第7話 魔獣、宙を舞う

 この人、何故ここにいるのだろう。

 今頃、妹の「おもてなし」でデレデレになっているはずではなかったか。


「……その目はロクなことを考えていないな」


 まさか私の心を読んだわけでもあるまいに、レシェートの目が不機嫌に据わっていた。


「えーっと……こちらは、どうぞお構いなく?」

「いや、この状況下だと構うだろ、普通」


 イラッとしたようにレシェートが声を荒げた。


「え、世間的には美少女と呼ばれている妹に『おもてなし』されたら、大抵の辺境伯領の騎士はデレデレになりますけど」

「それがロクでもないって言ってんだよ!」


 そう言って、ガシガシと髪をかき回すレシェートは本気で嫌がっているように見えた。意外だ。


「俺は先遣討伐隊の副隊長として、ベヒモスの確認に来たのであって、あんな王都じゃ珍しくもなんともないような小娘と戯れに来たと思われるのは迷惑だ!」


 極めつけには「魔法師団はそんなにヒマだと思われているのか……?」とぶつぶつ呟いている声まで聞こえてくる。


「え、妹の容貌って王都じゃ普通なんですか?」


 今、空中で向かい合っていることも忘れて、私もうっかり素で反応してしまった。

 なんてこと。あれで美少女じゃないと言われれば、私などどうなってしまうのか。


 そんな私をどう見たのか、レシェートはなんだか小馬鹿にしたような視線をこちらに向けた。


「厚化粧して派手なドレスを着れば、大抵はアレよりも上をいくだろうよ。ああ、美人だとか美人じゃないとかの話じゃなくて、それだけ王宮に顔を出す女どもが派手で目立つってだけの話だ」


「つまりは妹ですら地味だと」

「王都に来れば、十人が十人そう言うだろうな」

「……なるほど」


 ますます私の居場所はどこに、という話になりそうだ。

 深いため息をつく私に「いや、そうじゃなくて」と、レシェートがツッコミを入れてきた。


「それ、今でする話か?」


 そうでした。

 今、ここは空中。二人ともが宙に浮いた状態で話をしているのだ。


 私は、くだらないことを聞いたと、それをごまかすように「んんっ」と、軽く咳ばらいをした。


「すみません。副隊長様も『空中移動』がお出来になるんですね」


 この辺境伯領で、他にこの移動方法をとれる人間がいなかったのだ。

 今更ごまかしても無駄だろうと正直にそれを告げたところ、ピクリとレシェートのこめかみが痙攣ひきつった。


「結局『副隊長』呼びなのか。まあ、それは今はいいとして……その発言は、分室どころか、魔法省の本体に属する魔法師団の人間を何だと思ってるんだって話だな」

「あはは……そうですよね、大変失礼いたしました」


 つくづく、サルミン辺境伯領は魔獣に対してならともかく、王都の情報には疎いようだ。そもそも魔力測定値の過少申告の件も無理があったのだ。

 苦笑いの私に、レシェートは「だが」と、そこで表情を改めた。


「魔法師団の魔術師全員が『空中移動』の技術を取得しているわけでもない。訓練すれば出来る素地はあるのかも知れないが、今のところ全員でもない」


 そう言って、スッと目を細めているのは、やっぱり私の規格外の魔力に不信感を持っているのだろう。

 どうして王都の魔法学院に通わなかったのか、と。


「えーっと……その、この地は魔獣との遭遇率が極めて高い地域ですから、日々狩りを続けているうちに……こんな感じに」


 あくまで、後天的に能力が開花したんですよー……ということを仄めかしておく。


 うん。一応説明はした。

 父への義理はこれで果たせたはずだ。


 レシェートが信じるか信じないかまでは、責任はとれない。

 だいたいこれ以上は、ここでは話が進まないだろうに。


 そう思ったのがどこかに伝わったのだろうか。

 今から行こうとしていた方向から、低い低い獣の咆哮が聞こえてきたのだ。


「!」


 私とレシェートも、思わず顔を見合わせていた。


「今のをどう思った」


「さすがにこれまでベヒモスと遭遇したことがないので断言は出来ません。ですが、この辺境の地で私が狩ったことのある、どの魔獣の咆哮でもないことは確かです」


「なるほど、耳もいいか」


 ひとり納得したように頷きつつも、その目はずっと先、森のある方角をじっと見据えていた。


「あれはベヒモスの声で間違いない。大方君の張った〝結界〟にぶつかった怒りの声だろう」

「なるほど……」

「しかも複数だ」

「⁉」


 思いがけないことを言われて、さすがに息を吞んだ。

 一頭でも、災害級の力と大きさがあると言われているのに複数とは!


「ああ、別に心配しなくても大丈夫だ」

「⁉」


 驚く私に気を遣ってくれているのか、何故か「大丈夫だ」と、レシェートは笑っていた。


「ベヒモスが複数いようと、加えて上位種のキングベヒモスが背後にいようと、そのくらいなら俺には大したことじゃない」

「⁉」


 さっきから続くレシェートの爆弾発言に、はくはくと口が開くだけで言葉が出てこない。

 まさに「この人何を言っているのか」――だ。


「方向が分かったのなら、俺は勝手に行けるし、ここで待っていればまとめて討伐してきてやるが?」

「えっ、いやいやいや!」


 さすがにそこで、我に返った私が声を上げた。


「その、副隊長様の実力を疑っているわけじゃないんですが、さすがにお一人で森の向こうに行かせたとあっては、あとで責められるのは私で……」


「討伐した遺骸をまとめて辺境伯家の庭に投げ込んでやれば、文句どころじゃなくなるだろう」

「え⁉ いや、それは……」


 それはそうかも知れないと、うっかり口にしかけて慌ててぶんぶんと首を横に振る。


「ダメです、ダメです! 文句つけられる余地なんて作りたくありません!」


 レシェートの口調と発言がそうさせるのか、私も馬鹿正直にぶっちゃけてしまい、かえって興味を引いたのか、じっとこちらを見つめられてしまった。


「……もしかしなくても、かなり身内の横暴に振り回されているな? まあ、その魔力量だとさもありなんか」

「いや、今は私のことはどうでも良くて!」

「良くはないんだが……確かにベヒモスを何とかするのが先ではある」


 そう言った瞬間、レシェートの周りの空気が勢いよく渦を巻きだした。

 えっ、無詠唱⁉


 私でさえ、短いながらも「風よ」くらいは口にするのに……!


「慣れれば多分君も出来るようになるぞ」


 私の表情から内心を読んだに違いない。それとも普段から言われ慣れているのか。

 無詠唱で風を操っていることに驚いた私を見て、レシェートはニヤリと口元を歪めた。


「とにかく、俺はあの咆哮の先へ飛ぶ。辺境伯家の人間として見届ける義務があるとの建前を疎かにしたくないなら、付いてくればいい。もっとも――」


 付いてこれるものならな!


 最後の声は、風に乗って耳に届いただけだった。


「ええっ⁉」


 その時には、既にレシェートの姿はそこにはなかったからだ。


 私は慌てて後を追うように、身に纏う風の威力を上げた。


「風よ、もう一度。――森へ!」


 相手はもう豆粒ほどの大きさになっていて、完全に追いつくには無理がある気はしたものの、放っておくわけにもいかない。

 レシェートの言う通り、咆哮が聞こえた先の予想はついているのだから、なるべく彼の姿が豆粒よりは小さくならないよう、追いかけるしかなかった。


「もうっ、もうっ! それは一人で来たはずよね! 連携する気皆無じゃない!」


 戦闘記録のための官吏を一人連れて来ていたはずだが、あの分では多分辺境伯家の館に放置だろう。

 普段から、記録用の水晶玉か何かを持っていて、官吏は後でそれをまとめているだけなのかも知れない。

 いくら王宮の魔法師団と言っても、あれに付いていける魔術師がそう何人もいるとは思えなかった。


「おーっ! 俺を見失わずに来るか! やはり見どころがあるな!」


 そうして森が間近に見えるところまで来て、私が張った〝結界〟の端がすぐそこになったところで、空中に留まったまま拍手をしているレシェートの姿がそこにあった。


 しかも、笑ってちょいちょいと地上を指さしていて、その視線の先を追った私は思わず絶句してしまった。


「ベヒモス……あれが……」


 人を投げ飛ばす長い牙。

 普通の剣では切ることも刺し貫くことも出来ない強固な外皮。

 一頭あたりの大きさは、ちょっとした領主屋敷並みだ。


 それが二頭、私が張った〝結界〟に何度も体当たりをしていた。


「君が張っている〝結界〟がビクともしていないのも見事だが……大丈夫か、かなり魔力が擦り減っているんじゃないのか?」


 問われた私は、自分の胸に手をあててから、少しだけ首を傾げた。


「そうですね……普段より減りは早いかな、とは思いますけど……今すぐどうこうなるほどでも……」

「!」


 それを聞いたレシェートは一瞬だけ目を瞠った後、やがて「はははっ!」と大きな笑い声をそこで上げた。


「そうか、まだ余裕があるか。気に入った! ああ、実はあの二頭の後ろに、隠蔽の術を駆使した姑息なキングベヒモスが隠れているんだがな?」

「ええっ⁉」


 しれっと何を言っているのか。

 声を上げる私に「まあ、聞け」とレシェートは笑みを崩さずに話を続けた。


「それも含めて、今から最大出力でまとめて切り刻んでやる。下手をすると森どころかこの地域の大半が吹っ飛びかねないんだが――」

「吹っ飛ばさないで下さい!」


 もう、相手が「副隊長」様だという敬意こそが吹き飛びそうだ。

 どうどう、とでもいうかのようにレシェートは私に手を振って見せた。


「俺がこんなことを言っているのは、この〝結界〟なら街を傷つけずにベヒモスとキングベヒモスだけを切り刻めるだろうと思ったからだ」

「えっ⁉」

「この〝結界〟なら、それが出来る。まあ、さすがに木の何本かは勘弁して欲しいが」

「……っ」


 ――君なら、出来る。


 きっぱりと言い切るレシェートに、私は反論の言葉が出なくなった。


「まあ、見てろ」


 どうやらそれを「了承」の意と取ったらしい、レシェートの周囲の空気がそこでガラリと変貌を遂げた。


「なっ、ちょっ、私まだ――」

「なあに、この〝結界〟を保たせるだけでいい――‼」




 その瞬間、地の底から響いてきたような大音響と共に〝結界〟の向こうの地が一瞬にしてひび割れた。


「魔獣ごときが沸いて出てくるには百年早い! ウチに帰るんだな……っ‼」


 そして凄まじい竜巻が〝結界〟の向こうのベヒモスに、一直線にぶつかっていったのだ。

 玩具のように宙を舞うベヒモスを見て、夢かと思った私は間違ってはいないはずだ――

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