第4話 魔術師はごまかせない
「あの、お一人で……?」
会話の続きに耳を澄ましながら映像を見れば、父の向かいに腰を下ろしている魔術師は一人だ。
背後に立つのは戦闘記録官だろうというのも、説明されずとも分かる。
魔法省、魔法師団への敬意はあれど、辺境伯領を預かる父マローフトの不安が、言葉になって出てしまうのは無理からぬ状況だと言えた。
「複数のベヒモスだろうと、キングベヒモスがもしいたとしても、こちらは問題ない。すぐに狩りに行く。近くまで案内しろとまでは言わんから、大体の場所を教えてくれればそれでいい」
父は辺境伯家当主であり、貴族としてもそれなりに上の地位にはあるが、国全体、定期的に魔獣の被害があり、魔法師団の力を借りざるを得ない場合も多々ある以上、魔獣討伐時においては平時の身分差は考慮されない。
魔力が少ないのに地位をかさに着られては、いざという時に思うように動けず、下手をすれば領地ごと犠牲になりかねないからだ。
それは特例として王の名の下に認められており、だからこそ今も、見た目に反して魔術師レシェート・グルーシェンの言葉遣いは対等な者同士としてのそれだった。
「場所……」
「なんだ。目撃情報があるからには、目星はついているのだろう」
「え……あ……」
「まさか、この状況下で部外者に領地の奥に入られたくないなどと言うつもりか?」
「い、いえいえ滅相もない!」
父は慌てて両手を横に振っている。
さすがに「娘に行かせるつもりでした」とはこの場では言い出せないのだろう。
何故と問われれば、そこで全てが終わってしまいかねないから。
「あ、しょ、承知しました……今、地図を持って来させます」
父の頷きを受けた家令の姿が、画面から消える。
恐らくはこちらの部屋に来るつもりだろう。
「……おい」
そうと察した兄の、冷ややかな声がこちらにぶつけられる。
「魔獣が出やすい地域の説明が出来るのは、おまえしかいない。いいか、余計なことは言うなよ。こうなったらさっさと魔獣を討伐して、帰って貰うようおまえが誘導しろ。父上も多分それをお望みだ」
「…………」
言いたいことは分かる。
討伐らしい討伐に出たことがなく、この館で書類と向き合うことしかしてこなかった兄では、あの魔術師に何か魔獣や討伐に関する細かいことを聞かれたところで、まともな受け答えは出来まい。
場所だけ説明をして、普段は騎士に任せているだのなんだの、適当なことを言っておけということだ。
あの若さで討伐隊の副隊長を任せられているというのに、そんな適当な話にごまかされてくれるんだろうか。
そうは思えど、忠告をして耳を傾けてくれるような兄でも父でもない。
「ええっ、お姉様だけずるいですわ! あの方とお話しになるなんて!」
そして妹は妹で、今はベヒモスという凶悪な魔獣の話をしているのだということを、まったく理解していない発言を呑気に口にしている。
同じ辺境伯家の娘だというのに、魔獣を忌避する母の下で育った妹は、今ではすっかりこの辺境伯家の存在意義を忘却の彼方に放り投げていた。
「まあ待て、リーリエ。どうやらこのまま何もせずに帰って貰うのは難しそうだからな。だとしたら、とっとと魔獣を退治して貰って、その後でおまえがあの魔法使いをもてなせばいいだろう。考え方によっては、ただ挨拶をするよりも近づきやすくなったのではないか?」
「…………それもそうですわね」
ニヤリと口の端を歪めた兄に、妹も兄の言葉を聞いて、こてんと首を傾けた。
水晶球の映像を見る限り、そんな話に流されるようにはとても見えないが、忠告する義理はない。
魔術師自体、クセのある人間が多いと聞いたことがあってもだ。
(まあ、どう転んでも私には関係がないし、好きにしてくれて構わないのだけれど……)
実現するかどうかも定かではない兄と妹の夢想に付き合うのも馬鹿馬鹿しい。
こうなったらなるようになれと、私は言われた通りに隣の部屋に移動することにした。
「失礼します。お父様、エリツィナです」
「ああ、入れ」
足を踏み入れる直前、家令が私に筒状に丸めた地図をさっと手渡してきた。実に優秀だ。
嫌味ではなく純粋な目礼を返して、私は家令が開けた扉の向こうに一歩足を踏み出した。
「い、いえ、副隊長殿! その、決してやましい意図があるわけでは!」
他意はない、と慌てた父の声が聞こえてくる。
視線の先、明らかに不快げに眉を
どうやら令嬢が中に入って来ようとしている、と気付いた時点で不快感を露わにしていたらしい。
何だか歩を進めにくくなってしまい、扉の傍でいったん足を止める。
「ここは王都よりも魔獣の遭遇率が高い領地です。子供たちにも将来を見据えて、それぞれに役割を与えて手伝わせているのですよ! 恐らく副隊長殿のご質問には、娘がもっとも正確に答えられるのではないかと思った次第でして……!」
「……ああ、そうか」
必死に言い募る父のその様子に、嘘はないと思ったんだろう。
それは失礼をした、とピリピリしていた空気が緩んだ。
「どうやら自意識過剰になっていたようだ」
なるほど年齢に加えて、深い湖の色を思わせる髪と瞳を持つその容貌は、映像越しでなく見れば、尚更整っていると認めざるを得ない。
訪れる先々で縁組を仄めかせられているだろうことが容易に想像出来たし、レシェートの方でもそれを否定しなかった。
「いえいえ。副隊長殿のご活躍はこのような田舎の地でも耳に届きます。無理からぬことかと」
へらりと父は笑い、それでは改めて……と、地図を持つ私を紹介しようと身体をこちらに傾けた。
私もそれに合わせて頭を下げ――
「!」
その途端、弾かれたようにレシェートが立ち上がって、私に射抜くような視線を向けた。
「えっ⁉」
その「圧」に、思わずビクリと身体をふるわせる。
「何故……」
「副隊長殿?」
どうしたのかと、伸ばしかけた父の手をも振り払って、レシェートは叫んだ。
「現在進行形で〝結界〟を張ってなお平然とこの場に現れたその娘は何だ! 何故、魔法学院に入学していない⁉︎」
「……っ」
サルミン辺境伯家の皆が、王宮所属の魔法師団の実力を舐めていたのだ。
もしかしたら、この目の前の魔術師の実力が突出しているだけなのかも知れない。
それでも、まさか一瞬で辺境伯家の
父も私も絶句して、しばらくその場に立ち尽くしていた。
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