終章 赤き花の消失

第14話 赤き花の奇跡

 ――あれ? ……彼岸花が、消えているのか?

 鮮赤色から黄色に染まってくる花畑に、は立ち上がる。

 何日も飲まず食わずなのに、空腹感は一切覚えていない。だから、これは何らかの怪奇現象だと断言できる。

 しかし、周りの彼岸花が次第にしおれて消えていくということは、この異変がそろそろ終わるということなのかな?

 眩しい太陽の陽射しで目がくらみ、視界が白んでくる。

 待って、と私は叫びたくなった。まだ終わりたくない、とつくづく思った。

 それなのに、世界は私の感情を配慮してくれることなく、自分勝手な行動をしている。

 友達に教えない限り、唯一の居場所を失うことはないはずだ。

 私はずっとそう思い込んでいたが、結局のところそうでもない。

 友達に教えなくても、独り占めしていても、いずれ失ってしまう日が来ると私は今になって痛感した。

 もちろん、私はこの病気を克服して、再び友達に会いたい。それでも、いつも私を待ってくれた特別な花――彼岸花が全て消えてしまうのを目撃すると、悔しくてたまらない。

『彩夏、久しぶりだね! あたしは恵梨華と一緒に、またお見舞いに来たよ!』

 突然、その声が大空に響き渡った。

 何日ぶりに聞こえたせいか、意外と懐かしく感じた。

『奈波は君がどこにいるのかわからなくて、結構焦っていたよ。あはは。でも結局、別の病室に移っただけだった。あ、ちょっと医師さんと話したんだけど、症状が好転したみたいよ。この調子だと、明日退院できるかもしれない!』

 なぜか、恵梨華の声を聞くたび全ての不安が解けてしまう。私はいつも彼女の言葉を盲信してしまうからだろう。

 それでも、私の見舞いに来てくれて、一方的な話になるのを承知の上で私に声をかけてくれて、嬉しい。

 今まであまり他人と接しなかった私が、ようやく友達の大事さを実感した。

 もし私がまだ一人だったら、病気を克服できなかっただろう。

 この燃え盛る畑で、正しく奈波と恵梨華に救われたのだ。

 

 ⯁  ⯁  ⯁


 ――頭が痛い。

 私は寝ぼけまなこをこすってから、上半身を起こそうとする。

 ああ、この真っ白な部屋は例の病室なのだろう。

 誰かの声と、病院の喧騒が徐々に耳に入ってくる。頭痛が悪化してしまう。

「はい、目が覚めたみたいですね」

 私のそばにいる医者が言った。

 どうやら、長い間私を監視していたようだ。

 その声に召喚されたかのように、もう一人の医師が病室に入ってきた。

「風田さん、ですね。一週間くらい昏睡状態だったんですよ。友達はすごく心配してくれて、ほとんど毎日お見舞いに来ましたね」

「はい、とてもありがたいです!今、連絡してもらってもいいんですか?」

 答える前に、医師が笑った。

「それは必要じゃないと思いますよ」

 医師がそういうと、奈波と恵梨華が早足で病室に入り、私を囲む。

「起きたんだね、彩夏! コンスイ状態を、病気を克服できたよ!」

 言いながら、奈波は涙を抑えようとしているようだった。

 なぜか、昏睡の言い方が少し不自然に感じた。

「ありがとう、奈波……。私は本当に、君に救われたんだよ……」

 そう言うと、私まで涙をこぼしたくなった。

 私と奈波が鼻をすすっていると、恵梨華はドアのほうを向いてこう告げた。

「それでは、みんな入ってもいいよ」

 ――みんな?

 その言葉を疑問に思う間もなく、私は『みんな』が誰のことを指しているか気づかせられた。

「な、彩夏を保健室に連れてくれなくて、ごめん。僕は悪かった」

「彩夏の血を見た瞬間、慌てて手を挙げられなかった……。馬鹿だな、俺」

「私も、本当にすみませんでした。クラスメイトが困っているのに、何もしてあげなくて、ただ見ていました」

 一人一人、私のクラスメイトがドアから出てくる。私を見るなり、謝罪したり頭を下げたりする。

 そして、長蛇の列の果てからとても見慣れた顔が視界に入ってきた。

「……心配したよ、彩夏」

 そう言ったのは、母だった。

「ごめんね、心配させちゃって。でも、私は本当に何もできなかった。できたらきっとお母さんに連絡したよ」

 そういえば、母の声を聞いたのも数日ぶりかもしれない。

 最初はよく奈波と恵梨華の声を聞いていたのだが、症状が悪化して一時的に聴覚を失ったせいか、彼女たちが忙しかったせいか、誰の声も聞かない日もあった。

 それなのに、母の声は一度も聞かなかった。つまり、彼女は私の見舞いに行かなかったのだろう。

 自分で決めつけるのがアレだと思ったので、念のため母に直接訊いてみることにした。

「ところで、この間、私の見舞いに行ってくれたかな?」

「もちろん行ったよ。お母さんだから、行かないほうがおかしいでしょ。でもかなり悩んでいて、何を言えばいいかわからなかったので、結局何も言わなかった。ただ、手を握って、ぐっすりと眠っている君を見つめた」

 母の言葉に、私は内心安堵の溜息を吐く。

 母が私の見舞いに来てくれた。私は、見捨てられなかった。

 病気がまだ完治していないせいか、私はまた馬鹿なことを思ってしまったのだ。

「よかった。ありがとう、お母さん」

 母との会話が終わると、私は来てくれたクラスメイトのことをふと思い出した。やはりその会話はもう少し後回しにすればよかっただろう。

 私は立ち上がろうとしたが、身体がまだ弱すぎることに気づいてやめた。その代わりに身を乗り出し、できるだけクラスメイトたちに顔を合わせた。

「みんな、今日来てくれて本当にありがとう。あと、みんな謝ってくれたのは嬉しいんだけど、そんなに悪いことはしなかったと思うよ。多分私が君たちの立場にいたら、同じ反応をしたでしょ。みんなが私の血を見て、怖かったでしょ。だから、大丈夫。全然気にしていないよ」

 私がそう言うと、クラスメイトたちは一斉に微笑んだり頷いたりした。

 別れを告げる時間が来たのか、クラスメイトたちは病室を辞去して、恵梨華に導かれて病院を出ていく。

 こうして、私は母と奈波と三人きりになった。

 なぜか空気が気まずく感じて、話しかけたくてもどうしても口を開けなかった。

 幸いなことに、いつも陽気な奈波が話題を切り出してくれた。

 彼女は母のほうを向いて、こう訊ねた。

「どうですか、風田先生? ちゃんと救えたんですか?」

「あはは、救えたと思うよ。本当にありがとう」

 そう言って、母は軽く会釈した。

 まったくわけのわからない話題だ。救えたってどういうこと?

 私が口を挟むか迷っていると、奈波は話題を振った。

「ね、彩夏。退院したら、また料理部に来るよね?」

「もちろん! 退院時間が来るまで、たくさんの美味しそうなレシピを集めといてね」

「うん!」

 奈波は、料理好きが誰にも伝わるような表情で言った。

 目を輝かせている彼女を見ると、こちらも料理したくなる。

「そういえば、この間携帯を買ったよ、彩夏」

 母はポケットから漆黒の携帯を取り出して、私に見せた。

「これで残業があっても、彩夏に連絡できるから大丈夫ね。正直、もっと早く買うべきだったけどね……」

 母は自嘲気味に言った。

 私を責めたいわけではないのはわかっているものの、多少の後ろめたさを感じずにはいられなかった。

 なぜなら、私が大袈裟おおげさに焦っていたせいで、母は携帯を買わなければならないと思ってしまったから。

 母が十年前に父と離婚したので、私の人生はほとんど彼女だけと過ごしている。だから、私たちは今まで携帯が要らないと思っていたのだ。

 携帯の値段は年々高くなるし、母はいつも給料を食材や生活費に使わなければならないので、お金を持て余しているわけでもない。

 とはいえ、便利そうなので買った甲斐があった気がする。

「あたしでよかったら、携帯の使い方を教えてあげますよ」

「それは助かるね」

 そう言って、母はまた奈波に会釈しそうになった。

「じゃあ、あたしは帰ろうと思う。またね、彩夏! 美味しそうなレシピをいっぱい考え出すから、早く元気になってね」

「じゃあね!」

 私が元気よく別れを告げると、母が口を開いた。

「仕事がまだ終わっていないので、学校に戻らないとね。今日も晩ごはんを作るから、あとで彩夏の分を手渡しに来るね」

「え、本当?」

 正直、目が覚めたときにはすでに病院食を食べる覚悟ができていた。

 病院のシェフには申し訳ないが、今回は母の手料理が食べられてよかった。

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