第13話 彼岸花の世界②

 これは流石にやばい。

 ここは彼岸花に覆われた世界で、あたしと彩夏しかここにいないはずだ。

 と、あたしはずっと推測していた。しかし、今になってその推測が全く外れていることに気がついてしまった。

 なぜなら、開けたドアの向こうには、あたしのクラスメイトたちと、同じ司書がいるから。

 彼岸花の形跡のない、いつも通りの学校図書館。

 あたしは口をポカンと開けたままドアの前に突っ立っている。

 これは、一体どういうことなのか?

 さっきまで全てが彼岸花で覆われていたのに、学校図書館に入ろうとした途端、彼岸花が跡形もなく完全に消えた。

 反射的に廊下を振り返ると、自分の身体がもうそこにないことに気づいた。

 ――幽体離脱が、終わったのか?

 時間制限でもあったのだろうか? それとも……。

 ある程度の違和感を超えると必ず夢から覚めるのと同じように、あたしが自分の身体を見てひどい違和感を覚えたせいで、幽体離脱が終わってしまったのだろうか?

 もし、彩夏がコンスイ状態に陥っておらず、実は幽体離脱を体験しているとしたら。それなら、彼女もそろそろ覚めるかもしれない。

「ああ、その髪型に見覚えがありますね。またパソコンを使いに来たのでしょうか?」

 司書はさりげなく言った。

 あたしが廊下で倒れるところを見たはずなのに、どうやらあたしの身を案じてくれないようだ。

「あの、あたしが図書館を出たあとに何が起こったか覚えていますか?」

「そうですねー。確か、あなたが廊下で倒れていたっけ。でも助けようと保健室に連絡しようとしたら、あなたはもう廊下にいませんでした。結局、自力で帰ったみたいだからもう大丈夫みたいです、と保健室に伝えたんですよ」

 そう言われて、あたしは首を傾げずにはいられなかった。

 司書の言葉を信じるなら、あたしが本当に自力で彼岸花畑まで歩いたことになる。しかし、あたしは気を失っていたし、無理なのではないだろうか?

「……そう、ですか。あたしはどうやって学校を出たのか、全く覚えていないんですけど」

 司書が答えようとした矢先に、見知らぬ生徒が話しかけてきた。

「あの、この本を取り出したいんですが」

 あたしはこれ以上司書の仕事を邪魔したくなかったので、教えてくれた情報に礼を言ってから図書館をあとにした。


 燃え盛るような夕焼けの下、あたしは道を歩いている。

 目指すのは病室。目的はさやかが目覚めたか否かを確かめることだ。

 太陽が沈んでいくにつれ、周りが夕焼けを映すかのように橙色に染まってくる。

 あと三十分くらいで全てが薄暗くなってしまい、あたしは街灯を頼りに歩かなければならないだろう。

 幸いなことに、病院がかなり近くにあるので日没前にたどり着ける可能性は高いが。

 何回も恵梨華と一緒に歩いてきた道だし、ついさっきまで世界を覆っていた彼岸花が消えたし、今回は迷わずにすむはずだ。

 あたしは足を速めて、徐々に見えてくる病院に向かう。

 

 病院にたどり着くのに二十分くらいかかったので、運良く街灯を頼りに歩かずにすんだ。

 あたしは病院の回転ドアをくぐり、受付を横切り、階段を上る。

 彩夏のいるはずの病室まで廊下を進んで、足を止めた。

 走ったわけではないのに、なぜか鼓動が高鳴っている。

 これは……緊張、なのかな?

 小刻みに震える手を取っ手にかけて、深呼吸。そして、回してみる。

 物静かな病室に、風に揺られるカータンが窓枠にぶつかる音が虚しく響き渡る。

 そう、結局のところ、病室の中は空っぽだった。

 やっぱり、か。彩夏を見つけるのがこんなに簡単なはずがなかったのだ。

 ――彩夏は、どこに行ったのか? まさか、もう退院したのか?

 途方に暮れていると、あることをふと思い出した。

 それは、この時間だと恵梨華が彩夏の見舞いに来る途中だということだ。テストで満点を取れそうな彼女と協力すれば、彩夏は見つけられるかもしれない。

 病室を出て何歩か廊下を進むと、あたしは口をポカンと開けて立ち止まった。なぜなら、恵梨華の姿がすぐそこにあったから。

 病院で走るのは危ないので、彼女のもとへと全力疾走したい衝動をこらえながら、あたしは早足でそこに向かった。

「恵梨華!」

 あたしは開口一番にその名前を叫んだ。

「あ、奈波、もう来ないかなと思ったんだけど……」

「彩夏はどこにいるか、知っているの?」

 あたしの問いに、恵梨華は大袈裟に眉をひそめた。

 使命を果たせなかったせいか、今までの努力が全部無駄だったせいか、あたしは危うく怒鳴りそうになった。

 できるだけ感情を抑えて、恵梨華の答えを待つ。

「あの、病室にいるんじゃないの……?」

「いや、今病室に行ってみたんだけどさ、空っぽだったよ!」

 声を荒らげてしまったことを自覚したが、仕方ない。

 堰がいずれ決壊するのと同じように、人間はいつも感情を抑え続けてはいられないのだ。

「それなら、別の病室に移ったかもしれない。看護師さんに直接訊こうね」

 あたしは恵梨華の提案に頷き、一緒に看護師を探し始めた。

 歩きながら、あたしは幽体離脱のことを明かすことにした。

「あのね、恵梨華。実は、最近すごく変なことが起きたの。まるで悪夢みたいだったけど、本当に起きたよ」

「あら、それは何かしら? もしかして、彩夏の昏睡状態と関係があるの?」

「ある……かもしれない。この間、あたしは学校図書館を出たら倒れてしまって、気を失ったんだ。なのに、目が覚めたら学校どころか、彼岸花畑にいた。世界が彼岸花で覆われていたせいで、あたしは結構道に迷ったけど、結局学校にたどり着けた。そして、図書館のドアの前に、あたしの身体があった。倒れたままで。でも、図書館に入ったら、彼岸花も、そこにあったあたしの身体も消えたの」

 そう言ってから、あたしは恵梨華を直視した。

 恵梨華はきょうがくしたまま、一歩後ずさった。

 あたしと同じように倒れたら困ると思い、あたしは念のため彼女の身体を片手を回して支えた。

 さらさらとした触感が指に伝わる。恵梨華の長い後ろ髪だ。

「だ、大丈夫なの、恵梨華?」

「う、うん。心配させてごめん。ただ、自分の倒れた身体を見るなんて怖すぎるわ……」

「だよね」

 あたしは頭を掻きながら同意した。

「で、あのあとは何があったの?」

 怖すぎると言いながらも、続きを促す恵梨華。

「まあ、あたしが倒れるところを司書さんが見たんで、気を失ったあと何があったかを司書さんに訊いてみたんだ。そしたら司書さんは、保健室に連絡したけど、あたしがもう廊下にいなかったから自力で家に帰ったって思った、って言ってた」

 あたしの言葉に、恵梨華は釈然としない表情を浮かべた。

 まあ、無理もない。むしろ、その話を聞いてに落ちるほうがおかしいだろう。

「……確かにおかしい話ね。私には全然わからない。あ、でも彩夏の昏睡状態と関係があるかもしれないと言っていたよね?」

「うん。あくまであたしの推測なんだけど……そしてあたしは頭が良くないんだけど……」

「言いなさいよ」

 恵梨華がいきなり生徒会モードに戻った。

 恵梨華の逆鱗げきりんに触れたくはないので、あたしは躊躇なく言葉を紡ぐ。

「実は、彩夏はコンスイ状態じゃないと思うよ」

 あたしが『コンスイ』と言うと、恵梨華はなぜか笑いをみ殺しているようだった。

「ねえ、あたしを馬鹿にしないでよもう……」

 そう言い足すと、恵梨華は少し申し訳なさそうな顔をした。悪気はなかっただろう。

「あ、ごめん……。でも、なぜそう思うの? 医師が間違っているとでも言いたいの?」

「彩夏が今、あたしが体験したのと同じようなことを体験していると思うの。あと、医師を責めたいわけじゃない。これは体験したことある人にしかわからないことなので」

「つまり、彩夏もそろそろ目が覚めるの?」

「そう……かもしれない。だから、今すぐ彩夏を見つけないと!」

 説明しなければならないことが多いせいで、思ったより長い話になってしまった。

 とにかく、あたしたちが廊下にうろついていると行き来する看護師たちに面倒をかけてしまいかねないし、早くここから離れたいところだ。

「じゃあ、看護師さんに訊いてみようね」

 そう言って、恵梨華は先頭を切る。

 ――もう少し待ってくださいね、彩夏。

 必ず救ってみせるから――……。

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