第6話 空飛ぶ二人

 何なら今すぐ行く、との空気を感じたらしい父が、さすがに「娘にも準備が……」と、それを押しとどめていた。

 まあ確かに、行こうと思えば行ける。たださすがに手ぶらにドレスで娘を出かけさせるのは外聞が悪いと父も思ったのかも知れない。


 私も場の空気を読んで、一度この場からは引き下がることにした。


「動きやすい服に着替えてきますね。それほど時間はかけませんので」


 答えは返らなかったものの、レシェートは胡乱な目でこちらを見据えている。

 辺境伯令嬢がそれでいいのか、とその目は語っているように見えたけれど、敢えて気が付かないフリをしておく。


 討伐が済んだらすぐに王都に帰るであろうエリート魔術師と、これからも日々顔を突き合わせるであろう家族と、どちらの機嫌を損ねたくないかと言えば、少なくとも今の私は家族の機嫌を損ねたくない。後々面倒なことにしかならないからだ。


 案の定、着替えの後は収納袋マジックバックと、念のためのケガを回復させる万能薬ポーション、万一すぐに戻れなくなった時のための保存食なんかを取りに行った方がいいかな……とぶつぶつ呟きながら部屋を出たところに、慌てたように父が私の後をついてきた。


「いいか。分かっていると思うが、余計なことを言うな。何も気取られるな、あくまで6歳の魔力測定を終えた後で保有量が増えたと主張するんだ」


 はいはい。


 辺境伯家と魔法省の辺境伯領分室とがそうやってずっと口裏を合わせてきたのだから、今更突き崩されるのはたまらないといったところだろう。


 レシェートに聞こえたらどうするんだと思い、思わず出てきた部屋の扉に視線を投げたところ、ちょうどそのタイミングで部屋に入ろうとする、兄と妹の姿がそこで見えた。


「副隊長殿、次期辺境伯のルィート・サルミンです。ご挨拶を」

「妹のリーリエ・サルミンですわ! 私におもてなしさせて下さいませ!」


 果たして礼儀作法としてそれで良かったのかと思わなくもないが、中にいるレシェートの気を二人の方に向けるという意味では、それもアリなのかも知れない。


「……不興を買っても知りませんよ」


 一応忠告のつもりでそうは言ってみたが、かえって父にギロリと睨まれてしまった。


「リーリエの美しさで不興など買うものか。おまえこそが案内の途中で不興を買わないよう気をつけろ。いいか、案内以外に余計なことはするなよ。言われた通りのことだけをこなしていろ」

「……かしこまりました」


 はいはい、とため息をつくのは内心でだけだ。

 なんだか最近、魔獣と向かい合っている方が楽なんじゃないかとさえ思えてきた。


 どこまでついてくるつもりかと思ったら、荷物を用意して、着替えをする間、父はずっと廊下で待っていた。


「勝手に出発されては困るからだ!」


 なるほど。私がレシェートと会話を交わす時間を少しでも少なくしようと思ったのか。


(案内に出てしまえば結局父も家族の誰も口を挟めないのに……)


 もちろん、怒らせることが分かりきっているので、そこは沈黙を守る。

 レシェートは応接室で待っているのだろうと、戻りかけたそこへ、館の侍女が早足で近づいて来て、父に何ごとか耳打ちをした。


「……そうか」


 話の内容までは聞こえなかったものの、明らかな舌打ちが父の口からは洩れた。


「エリツィナ」


 どうかしたのか、などと深く聞く気も起きなかったが、呼ばれれば「はい」と返事をせざるを得ない。


「リーリエがまだが足りぬと言っているらしい。おまえは先に目撃箇所の近くまで行っておけ」


「……はあ」


 気の抜けた返事になってしまったのは勘弁して欲しい。


 父や侍女の様子から察するに、多分レシェートが思ったように自分をちやほやしてくれずに、意地になっているのだろう。

 この辺境伯領では、妹は「美少女」だといわれ、領地の人間や多くの護衛の騎士たちからも褒めそやされてきたのだから。


 父は父で、レシェートが妹に靡けば私の魔力の過少申告の件はなかったことに出来るかも知れないと、妹の背中を押したいのだろう。……多分、兄も。

 あわよくばその間に、私にベヒモスを狩らせておきたいのだ。

 そうして全てをうやむやにしてしまいたいに違いなかった。


 そうすれば、私の魔力が実際にどの程度のものなのかは、レシェートの目に触れずに済むかも知れないから。


(そろそろ隠し通すのにも無理があるのでは……?)


 そもそも今回、ベヒモスの目撃情報があるということが王宮にまで報告されたこと自体がいい証拠なのだ。

 今のこの状況が普通じゃないと、思う者が出てきているということなのだから。


 全てが明るみに出た時、私はどうなるのだろう……?


(サルミン辺境伯領を出ても行くところが……というかそもそも、一人でなんて出ていくアテもなければ、自由になるお金もないしなぁ……)


 いっそ、全てが明るみに出て「王都の魔法師団で事情聴取」とでも言われた方が、懐が痛まず領の外へ出られるのかも知れない。

 そんな風に思うくらいには、色々と疲れてきているのかも知れなかった。


「いいか、エリツィナ。何なら狩ってしまっても構わんのだ。大した魔獣ではなかったと言えば済む話なのだからな」


「…………」


 王宮の魔法師団に所属をするような魔術師相手に、そんな話が通用するとも思えないが。

 まあ、私がこれ以上何を言い募ろうと、父は聞く耳なんて持たないだろう。


「では、先に出ます」


 どうせそれ以外の言葉は、ここでは求められていないのだ。




❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀




「うーん……いいのかな……」


 そうして館の外に出たものの、ある意味予想通りというか、厩舎の馬には鞍さえ用意されていない。

 厩舎で飼い葉をのんびりと食べている状態で、出かけようという雰囲気さえ感じられなかった。


 普段なら、それは何とも思わない。

 何故なら私は、でいつも出かけるから、馬を使うとそもそも思われていないのだ。


 けれど、今は。


の魔術師様に知られたらダメな気がするんだけど……」


 どう考えても馬の方がリスクは低い。そう思うのは私だけなんだろうか。


「いや、当たり前すぎて誰もそこまで気が回っていないのかな? でも、今から馬を用意して貰うには時間が……」


 うん。どう考えても、それでレシェートに追いつかれた日には、叱られるのは私だ。


「……しーらないっと」


 私は、深く考えるのをやめた。

 深く息を吸い込んで、一言。


「……風よ」


 そう呟いた。

 やがて足元に小さな風の渦巻きが起き始め、それは少しずつ大きさと強さを上げていく。


「森へ」


 私がサルミン辺境伯領で教わったのは、万物それぞれに魔力があるという考え方の下、その名を呟くことで自然の力を借り受けることだった。

 つまり「風よ」と声に出すことで、風が持つ自然の力を一時的に借り受けるのだ。

 どこまでの力を借りられるかは、使役する本人の魔力に左右される。


 私は――少なくとも行き先を指示すれば、が可能だ。

 小さい頃は空中でのバランスを取るのにも苦労をしたものだが、十六歳にもなれば、さすがにそれも慣れた。

 周囲も、私が宙に浮いていても、もう誰も驚かない。


「エリツィナさま、まじゅうたいじー?」


 辺境伯家の館から出たあたりで、視界の下を歩いていた母子の、子供の方がそう言って手を振っている。


 許可なく名を呼ぶなんて……の理屈が通用するのは、この領地では兄と妹に対してだけだ。

 妹リーリエは「辺境伯家の姫」として周りからも扱われている。


 私は――子供に罪はないわけだし、もう目くじらを立てることさえ面倒になっていた。

 母親もぺこぺこと頭は下げているけれど、子供のしたこととばかりに咎めだてることはしない。


 だからこの時も、笑って地上に向かってひらひらと手を振り返しておいた。

 いつものことだ。


「さてと、目撃情報があったのは……」


 そう言って、進行方向、遥か向こうに見える森へと視線を切り替えた時、予想だにしない声がすぐ後ろで聞こえた。


「――おいっ!」

「ひゃっ⁉」

「何で勝手に一人で出発している⁉ 君は俺の案内人なんだろう⁉」

「⁉」


 驚いて、更に上に飛び上がる勢いで振り返った私の目の前には――


「な、なんで……」


 そこには、兄のおだてと妹のすりよりでを受けているはずのレシェートが、私と同じ位置――つまりは、目の前で宙に浮いていたのである。

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