第11話 閉館時間、一刻を争う

 放課後のチャイムが鳴ると、あたしは昨日と同じように彩夏の教室まで廊下を突き進み、恵梨華えりかと合流した。

「準備いい?」

 あたしがそう訊くと、恵梨華はこちらに顔を向けた。

「ええ、彩夏のお見舞いに行こうね」

 そう言って、恵梨華は教室のドアに向かっていく。

 追いかけようとしているかのように少し遅れてなびく長髪が、一瞬あたしの視界をかすめた。

 恵梨華がドアを開けようとした矢先に、あたしは彼女を呼び止めた。

「ね、恵梨華……。『君なら、この病気は克服できるはずなのよ』って、彩夏に言ったよね。本当にそう信じているの? それとも、ただ彩夏を慰めたくてそう言ったの?」

 あたしの問いに、恵梨華は心配げに眉をひそめた。前に垂れた何房かの髪の毛を払いのけ、口を開く。

「わからないよ。病気のことも、克服できるのかも。それでも、私たちはお見舞いに行かないと。私たちの声が聞こえているかもしれない彩夏を、支えてあげるために」

 恵梨華は真顔で言った。

 あたしは、なんで彼女を疑っているのだろう。嫉妬か? それとも自分の気持ちを、彼女に投影しているのだろうか?

「あたし、そうは思わないけどね。彩夏はきっと頑張っているけど、もう手遅れなんじゃないの?」

 あたしの言葉に、恵梨華は目をみはる。

 まあ、無理もない。彩夏の友達と自称しているあたしにそんな言葉を聞きたくないのはわかっているが。

「手遅れだと? どういうこと?」

 首をかしげる恵梨華に、あたしは深呼吸をして躊躇なく本心を明かす。

「正直言って、彩夏がこの病気に勝てるとは信じていない。目がずっと閉じたままで何も見えないし、身動きが取れないし。あ、でも彩夏を信じていないわけじゃないさ。ただ状況を客観的に見れば、克服できるわけがないと誰でもわかるでしょ」

 気のせいか、恵梨華の双眸そうぼううるんでいるように見える。できるだけ涙を抑えようとしているかのように。

 やはり、本心を明かすべきではなかったのか?

 ただ恵梨華を傷つけてしまって、何も得なかったのか?

 隠し事はしたくないから本心を明かしたのだが、今のは建前でよかっただろう。

 嫌でも嘘をつけばよかっただろう。

 恵梨華を傷つけないように。

 仲違いせず、一緒に彩夏を支えてあげるように。

「ごめんね。今日はお見舞いに行かない」

 あたしはそう言い残し、教室を後にした。手を伸ばそうとした恵梨華に見向きもせず。

 彩夏が病気にかかったのは恵梨華のせいでも、特定できる誰かのせいでもない。それなのに、あたしは全部恵梨華のせいにしてしまった。

 このまま家に帰ろうかと思ったが、そうしてもうんざりするだけ。

 静まり返った廊下に、あたしの靴音しか響かない。恵梨華はまだ教室にいるだろう。

 目指すのは学校図書館。やり残したことをやり遂げるために。

 あの日、単なる暇つぶしにパソコンを使いたかったわけではない。実は、あたしも調べたいことがあった。

 そして、ほとんどの生徒が部活をしているか帰路についている今なら、あっという間にパソコンを見つけるはずだ。


 学校図書館に入ると、司書が突然立ち上がった。

「すみません、あと五分に図書館が閉館しますので」

「あれ? ここ、学校図書館でしょう?」

「そうなんですが?」

 あたしの言葉がいまいちわからなかったのか、司書は首をかしげた。

「だから、学校が終わってすぐに閉まるなんておかしくないですか?」

 唇を尖らすあたし。でも構わずにこちらをにらみつける司書。

「あと五分で閉館すると言いましたよ。閉まらない内に、したいことをしてください」

 たった五分で何ができるというのか?

 図書館のパソコンはいつも遅いし、ログインするだけで三分もかかりかねない。

 ――まあ、せっかくだからやってみようか。

 あたしは全力疾走するチーターの如く、亜光速でユーザー名とパスワードを入力して、大人しく待つ。

 意外なことに、ログインしてブラウザを開くのに三十秒しかかからなかった。侮って申し訳ございません、パソコン様。

 『検索するなら今だ!』と自分に言い聞かせ、間髪入れずにキーボードに指を走らせ始めた。とんでもない速さでキーを打っているし、だいたい変換ミスしてもおかしくない。

 閉館まで、あと何分残っているのだろうか?

 まあ、もし遅すぎたら司書は丁寧に教えてくれるだろうし、今はそんなことを考える場合ではない。

 キーワードを打ち、思い切ってEnterキーを叩く。

 数秒後、いくつかのサイトが画面に表示される。

 迫る閉館時間のせいで見出ししか読まなかったが、それでもう十二分だった。

 パソコンをシャットダウンして、あたしは思わず苦笑した。

 

 ⯁  ⯁  ⯁


 あの日パソコンを使いたかったのは、彼岸花の危険さを調べたかったからだ。

 しかし、彩夏に先んじられたせいで、結局何も調べられなかった。

 でも今は違う。ようやく調べられたからこそ、こう断言できる。

 

 ――あたしと彩夏をつなぐものは、紛れもなくあの彼岸花畑なのだ、と。


 あたしはずっと行っていた。一人になれる、唯一無二の居場所に。

 が、最近そこに行ったとき彩夏の姿を見かけ、すぐ家に帰りたくなってしょうがなかった。

 一人になれなければそこに行くのは無意味だろう、とずっと自分に言い聞かせていた。

 だから、正直言うと最初は彩夏を恨んでいた。

 しかし、いざ学食で彩夏と話してみたら、実はいい人だった。

 あたしはもう彩夏を恨んでいない。というか、恨めないのだ。なぜなら、あたしと彼女を繋ぐものはもう一つあるから。

 彩夏がこの病気を克服できるわけがないと言った理由にも繋がっているものが。


 ――それが、彼岸花の呪いによる難病なのだ。


 心なしか、あたしはずっとそう思っていた。実は何らかの病気にかかっているのではないか、と。

 それでもずっと自分の疑問を否定していた。なんでもないよ、と作り笑いを浮かべながら言い張っていた。みんなに心配をかけないように。


「はい、閉館時間です」

 あたしは司書の澄み切った声で我に返った。

「ありがとうございました」

 とあたしは返したが、立ち上がって図書館を後にしようとした矢先に、なぜか前のめりになった。

 つまずいたのかな?

 いや、図書館の床にカーペットが敷いてあるし、躓くわけがない。

 それでも、足が痙攣した感覚がしなくもなかった。何かがおかしい。

「あの、大丈夫ですか?」

 言いながら、司書がこちらに向かってきた。

 幸い、あたしは倒れてしまう前になんとかバランスを取り戻せたが、もしまた同じことが起きたらどうなるのだろう……。

「大丈夫です」

 そう言って、あたしはもう一度学校図書館を後にしようとする。

 木製のドアに近づき、ゆっくりと開けた。二度と足が痙攣しないことを願いながら。

 とはいえ、日本の人口は相当多いし、みんなそれぞれの願い事をしているので、あたしの願い事が叶わなくてもおかしくはない。

 廊下を数歩進んだところで、そんな現実的な考え方をしていたせいか、結局あたしは願い事が叶わずに倒れてしまった。

 最後に聞こえたのは、紛れもなく司書の声。

 彼女の言葉は、『大丈夫ですか?』だったのかもしれなかった。

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