第4話 料理部、されど廃部寸前②

 どこぞの廊下の隅っこで、奈波ななみのうずくまった姿が目に入った。

「どうしてここにいるとわかったの?」

 奈波はプンプンと怒ったように訊いた。

「別に。奈波が走り出した方向がだいたいわかっていたんで、追いかければ追いつけると思っただけ」

「ずるいよ……でもありがとう」

 そう言って、奈波は立ち上がってこちらに視線を向けてくる。

「あと、もう一つ訊きたいことがあるんだけど。なぜあたしを追いかけてくれたの?」

 矢継ぎ早に質問する奈波を、私はきょとんと見返した。

 ――もしかして、彼女が私の忠実さを試しているのか?

 そう疑い始めた。

「友達だから、に決まってるでしょ? 急に逃げたから心配したよ」

「ごめんね、心配をかけて。でも理由があったよ。もちろん、彩夏が入ってくれたのは嬉しいけど、こんな料理部を彩夏に見せたくなかったなぁ……。もっと、こう、みんなが一緒に美味しい料理を作るような――」

「大丈夫! 私たちだけなら、奈波は私に料理を教える時間があるからね!」

 今度こそ君を慰めてやる、と私は決意してそう言う。

 しょぼんとしている奈波は見たくない。いつもの元気いっぱいで自由奔放な奈波が見たいのだ。

「確かに! あたし、全然思いつかなかったな!」

 奈波の憂鬱がようやく晴れたようだ。

 私はよく将来をおもんぱかって悩んでいるが、奈波を慰めることができたので、カウンセラーかセラピストに向いているかもしれない。

 こちらこそありがとう、奈波。私に悟りを開かせてくれて。

「閑話休題、料理部に戻ろうね」

 私がそう提案すると、奈波は頷いた。

「うん! いつもこの廊下をうろついていたら、美味しい料理を作る機会は過ぎちゃうし」

 ゆっくりときびすを返す私と奈波。

 幸いなことに、今回は走る必要はなさそうだ。


 料理部の部室に戻ると、奈波はドアの前で立ち止まった。

「二人でやると決めたから、このポスターはもう要らないね」

 そう言いながら、奈波は『料理部新メンバー募集中』の二つの大きなポスターを剥がしていく。

「本当にいいのか? せっかく作ったポスターだし……」

 誰かの努力が台無しになってしまうんじゃないかな、と私は内心思っていたが、奈波は全然気にしていないようだった。

「これ、あたしが作ったから大丈夫。もちろん、誰かが作ってくれたポスターだったら、剥がすのは気が引けるけどね」

「へー、すごい! どうやって作ったの?」

「学校図書館のパソコンで作ったよ。よかったら、いつか見せてあげる」

「うん! ところで、今日は何を作るつもりなの?」

「彩夏が美味しそうって言ってくれたんで、あたしの弁当箱に入っていたものを全部作ってみようと思う!」

 その言葉に、私は口をポカンと開けずにはいられなかった。

 ——全部って? 私、まだ初心者だけど?

「そ、そうか? ちなみに一度しか料理したことがないから、お手柔らかにね」

「じゃあ、まずはエプロンから。好きな色を選べばいいよ」

 目の前に、色とりどりのエプロンが並んでいる。まるで虹を見ているかのようだった。

 しかし、そう言われても、私は別に好きな色がない。

 私がどれを選ぼうか迷っている間に、奈波は先に薄緑色のエプロンを手に取り、着け始めた。

 ところで、虹を見ているかのようだと形容したのだが、それは比喩的な意味ではない。

 メンバー数が七人だったのか、エプロンは七枚もあり、本当に虹色の順番に並んでいるのだ。

「彩夏、まだ選んでいないの?」

 エプロンを着け終えた奈波がこちらを向いて言った。

「その、好きな色って思いつかなくて……」

 戸惑いながら、私はエプロンと奈波を交互に見る。

「まあ、あたしに言わせればね……赤いのが彩夏に似合うかなぁ」

 エプロンは虹色の順番に並んでいるので、私は一番左のを手に取り、試しに着けてみた。

 緋色のエプロンは、彼岸花の如く鮮やかで美しい。

 私は完全に一目惚れした。どこぞのイケメンにではなく、このエプロンに、だ。

 それでは、エプロンを着けたので、これで準備万端だろう。

 奈波に視界を向けると、彼女は食材を用意しているところだ。

 私は彼女に近づき、話しかける。

「はーい、選んだよ。どう?」

「似合ってるよ! やっぱあたしのセンスいいなぁー」

 自惚うぬぼれている奈波を眼前に、私は何を答えばいいのかさっぱりわからない。だから、私たちはしばらくの間、何も言わずにいた。

 束の間の沈黙。

 この時代には極めて珍しいものなので、私はそれをありがたく思った。とはいえ、沈黙は断じてありがたいものなわけでもない。長く続くと気まずくなりかねないのだ。

 だから、その前に話題を変えておこう。

「じゃあ、下ごしらえを始めようかな、奈波!」

「彩夏が結構楽しみにしているみたいね! 料理の達人、の言うことに耳を澄ませよ!」

「はい!」

 かくして、私は奈波に弟子入りしたのだった。


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 料理は、めんどくさいことなんかではない。それどころか、楽しいのだ!

 だから、毎日三食を作ってくれる母も、楽しんでいるはずだ。

 晩ごはんを食べている私を見て……笑みを浮かべるのかな。

 目の前には、私と奈波が愛を込めて一緒に作った色々な食事が並んでいる。ひとつひとつ一瞥いちべつするたび、その食事を作る楽しさを思い出す。

 そして、今はいよいよ試食の時間だ。

「じゃあ、彩夏! まずはどれを食べてみようかな?」

「んー、餃子を食べてみたいと思う」

 そう言って、私は餃子を一個手に取り、口に運んだ。

「美味しい! いや、美味い!」

 今自惚れているのは私のほうだが、まあいいや。本当に美味しいからそう叫ばずにはいられない。

 視線を前方に戻すと、奈波がすでに御御御付おみおつけを飲み始めていた。

 ――ずるいよ、私も飲んでみたいのに!

「ねえ、御御御付けはどう?」

「オミオツケ? 何それ美味しい?」

「それはこっちが聞きたいんだけど?」

 私の言葉を理解できなかった奈波は、十秒くらい考えたあげく御御御付けの意味を思い出したのか、突然頬を染めて口を尖らした。

「味噌汁と言えばいいでしょ、もう。あたし、そんなに頭が良くないよ」

「あはは、ごめん。一度だけでもいいから御御御付けって言葉を使いたかったんだ」

 笑いすぎたせいで、私は危うく餃子にせそうになった。

 私はハイムリック法に詳しくないし、奈波は頭が良くないと言っていたし、食事中にふざけないほうが無難だろう。

 ああ、料理するのも、試食するのも本当に楽しい。

 家に帰ったら、今日作った料理について母に話したい。


 ――いや、待って!


「しまった!」

 その瞬間、私は自分の失態に気がついた。唐突に立ち上がり、必死に部室を見回す。

「彩夏、大丈夫なの……?」

「母に連絡するの忘れたんだ! 彼女がどんなに心配しているのか想像できない!」

 そう言って、もとい、そう叫んで、私はまだエプロンを着けていることに気づかず、部室を飛び出したのだった。

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