第6話 赤き花の呪い①
先生が本好きなのか、月曜日の一限目はいつもクラスで小説を朗読している。もちろん、今週もその例に漏れず。
「次は、
先生の声は澄み渡る秋空のようだった。
今日の朗読は見知らぬ小説だ。タイトルは『赤き花の呪い』。
赤き花というのは、おそらく彼岸花のことなのだろう。
そして、呪いというのは図書館で調べたことに違いない。
正直、あの都市伝説が小説化されるほど人気があるとは思わなかった。
とにかくこの小説が怖いし、朗読をするたび言葉を噛んでしまうし、私は本当に先生に選ばれたくない。
後藤さんが読むのを聞き流しながら、私はできるだけ先生を直視するようにした。なぜなら、先生は概して目をそらしている人を選びがちだから。
意外なことに、奈波の存在が恋しくなった。そういう自由奔放な人と友達になるなんて思いもしなかったというのに。
教室を見回しても、未だに見知らぬ顔ばかりだ。本当はもっと友達を作ったほうがいいだろうが、もう二年生だし、この期に及んで何ができるというのか。
だって、みんなとっくに友達を決めているはずだから。
もし、私が奈波の使っていたパソコンを奪おうとしていなければ――奈波が悪口を言われていなければ、彼女と友達になる機会はなかっただろう。
「彼岸花は不吉なだけではない。奇跡を起こすこともあるのだ」
私は後藤さんが読んだ言葉に突然我に返った。偶然にも、その言葉は私の考えていたことと重なった。
そう、奈波と出会えたのは彼岸花の呪いではあったかもしれないが、彼岸花の奇跡でもあったのだ。
そう考えると、もう一度彼岸花畑を訪れるのはやぶさかではなくなった。
静まり返った教室に、椅子を引き寄せる音が鳴り響く。
「じゃあ、次はー、えっとー」
まじまじと。
選ばれないように。
しかし、思うようには行かなかった。
「
――結局、先生が私を選びやがったのだ!
どうしよう。何でもいいから、時間を
しかし
立ち上がり、ページをめくると――。
「痛っ!」
前触れもなく、人差し指に鮮血が伝った。
紙で指を切ってしまったようだ。ちなみに、これは海外でペーパーカットと呼ばれているそうだ。
「風田さん、大丈夫ですか?」
クラスメイトたちの心配そうな視線が私に集まった。
先生は教壇を離れ、こちらに向かってくる。
「紙で指を切ったんですが」
私は指を立てて言った。
未だに流れている鮮血は、春雨の如く床に落ちていく。ぽつり、ぽつり。
最初はすごく痛かったが、なぜか今はその痛みを一切感じない。
「じゃあ、朗読は一旦中断します。先生は教室を離れるわけにはいかないので、誰か風田さんを保健室に連れていってください」
その言葉に、教室は沈黙に包まれる。
立ち上がったまま、私は教室内を見回してみた。当然のことながら、手を挙げたのは
まあ、朗読せずにすんだし、これでいいだろう。
教室を後にしたきり、恵梨華は一言も話していない。
さほど重傷ではないはずなのに、彼女は心配げな表情でしきりにこちらを振り向いている。
私は切った指に視線を落とした。細長く、繊細な指に鮮血が未だに伝っている。
後ろを振り返ると、いくつかの小さな血だまりが足跡のように残っていた。
――なんでだろう。どうして血が止まらないのだろうか?
正直言って、怖い。鮮血が滝のように絶え間なく流れ続けるのが。
紙で指を切っただけなのに……。
「恵梨華……そろそろ保健室に着くよね……」
視界がぼやけ始めた。もうどこに行っているのかわからない。ただ恵梨華を信じて、彼女の足音を頼りに歩くことしかできない。
「うん……もう少し頑張ってね」
そう言って、恵梨華はふらつく私に手を差し伸べてくれた。
頼もしい彼女の
私の血が恵梨華の綺麗な制服を汚してしまうかと思ったが、幸いそうはなかった。
私は一安心して、されるがままになる。
「ありがとう、恵梨華」
私をこれまで助けてくれる人は、親を除いて存在しないとずっと思っていた。
しかし、違った。
困っている人を助ける。本来ならば、それが友達そのものだ。それなのに、これまでの人生には、困ったときに助けてくれない自称『友達』が大勢いた。
だから、私は友達が少ないと言える。
友達が十人もいるとしても、十人の中で一人しか私を助けようとしないなら、実は友達が一人しかいないのだ。
――もし、奈波が同じクラスにいるとしたら。今、恵梨華と同じように、私を助けてくれたのかな。
真っ白がどこまでも続く部屋に、私は立っている。
ここは保健室なのだろう。
ここにたどり着けたのは、すべて恵梨華のおかげだ。
私が椅子に座った途端、恵梨華はおもむろに
「ごめんね、彩夏。多分教室に戻ってこないと先生に怒られてしまうから……」
恵梨華は申し訳なさそうな顔でこちらを向いた。
「そこまでして私を助けてくれたし、怒るわけがないでしょ。だから、そんな顔はしなくていいんだよ」
私の言葉に、恵梨華は突然笑みを浮かべた。
それを見て、私は内心ほっとした。
恵梨華は本当にいい人だから、自分を責めないでほしい。
「そうね、彩夏。じゃあ、またね」
「またね」
私は別れを告げて、多少うろたえている看護師に視線を向けた。
「あの、指で紙を切ったんですけど……」
「こ、これは今すぐ救急車を呼ばないと!」
看護師は慌てて手近な絆創膏を手に取り、私に手渡してくれた。
看護師が電話をかけている間に、私は絆創膏を指に巻いた。それでも、血がまだ止まってくれなかった。
少なくとも、床や制服がこれ以上汚れずにすむだろう。
私は吐息を漏らし、血染めの絆創膏を見つめた。
やはり、この切り傷はもう学校看護師の手に負えない段階にある。もしかして、病院の医者も何もできないかもしれない。
が、今はそういうことを考えている場合ではない。
周りのみんなはできることをしてくれたし、あとは救急車を待つしかない。
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