女性が惑うとき

 小雨が降っている。外濠近くのカフェ。外の緑が見える窓際の席に、こちらに背中を向けて座っている女性。
 首から肩がほそく、まだ学生のような趣きがある。
 背は高めで、カシミヤが似合うだろう。化粧は薄いが丁寧だ。
 紅茶がはこばれてくる。
 横顔がとくにいい。

 目立たないが美人。そんな女性像がありありと眼に浮かぶ。
 ここまでくれば小説としては成功したようなものだ。

 品格のある落ち着いた文章がたいへんに心地よく、いつまでも浸っていたくなる。
 主人公は藍子。小学生の一人息子と夫と暮らしており、司書の産休の穴を埋めるために大学図書館を手伝っている。
 学生時代の愛読書はドストエフスキー。
 夫との仲はすでに冷えているが、息子のためにも家族の形態を維持している。

 通える場所に暮らす藍子の母親はやや我儘、娘が自分のために都合をつけるのは当然と想い込み、想い通りにならないと心配するふりをしながら家に押しかけてくる。
 他者の感情に配慮する能力が極度に低いデリカシーのない女親で、どんなに説明したところで、やはり理解は届かないというタイプだろう。

 感情を閉ざして生きてきた藍子のもとに、シンガポールからの留学生マーク・チャンが現れる。
 十七歳も年下の若々しい青年は、十七歳も年上の藍子に、男らしさを覗かせる。
 跡取り息子のマークもまた、人生を最初から閉ざされて生きており、『選ばされている道』を生きていた。

 この小説は不倫を書いたものではなく、人生を固められて生きてきた人間の心の解放をうたっている。
 少女たちに対してかくあれかしと望まれる白いワンピース姿は、女性の行動を制限するものではなく、さあ想い切り汚しておいでと送り出される為のものなのだ。

 さあ想い切り汚れておいで。
 自ら選んだその汚れは心の澱をすくい上げ、高い空へと放つだろう。

 小雨が降っている。窓の外を眺めながら注文した紅茶に口をつける女性の後ろ姿。
 その背筋は、もう以前の彼女とは違うのだ。

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