最近、年寄りで、もう余命幾ばくも無い、この変態ジジイの頭の中を掠めるのは、
『カクヨムに潜む天才達』と言う、投稿作家さんの実名入りのエッセイなのですが……。
概ね、約10名程度、このジジイの頭の中には、その作家名が浮かんでいますが、
下手に、投稿すると、「何で、この俺や、私の名前が入っていないのだ?」
との、「カクヨム」始まって以来の、「炎上」が起きそうですので、とても、実名入りで書けませんよね……。
ですが、「小説家になろう」であろうが、「カクヨム」であろうが、
「地に潜む龍(天才)はいる!!!」
これが、この私の出した結論です。
ともかく、「カクヨム」で、最低でも、1000人分の作品を読んだら、この超驚愕のエッセイ、『カクヨムに潜む天才達』を書きたいですよね。
ところで、この作者先生の、『この身体は誰が為』、一度でも、読んで見て下さい。
文句がありましたら、この私の「近況ノート」に、書き込んで下さいね!!!
待っておりますよ!!!
この世界は広く、雨が降ることを喜ぶ人もいれば憤る人もいることでしょう。
それでも、『雨』という言葉が纏う一抹の寂しさを否定する人はいないのではないでしょうか。
傘を差さなければならない煩わしさや水たまりに濡れる足元など、雨がなくては生きていけない我々はそれらを受け入れつつ今日も生きています。
本作を読んで思い出すのは、幼い日に雨が降った時の記憶です。
傘を持たずに外に出てしまった家族のため、傘を持って行く――そんなシーンが物語ではよく描かれますが、実際に迎えに来てくれる家族がいる人ばかりではないのです。
本作が描くのは、雨に纏わる寂しさと温かさ。
是非あなたも雨に思いを馳せてみませんか。
”家族とは”と問われて、胸が痛む人は多いのではないだろうか。
一番近くて遠い存在。
何でも言えるから傷つける言葉も平気で出るし、逃げられないから殻も厚くなりやすい。
わかってほしい、わかってくれない。
大なり小なり、戦争状態。
一番か弱い存在の”子ども”から見た風景。
自然、生活、自分。
子どもは、比べている。
言ってはいけないこともわかっている。
大人を困らせたくない。
子どもなりに、社会を見て、社会を理解している。
子どもなりの愛だ。
それが正しいことかは別として。
その愛に、何を返してやるのか。
自分のやれることをやる。
実直に生きるとは、そういうこと。
出だしから最後まで芯が通った作品だと思いました。