第3話 十年目の露見

 十年もたてば、魔法省分室の中でも方針の統一が難しくなってくる。

 私が多くの魔獣を狩ることで、辺境伯領の財政が少しずつ安定してくるようになると、当時の事情を知らずに赴任してきた者を中心に、私という存在が奇異に映るようになるのだ。


「あれでどうして魔法師団に属していないのか? 王都の学院に行っていたなら、確実に頭角を現していたはず」


 魔法省分室の上層部は、新たに赴任してくる職員には「姉の辺境伯令嬢は魔力測定の才能を開花させた」と説明することで長年凌いできていたらしいが、それとて限界というものがある。


 王都に行くのにはそれなりの費用がかかるという現実から、それが建前であることに気付きはじめるのだ。

 とは言え皆、自分のくびをかけてまでそれを王宮に伝えることは出来ない。皆それぞれに生活があるからだ。


 けれど今回、私の知らないところで動いた若手の職員がいた。


「十年前の事情にはもはや口は出せないけれど、今、現在進行形でベヒモスという大型の魔獣が目撃されているこの状況下にあって、魔法師団に事後報告をしようというのは、果たして許されることなのか……?」


 長年辺境伯家の人間として魔獣討伐に関わってきたとは言っても、令嬢なのだ。

 いつものことだと、それで済ませてしまってもいいのか。


 さすがに転移通路を無断で使うほどの度胸はない。

 だが緊急用の連絡水晶なら……?


 自分の良心が疼いたと言われればそれまでだと、後に青年は語った。


 そうして私がベヒモス討伐を命じられて、それを受諾したその夜。

 サルミン辺境伯領の魔法省分室から、緊急の通信が王宮の魔法師団へと飛ぶことになったのである。




 王宮の魔法師団が、大型の魔獣出現による緊急の派遣要請を受けることは、頻繁とは言わないまでも珍しいことでもない。

 それが魔法師団の主な職務だからだ。


 最初に連絡を受けた時点では、完全に通常業務の一環として報告は回され、師団を統括する魔法省の上層部が、そこですぐさま会議を開いた。

 魔獣の出現は、基本的には時間との勝負だ。うっかり後回しにでもすれば、村一つ街一つ壊滅するような事態にだってなりかねない。


「今動かせる魔術師と、相手がベヒモスということを考慮すれば、生半可な者は行かせられないな」


 魔法省上層部は、話し合いの末、師団から一人の魔術師の派遣をそこで決定する。


 それがレシェート・グルーシェン。

 この時彼は22歳。魔法師団に属している先遣討伐隊において、副隊長に任じられていた魔術師の青年だった。


 稀代の天才。歴代最高の魔力保有者。次代の師団長。

 レシェートがその身に浴びる賛辞の単語は、片手の数では収まらない。


 ただ天才にありがちと言うか、やや世間ずれしたところがあったために他の魔術師との連携が難しく、ほぼ単独派遣。同行者がいても戦闘記録官のみと言うのが王宮内では定着をしていた。


「ベヒモスがどの程度の大きさなのか、単独なのか、まだ詳しい情報が入ってきていない。だが場所は辺境伯領。まかり間違えば他の魔獣も共になだれ込むやも知れん。状況に柔軟に対応出来る副隊長が行った方がいいだろう」


 事態の早期打開を優先した魔法省は、多少本人の為人ひととなりに難があろうと、今回はそこに目を瞑ることにしたのだ。


 こうしてレシェートが、戦闘記録官のみを連れて予告なくサルミン辺境伯領に現れることになった。

 魔獣の出没による討伐依頼は一刻を争うものだ。貴族の礼儀作法のように「先触れが~」などと言っていられないために、それが許されるのだ。


 そしてそれが、サルミン辺境伯家の日常が砂上の楼閣だったことを思い出させ、全てが脆く崩れ去った瞬間でもあった――。




❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀




 いよいよ朝食を済ませた後、私はベヒモスが現れたという場所に向かうことになった。

 それでも家族の誰も、私を気遣う言葉をかけてはこない。

 皆がそれを当たり前の日常と思っているからだ。

 私も今更何か言葉をかけて欲しいとも思わない。もしかしたら、私が死んで初めて彼らは慌てふためくのかも知れない。


「……っ、魔法師団の先遣討伐隊副隊長だと⁉」


 さてそろそろ立ち上がろうかと腰を浮かせかけたところで家令が現れ、何ごとか耳打ちされた父の驚愕の声が部屋に響いた。


「誰が……何故……」


 それはそうだ。

 辺境伯領にベヒモスが現れた。

 その件は王宮の魔法師団には連絡しない、とまでは言わないまでも事後報告にすると、既に皆の中では決着していたはずだからだ。


 魔法師団から魔術師が派遣されてくるなどと、それも先遣討伐隊の副隊長ともなれば、目的はベヒモス以外にはありえなかった。


 恐らく、魔法省分室の誰かが連絡水晶を使ったのだろうとは思うものの、それを確認している場合ではないこともまた確か。


「と、とにかく一度お迎えを致しませんと……まさかそのままお帰りいただくわけには……」


 家令の言い分は、至極当然。

 取り繕ってお帰りいただくのであれば、それはごまかしを決めた辺境伯家当主である父の役割だ。


 父は観念したように俯いて唇を噛み、私たち兄妹三人も、知らぬ存ぜぬは通らないだろうと、いつ呼ばれてもいいように応接室の隣の部屋で待機することになった。





 その隣の部屋には小さな水晶球があり、そこから出る光が、壁に父と魔術師との会話の様子を映し出す形になった。


「……若いな」


 現在18歳の兄が言えたことではないと思うが、壁に映る魔術師の容貌は、確かに若い。


「先遣討伐隊の副隊長と言えば……レシェート・グルーシェン殿か……」


 碧く澄んだ湖の色を思わせる、髪と瞳。

 どんな容貌かまでは伝わってはいなかったものの、魔法省史上最年少で副隊長に任じられたというレシェート・グルーシェンの名前だけは、その実力と共にこのサルミン辺境伯領にまで洩れ聞こえていた。


「魔力が……」


 さほどの魔力を持たない兄でさえ分かるのだろう。彼が醸し出す空気と、そこから漂う周囲への圧力とが半端なものではないということが。

 私にいたってはさっきから、肌を刺すピリピリとした空気を一刻も早く振り払って立ち去りたいと思うほどだ。


「素敵なお方ですわぁ……ご挨拶できないのかしら……」


 ただ、兄や私よりも魔力の保有量が少ない妹は、心持ち頬を染めながら、水晶球が映し出す映像を眺めている。

 そんな妹を見た兄が「今はダメだ」と、珍しく妹を宥めたので、私は少し驚いてしまった。

 普段は両親と同様、妹に甘いのに。


「父上が何とかあの方を丸め込んで、このままお帰りいただくまで待て」


 果たして父にそんな器用な芸当が出来るのかと思うものの、私も兄の言い分は理解が出来た。


 今は私という存在を魔法師団所属の魔術師に知られるわけにはいかないのだ。

 妹が挨拶に出てしまえば、話の流れからして兄や姉である私が出ないというわけにはいかなくなる。


 辺境伯領を去る直前であれば、たまたまだの何だのと言い訳が立つと思ったんだろう。

 結局のところ、宥めているようで宥めてはいない。何ならそこで妹を押し付ける気でいるのかも知れない。


「分かりましたわぁ、お兄様」


 妹は妹で、兄が自分を紹介してくれるに違いないとの期待が生まれたんだろう。

 ふふ……と頬を染めたまま、その場ではそれ以上の我儘を言わなかった。


 私は――ため息を吐き出すだけだ。


 そうして、三者三様の表情で、水晶球が映し出す映像の続きを見守ったのである。

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