第5話 魔術師と呼ばないで?
王都の魔法学院以外にも、国は一般的な貴族子女が通う学園や非貴族層が通う学園、職業訓練校などを地方ごとに抱えている。
そして授業の一環としての基本的な魔法の講義もあり、王都では魔法省、各地方においてはその分室の官吏が、そこでは講師を務めることが多かった。
私は王宮への報告を過少申告するほどの魔力を持って生まれてきたらしいとは言うものの、領地で何を学んでいたかと言えば、補助の魔法や守護の魔法といった、やや偏った魔法を領地の学園教師からは教わっていた。
あくまで将来当主となるであろう、兄ルィートを支えることを皆が重視していたからだ。
魔獣を狩るための攻撃魔法を覚えたのは、むしろ必要に駆られての独学だった。何しろその頃には既に領地の騎士たちからは敬遠され、誰も何も教えてくれなくなっていたのだから。
それでも、サルミンの地から外へ出るためのコネもお金もない私は、言われるがまま魔獣を狩る選択肢しかなかったし、誰かに相談をするという選択肢もなかった。
だからベヒモスの目撃情報を耳にした時点で、どうせ父か兄かから何か命じられて自分が対応をすることになるはず……と、まずそのベヒモスが街中に入って来られないようにしておこうと思い、先んじてひそかに〝結界〟を張っておいたのだ。
とはいえ領地全体に張ってしまうと、ベヒモス以外にも魔獣がいた場合に、逆にそれらを領地の内側に閉じ込めてしまうことになる。連動して暴れだしたりすれば、厄介ごとが倍になり、自分の首が締まる。
さすがにそんな危険は抱え込めない。
考えた末に、私は〝結界〟を張る範囲は領地全体ではなく、少し
ベヒモスの目撃情報が出たのは領地のはずれの森だったために、ベヒモスが暴れたり、私が多少手こずって狩りをしたとしても、そこであれば多少の被害もやむなしと父たちは判断するはずと思ったのだ。
――長年の習慣からくる先回り行動でもあり、どうせ誰も気が付かないだろうと、タカを括っていた。
聞かずとも「おまえが行け」と言われるのは分かりきっていたから、その前に可能な限りベヒモスの情報を収集しておこうと思っていただけで、決して魔法師団から誰かが派遣されてきた場合のことを見越して情報収集をしようとしていたわけじゃなかった。
地図を使って目撃情報の詳細を説明してやれという父の指示も、たまたまその事前の仕込みとタイミングが合っただけなのだ。
(まさか〝結界〟の存在に気付かれるどころか、張り巡らせたのが私であるという事実にまで気付かれるとは思いもしなかった!)
国のエリートでもあるレシェートから詰め寄られた父は、言われた言葉の内容がすぐにのみこめなかったのか、茫然とその場に立ち尽くしている。
……恐らくは〝結界〟以前の話だ。
父も家令も、隣室で様子を見ているであろう兄も、間違いなく十年前の過少申告の件を今まで記憶の沼の底に沈めていたのだ。
それが今、レシェートの一言によって、全てがこの場に引きずり出されてしまった。
「……結界、ですか?」
それでもまだ、何とかなると思っているのかも知れない。
魔法学院、という言葉の方に迂闊に反応しないよう、父は言葉の前半だけを敢えて引き上げて口を開いた。
それをどう捉えたのか、レシェートは不快げに眉を顰めている。
ただその様子から〝結界〟自体が私の独断だとすぐに分かったんだろう。
やがてひどくゆっくりと、その視線を私の方へと向けた。
「なるほどな……まあいいだろう。ベヒモスを後回しにしてまで聞く話でもない、か」
場を支配した沈黙を破るその言葉に、父があからさまにホッと息をついているが、レシェートはその安堵をせせら笑うかのように「だが」と、冷徹に父を見据えた。
「話を聞かないとは言っていないぞサルミン辺境伯。討伐を済ませたところで事情は聞かせて貰う」
そんな言葉の傍らで、地図を置けと指示をしているかのように、レシェートの指が机を指していた。
チラリと父の表情を窺えば「いいから言うことを聞け」と、その顔には書かれている。
もともと「ただ過少申告をしただけ」と、周囲は皆思っている。
父のあの表情も、後でちょっと頭を下げれば済むと思っているのが丸わかりだった。レシェートの見た目が、兄よりも多少年上程度の青年であることも、その態度に拍車をかけているのだろう。
明日も明後日も、私は辺境伯家のために魔獣を狩り続ける。それが当然であり、その根幹を崩される可能性になど、微塵も思い至っていない。
そして私も、今更その日常が崩れ去るなどと思いもしていない。
だから黙って家令に辺境伯領の全体地図を机の上に広げさせて、目の前の魔術師に向かって、ベヒモスが目撃された所を指し示した。
「ベヒモスが目撃されたのは、この辺りです。ですのでこの森よりも街寄りの地域には、
「「……なんだって?」」
父の声とレシェートの声とが、奇しくも重なる。
ただ父は「勝手なことを……」と言いかけて、レシェートの存在を思い出した感じだ。
レシェートは……ただ純粋に、驚いたんだろう。
私は、そのあたりはもう気にしないことにして、攻撃系の魔法に関しては独学で、加減が分からないが故の〝結界〟なのだと正直に伝えた。
だから普段は、先に防御の陣を敷いてから、ことの対応にあたっているのだということも。
「言わば自分で自分の後方支援をしている状態でしょうか。もしも魔術師様が森の様子を見に行かれるのであれば、ある程度後方の心配はしなくていいことをご理解いただければ……」
少しでも安心して貰えたら幸いと、精いっぱい伝えたつもりだったが、何故かレシェートの表情はますます険しいものとなっていた。
「あの……?」
「魔術師はやめて貰おうか。一応レシェート・グルーシェンという名前がある」
「ですが……」
「魔術師、と呼べば魔法省の上層部から下っ端官吏まで皆が対象になってしまう。他ならぬ君に、その他有象無象と同じように呼ばれるのはご免こうむりたい」
「……?」
どうやら「魔術師様」と呼ばれるのはお気に召さないようだ。
小物感があるから嫌だと言っているようにしか聞こえないが、彼の肩書と実績を思えばそれも無理からぬことではあるのだろう。
それにしても「他ならぬ君に」とは、どういうことなのか。
怪訝そうな私に気付いたレシェートは「そうだな……」と、口元に手をやりながら言葉を選んでいるようだった。
「公には魔法師団先遣討伐隊副隊長という肩書がある。ロクな魔力を持たない有象無象なら、そちらで充分だ。あえて名を名乗ったのは、ここまでの〝結界〟を張れる魔力に敬意を払ったつもりだった。どちらを呼んだとて咎めだてするつもりはないぞ」
「け、敬意などとそんな……」
そもそも、そんな大したものじゃ――と尚も言いかけたが、押し問答は時間の無駄だと、キッパリとそこで話を遮られてしまった。
「単に今までその出来を判断出来る者がいなかっただけだろう。他の師団員が見ても到底拙いなどとは言うまいよ。まあ、それは今はいい。何にせよ全てが片付いたところで話がある。辺境伯家全員で、首を洗って待っていることだな」
「「⁉︎」」
どうやら「何故、魔法学院に入学していないのか」ということに関しては、有耶無耶にはならないようだ。
「お父様……」
物騒な宣言に思わず父の顔を見つめたものの、父の目が私を捉えることはなかった。
それは諦めか、あるいはどうやって追及を逃れるかを考えているのか。
「……いくら先遣討伐隊の副隊長殿と言えど、一人で領内を闊歩させるわけにはいかない。おまえが案内してきなさい」
やがて父の口からは、その一言だけが絞り出される。
要は〝結界〟の端へ行け、と。
「ほう……?」
その言葉に、レシェートの片眉が跳ね上がる。
「辺境伯家では、娘を魔獣狩りの最前線に行かせていると?」
「い、いえ、ですから王都よりも魔獣の遭遇率が高い領地ですから、子供たちにも将来を見据えて、それぞれに役割を与えて手伝わせておりまして……今回のこの件に関しましては、娘がもっともお役に立てると……」
懐から取り出したハンカチで汗を拭っているようで、実際にはまったく汗はかいておらず、ただ、言葉だけがたどたどしい。
「そういうことにしておいてやろうか――今はな」
レシェートもそこは見透かしているのだろう。今は、の部分を低く強調されたこともあってか、父の顔色はすこぶる悪い。
これ以上はさすがに父もぼろが出るんじゃないかと思うものの、そもそもそんなことを言える空気でもない。
「で、付いてくるのか?」
行ってきて下さい、と言えるものなら言ってしまいたいが、父との間で板挟みになってしまうのは自明の理だ。
お偉い魔術師様に、多少はこちらの心境も察して欲しいと思うのは、果たして無茶ぶりなんだろうか。
「…………案内させて下さい」
私が案内します! などと、そんな上から目線なことを言うつもりはない。
あくまで辺境伯の指示にきちんと娘は従っている。辺境伯家の中に不協和音はないのだと、建前上であっても見せておかなくてはならないのだから。
「まあ、その魔力が〝結界〟以外にどんなことに使えるのかは大いに興味がある。が、優先させるべきは、ベヒモスがいたならその駆除だ。場合によっては手を出さずに黙って見ているよう命じるかも知れない。国境の防衛がどうとか、機密情報がどうとか言っていられない場合もあると理解した上でなら――同行を許可しよう」
優先させるべきはベヒモスの脅威の駆除。
正論だ。言い切られてしまえば、彼を置いて私が一人で行く理由の方が見つけられない。
ちらりと父を見れば、無言で頷いていた。
ちょっと苦い表情なのは、レシェートが辺境伯家という地位を一切尊重していないことへの苛立ちだろうか。
「承知しました、魔――副隊長様」
魔術師様、と言えない空気に私は亀の如く首を縮こまらせた。
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