌々しげな表情を浮かべる。


「オクスのほうが、一枚も二枚も上手だったんだ……城で両親は、王国の機密情報を漏らそうとした罪に問われ、その日のうちに投獄された」


「まさか、宰相が……?」


 ビクトールは力ない頷きをする。


「おそらく、両親が謁見を許されたことを知ったオクスが、陛下に話が伝わることを恐れ、証拠をねつ造して罪を着せたんだ。宰相という立場なら、それぐらいは容易いことだろ」


「ひどい……自分が助かるために、無実の罪を押し付けるなんて……」


「父も母も、もちろんオクスの裏切りを訴えた。だが証拠は何一つない。一方のオクスには、ねつ造とは言え両親の犯した罪の証拠が揃っていた。客観的に見れば、両親は罪から逃れようとオクスを悪く言っているようにしか見えず、いくら無実を主張しても悪あがきとしか取られなかった。結果、有罪となり、下されたのは極刑……」


 私の心臓は大きくドクリと鳴った。


「え……そんな……!」


「殺人と王国への裏切りは極刑に処される……それが決まりなんだ。父と母は、失意を抱きながら殺された。悪意を持ったオクスの身代わりとして……」


 感情を抑えた口調でも、全身から湧き立つ雰囲気が、その怒りや無念さを強く伝えてくる。こんな悲惨な目に遭わされたなんて、彼はどれほどの苦しみを――そこで私はハッと気付く。


「も、もしかして、あなたが流刑になったのは、それが原因……?」


「ああ……情報漏洩には直接関わってはいないと認められはしたが、私は息子で家族だ。連帯責任があるとして裁かれ、流刑が下された」


「何もしてないのに、家族だからって、厳し過ぎるんじゃ……」


「両親が犯した罪はリュヒナー家の罪……それを無視して私だけのうのうと暮らすことは許されない。罪とは無関係であっても、息子の私も責任を取る必要がある。仕方のないことだ」


 ビクトールはうっすらと苦笑する――貴族社会って、理不尽過ぎる……。


「だからって、ここから一生出られなくするなんて、重過ぎる……」


「両親の罪は王国への裏切り行為だ。それを考えれば、命があるだけ優しいものだ。流刑はある意味、温情が加味されたものかもしれない」


 家に閉じ込めることが優しさ……確かに、死ぬよりはいいけど、私には厳しい罰としか思えない。


「濡れ衣ではあっても、あなたはここで罰を受けてます。それなのにどうして命を狙われなきゃいけないんですか? 狙う必要がある人って一体……」


「狙っているのはもちろん、オクスだよ」


「でも、ご両親はもう亡くなって、あなたも本土から離れてます。宰相の罪を探る人はどこにも――」


「表立って探る人間はいないかもしれない。だが、オクスのしていた裏切りを知る者はいる」


「誰、ですか?」


 ビクトールは微笑む。


「私だよ」


 当たり前のことを言われて、私は一瞬面食らった。


「……それは、そうですけど、本土に戻れない人間が自分を探るなんて、そんなの無理だと宰相はわかってるんじゃ? そこに命を狙う必要性は感じられない気が……」


「探られるかどうかは問題じゃない。オクスが気にしているのは、自分が犯した罪を知る者がいるかどうかなんだと思う。現に私はやつの罪を知っているが、おそらくオクスは知られていることを確信できてはいないだろ。私は父と同じ裁きの場に出ていないし、そういう証言もしていないからね。けれど息子である私なら、父から話を聞いている可能性は高い」


「知られてるかもしれないから、命を……つまり、口封じってこと……?」


「オクスは注意深い性格だ。何事も慎重に進め、念には念を入れる。情報漏洩もきっとそうしていたはずだ。だが思わぬところで父にほころびを見せてしまった。だから証拠をねつ造し、両親を死に追いやって解決した。しかしその息子は流刑になって生き残っている。話を聞いていたらと考えると、あの性格だ。念を入れずにはいられなかったんだろ。わずかな憂いさえも取り除かなきゃ安心できないんだろうさ」


「あなたは、何もしてないのに……静かに暮らしてるだけなのに」


「自分を危機におちいらせる可能性のある者は、どんなに無害に見えようとも排除しておきたい頭なんだろ。思慮深く、残忍さも持ち合わせている……やはり宰相まで上り詰めたやつだ」


 納得したように言うビクトールは、まるで他人事みたいな笑いを浮かべる。


「笑ってる場合じゃ……命を狙われてるんですよ? 怖くないんですか?」


「そりゃ怖いよ。突然殺されるかと思うとね。だが今の私にはどうすることもできない。ここから逃げ出せない以上、じっとして様子をうかがうだけだ」


「誰かに、助けを求めるのは? 自警団に……って、駄目か。買収されてるから……あ、役人に言って事情を話すのは? そうすれば保護してもらえるかも……」


 これにビクトールは緩く首を横に振る。


「事情を話したところで、罪人の戯言としてあしらわれるだけだ。それに門番と同様、役人の中にも買収された者がいないとも限らない」


「ど、どうして役人が買収されるんですか? 別にあなたを監視はしてないはず……」


「私が殺された場合の、事後処理だ。不自然な死にはせず、あくまで事故死や病死だと報告させるために買収された者がいるかもしれない。私の死が、オクスにつながらないようにね」


「そんなことまで、やるんですか……?」


「やつならやってもおかしくない。まあ、あくまで可能性だが、そうじゃなくても他人に事情を話すことはなるべくしたくない。危険に巻き込んでしまう恐れがあるから……君のように」


「私は何も、危険な目には……それよりも、あなたの命です。殺されるかもってわかってるのに、ここにい続けるわけには……」


「だが、い続けなきゃいけないんだ、私は。それが科せられたことだからね」


 ビクトールは穏やかな表情で言う――何でそんな顔をしてられるの? 命を狙われてるのに。


「あなたは、諦めてるんですか? 死ぬのは仕方ないって、思ってるんですか?」


 見つめた私をビクトールが見つめ返してくる。


「……諦めてはいないが、現状、なるようにしかならないとは思っている。それで殺されてしまったら――」


「やめてください!」


 抑えられず大声が出た。そんな私をビクトールは少し驚いた目で見る。


「殺される前に、ここから逃げてください。決まりを破ったって、死んじゃうよりはずっとましです!」


「ヨハンナ……」


 驚いた顔はゆっくり微笑みに変わる。


「そうしたいのはやまやまだが、逃げればそれこそオクスの思い通りになってしまう。逃亡をはかったと判断された瞬間、それは私が殺される正当な理由になるんだ。だから、ここを逃げ出すことはできない」


「なら、どうすれば……じっとしてても、逃げ出しても殺されちゃうんじゃ、身の守りようがない……」


「私は大人しく殺されるつもりはないよ。これでも数年前まで剣術を習っていてね。その時が来たら、抵抗して返り討ちにしてみせるさ」


 そう言ってビクトールは右手を突き出し、剣を振る真似をした。


「でも、その剣はあるんですか?」


 聞くと、突き出した右手を下ろしたビクトールは肩をすくめた。


「……あれば、心強かったんだけどね。罪人じゃ武器の所持はできない。だが剣じゃなくても、代わりになる物ならいくらでもある。ほうきとか、庭の木の枝とか……剣より大分頼りないがね」


 ははっと笑ったビクトールだったけど、すぐに表情を戻すと、照明のぶら下がる天井を見つめて言った。


「けれど、私の身がどうなろうと、オクスの罪はいつか裁かれるだろ。それを天の神が放っておくはずはないと私は思っている。いつになるかわからないが、必ず、やつには裁かれる日が来るはずだ」


「宰相が裁かれても……あなたが、殺されて、いなくなったら……そんなの、嫌です」


 濡れ衣だったと世間が知って、リュヒナー家の名誉が回復したとしても、あなたがいなければ、私は心から喜べないだろう。


「まだ、お別れなんて、したくない……だから、死なないでください……」


「嬉しいことを言ってくれるね。君にとっては、お別れしたほうが世話係から解放されていいんじゃないのか?」


 その言葉に、私は思わず彼をねめつけてしまった。


「そんなわけないじゃないですか! 今まであなたと過ごしてきて、どれだけ助けられ、安らげたか……この気持ちを、あなたは知らないんです。だから……あなたがある日突然、いなくなったことを想像すると、不安で、たまらないんです……」


 今や私は、彼の世話係になれたことに喜びを感じてる。そしてこの仕事は彼がここにいる限り、永遠に続くものだと思ってた。でもそれが、命を狙う者が現れたことで続かないかもしれない。当たり前のように目の前にいた彼が、次の日にはいなくなってる……そんな悲しい別れ、私はしたくないし、耐えられない――ビクトールのいない日常を想像するだけで胸にマグマのような熱い塊が込み上げてきて、それが涙を押し出そうとするのを私は必死にこらえた。今は泣く時じゃない。彼をどうやって助けるか、考える時だから……。


「す、すまない。君がそこまで、親しみを覚えてくれていたとは……」


「まだ、あなたの世話係で、いさせてください……やからには、屈しないで、生きて……」


 どうしようもなく声が詰まって、私はうつむいた。これ以上話すと、涙が溢れそうな感覚があって、もう一言も発せなかった。すると向かいに座るビクトールの立つ気配がして、それは私の側まで来た。そして次には両腕がやんわりと身体を包み、私は彼の温かい胸に抱き締められた。


「大丈夫。まだお別れはしない。簡単には死なないよ。だから苦しそうな顔をしないでくれ……お願いだから」


 そう言うビクトールの声も苦しそうだった。一番辛いのは彼なんだ。なのに私がこんな顔をしたら、彼をもっと苦しくさせてしまう――胸に込み上げるものをグッと抑え、押し出されそうな涙を両目を強く閉じて押し返してから、私は笑顔を作った。


「……すみません。暗くなってる場合じゃないですね……あなたが助かるなら私、何でもしますから、言ってください」


 その気持ちを伝えるように、私は抱き締めるビクトールの手に自分の手を重ねた。


「ありがとう。それだけで、十分だ……」


 重ねた手の上から、ビクトールの手がまた重なり、私の手をギュッと握り締めた。その強い感触が抑え込んだ感情ごと握り締めてくるようで、苦しくも心地いい感覚に私はしばらく浸った。こんな時間が、ずっと続けば――そう思わずにはいられなかった。

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