第3話 料理部、されど廃部寸前①

 ざわつく学生食堂で、私は独りで昼食を摂っている。

 頼んだのはカレーライス。一番無難な選択とはいえ、本当に美味しい。また母の料理の手伝いをするときは、カレーライスを作ってみたいと思う。

 そもそも、私は友達が少ない。おそらく片手で数えるほどしかいない。

 ――いや、一指か。

 つまるところ、私は独りでいるのに慣れているのだ。よく彼岸花畑に行っているし、母を除いてあまり他人と接していない。


「あの、ここに座っていい?」


 まだ食事中なので顔は視界に入っていなかったが、誰かがそう訊いてきた。

 顔を上げると、なぜかさっきのご機嫌斜めの女性が来たことに気づいた。

 ――まさか、また喧嘩を売るつもりなのか?

「パソコンの件なら、せめて昼ご飯を食べさせてから喧嘩してください」

「いや、その、図書館での喧嘩を見た人たちがあたしの悪口を言っているらしい」

 ざまあみろとは思ったが、もちろん口には出さかった。

「そうですか。じゃあ、いいですよ」

 私がそう返して頷くと、石川さんは軽く会釈してから手近な椅子を引き寄せた。態度が一変したと言っても過言ではない。

「あ、ありがとう。ここに座らせてくれて」

 石川いしがわさんは鞄から弁当箱を取り出して、テーブルの上に置いた。

 すごく美味しそうだったので、私は少しうらやましくなった。

「いえ、大したことないです」

「そういえば、君はあたしと同じ二年生なのになんで敬語を使ってるの?」

「正直、最初は怖かったんですよ」

 私の言葉に、石川さんはなぜか紅潮した。

「そうか……。図書館で喧嘩してごめんね。あたしが悪かったよ。あと、あたし怖くないから敬語使わなくてもいいよ」

「そうね。確かにもう仲良くなれたみたいだし」

 私がそう言うと、石川さんは返事もせずに食べ始めて、

「え、美味しい!」

 と耳を塞ぎたくなるほど甲高い声で叫んだ。

 私は興味津々に身を乗り出し、彼女の弁当箱の中をかんする。餃子に豚カツ、味噌汁まで入っている。

 なんという贅沢だ!

 眼下にある弁当箱とさっき頼んだカレーライスを何回か交互に見たあげく、私はこう提案した。

「あの、弁当はすごく美味しそうだけど。半分こにしてくれないかな?」

「えー、そんなに美味しそうなの? これは自分で作った料理だよ!」

「まさか、お料理上手だったりする?」 

「どういうこと? この弁当箱に入っているものは超作りやすいよ。誰でも作れるの」

 質問をはぐらかされたが、どうやら半分こにしてはくれないようだ。そもそも石川さんの作った料理なのだから納得はいくが。

 それに、誰でも作れるほど作りやすいなら、彼女の弁当をパクるより自分で作ったほうが満足できるだろう。

 人に魚を与えれば、一日食える。だが釣り方を教えれば、一生食っていけるようになるのだ。

 確か、英語にはそういうことわざがあった気がする。

 石川さんが言いたいのはそういうことだろう。正直、彼女は思ったより賢い。

「あ、そうなんだ! じゃあ、明日作ってみようかな」

「あのね、彩夏――おっと、失礼。名前はさっきの生徒会役員から聞いたんだけど、なんて呼べばいいの?」

「別に気にしてないから彩夏でいいよ」

「わかった。こっちも気軽に奈波ななみと呼んでね。閑話休題、このままじゃカレーライスが冷めちゃうよ」

 おっと、と私は一切食べていないカレーライスに視線を落とした。

 奈波の突然の質問に気を取られたせいで、食べ始めるのをすっかり忘れてしまった。

 少し冷めてしまったようだが、まだ十分に食べられる。

 そういえば、四限目まであと十五分だ。

 予鈴が鳴る前に食べ終えるように、私は早速いただきますと言って、行儀悪く食べ始めた。


 ⯁  ⯁  ⯁


 放課後のチャイムが鳴ると、私は教科書を詰めてから学生鞄をさりげなく担いだ。

 ところで、私はいつも帰宅部だった。部活は好きなことをやればいいし、私は家に帰るのが大好き。

 しかし、奈波と友達になったからには、彼女と同じ部活に入ってみたい。

 そのため、私は現在進行形で奈波の教室に向かっている。

 放課後のチャイムが私の教室にしか聞こえなかったのか、廊下には他のクラスの生徒がいない。

 おかげで教室にたどり着くのが早くて助かるから文句は言えないが。

 私は教室のドアに近づいて、掌を取っ手にかけた。

 そして、ドアをゆっくりと開けると――。

 実は先生以外に誰もいなかった。

「あら、新しい顔ですね。わたくしに相談したかったのかしら?」

 見知らぬ先生が黒板を消す手を止め、そう言った。

 向かってくる先生に、私は反射的に一歩後ずさる。

 手遅れだ。奈波はすでに部活を始めているだろう。

 私は帰ろうかときびすを返したが、奈波の行方について先生に訊いたほうがいいと気づき、彼女に話しかけることにした。

「実は、奈波を探していたんですけど」

「奈波……?」

 私は思わず『石川さん』ではなく『奈波』と言ったので、先生を困惑させてしまったようだ。

 先生はその名前を覚えていないのか、答えるには数秒かかった。

「あ、石川さんのことですわね。多分、料理部の部室に行ったと思います」

 ――先生にしては天然すぎるのではないだろうか?

 とにかく私を助けてくれたので、ちゃんと礼を言わなければならない。

「ありがとうございました。今すぐ行ってみます」

 と、私は教室を辞去して、料理部の部室へと全力疾走しはじめた。

 しかし陸上競技に勝ったことがない私だ。体力がなさすぎるし、今にも倒れてしまいそうだった。

 料理部の部室がやっと視界に入ると、私は足を止めて入ってみる。

「さ、彩夏?」

 当然のことながら、奈波はあえぐ私にかなり驚いた。

「どうしてここに?」

「探していたよ。今までは帰宅部だったけど、今日同じ部活に入ろうと思った」

「そう? 実はね、メンバーが少ないんでここは廃部になりかねないと顧問に言われたんだけど」

「廃部? それなら、私はなおさら入りたい!」

 いつかは幽霊部員になってしまうかもしれないが。

「えー、嬉しい!」

 奈波は目を輝かせて言った。

「ちなみに、他のメンバーは?」

「みんな、幽霊部員になっちゃってさ……」

 うつむく奈波を眼前に、私は必死に慰めの言葉を探そうとする。

「じゃあ、奈波は部長になったんだね! すごい!」

 私はできるだけ芝居がかった口調でそう言ってみたが、結局奈波を慰めることはできなかった。

「……ありがとう、彩夏。でも、今日はあんまりやる気が出ないから、帰ろうと思う」

「奈波……大丈夫なの?」

 奈波は踵を返し、ドアに近づいていく。私が彼女を呼び止めようとしたことを気にもせずに。

 私は、その行動がいかにも奈波らしくないと思い、すかさず彼女を追いかけ始めた。

 判断力が高くてよかった、と内心ほっとする。

 ドアをくぐり抜けると、私は振り返って閉める。

 こんな時間にまだ廊下をうろついているのはおそらく私と奈波だけだろう。

 初めて部室に入ったとき、結構焦っていたので気づかなかったが、ドアの両脇に大きなポスターが貼ってある。そこには『料理部新メンバー募集中』が太字で書かれている。

 私はそれを一瞥して、奈波が走り去ったほうへ向かう。

 言うまでもないだろうが、廊下を走るのは禁止されている。もちろん、ついさっき料理部の部室まで全力疾走した私が言えた義理ではないが。

 先生に捕まらないことを願いながら、私は足を速める。

 しきりに視界をかすめる、そのツインテールの持ち主を目標に――。

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