わたしは自己愛性人格障碍者の被害者(ターゲット)なのだが、この障碍者のターゲットになっているのだ……と気づいたのは、毒親さんや、DV被害者が書かれていたネットの記事だった。
そこに書かれていた毒人間の特徴が、セリフまでぴったり一致したのである。
脳の障害ゆえに、行動パターンが全て同じで、何があろうと絶対に自分は悪くない、絶対に自分はターゲットよりも上座なのだという姿勢を崩さないがゆえに、そうなるようだ。
なのでこの作品についてもすぐに「あれだ」とピンときた。
毎回のことであるがもう笑えるくらいに、やられること・云われること・相手の脳のおかしさが、ぴったり同じでびっくりだ。
医者は口を揃える。
自己愛からは逃げて下さい。
モメサ、フレネミー、マニピュレーター。
人格障碍者には対処法がない。
そして人格障碍者は一度ターゲットを定めると、人間の味を覚えた熊のように絶対に離れない。
店員に惚れこんで、拒否されても拒否されてもつきまとい、「認知が歪んでいるのでは」「反抗期では」としか受け止めないストーカーがいるがあれと同じだ。
そして自己愛は「投影」という方法で、自分の汚点はターゲットのものとして云い触らしていく。
とくに迷惑なのが、ターゲットの周囲への対人操作である。
「わたしは嘘だけはつけないから。わたしは正直者だから」
「ターゲットは嘘つきだよ。毒をもってるよ」
自己愛から耳もとで囁かれると、ふしぎなことに人は、それを耳打ちしてくる人間のことを、なんと完全無欠で嘘のない心の清い高徳者なのだろう、と思うようなのだ。
こうやって一人一人、自己愛はターゲットの周囲の人間を自分の手駒としてかき集め、ターゲットへの攻撃駒として育てていく。
そこでの自己愛は、「悪意なんかなかったのに誤解された被害者なの」とチヤホヤされるヒロインであるし、ターゲットの周囲の人間を取り上げることで、「あんな女よりもやっぱり何ひとつ努力しないわたしの方が優れていて魅力的だったか!」そんな勝利感を得る。
真性のテイカーである自己愛は人間関係を横取りをするのだ。
その言い訳としては、ターゲットが認知の歪んだコミュ障害なので(いつのまにかそんな汚名がついている)人と仲良く出来るようにこの自己愛があの子と仲良くしてあげてと頼んであげていた! と云ったり、
「ターゲットも、拗ねてないで人のことを信じることが出来る人になって欲しい」
とまで云う。
自己愛が美味しい役を独占して全てが回るこの状態は、『自己愛劇場』と呼ばれている。
自己愛性人格障碍者は、ターゲットの価値下げをする。それは巧妙な云い方ではじまる。
「ターゲットは注意するとすぐにいじける」
「ターゲットは基礎の基礎も出来てないから心配」
「ターゲットはすぐに人にあたる」などだ。
24時間かぶりつきでターゲットのことを監視でもしていないと、そんなことは分からないのでは? ということでも嘘をついて云い触らす。
ターゲットの悪評が広まり、ターゲットの人生が潰れてくれたらそれでいい。
嘘をついても「わたしは嘘だけはつけない」という設定で生きているので平然としている。
嘘をつけばつくほど、自己愛は「ターゲットは嘘つきだよ!」と投影で云い触らす。
そういう障害なのだ。
「ターゲットに変わって欲しくて……」
指導者ぶり親切ぶった自己愛の口説の中にしのばされている支配欲や悪意。
そこを見破れる人は洗脳されない。
しかし大半の人は洗脳されてしまう。
妻の立場にいたある被害者を例にする。
一流企業でばりばり働いていた彼女は自己愛と結婚した途端、どんな些細なミスでも重大な落ち度のように責め立てられ、「妻は出来が悪いから」と大声で外にも云われ、自尊心を毎日削られていった挙句に、もう無理だと家出したところ、夫は、妻の親族、妻の友人、妻の会社にまで押しかけて、自分に都合のいい話を泣き落としで云い広めて人前で土下座まで果たし、
「ここまで努力してくれているのに、夫と関係を再構築しないなんて頑な人」
戻らざるを得ない雰囲気に持ち込まれてうっかり家に戻った。
その日のうちに妻は骨を折られている。
自己愛はターゲットのことをパイプ椅子で自分が好き放題にぶん殴れるサンドバッグとしか思っていない。
密室に二人きりになると、さっきまで「俺が悪かった許してくれ。愛している」と泣いて土下座していたのが急変して、
「よくも俺さまにここまでの手間をかけさせやがったな」
になるのだ。
もしあなたが、「ちょっとすみません。ターゲットのことで話があります」と肩を叩かれる時があれば、どうかこの障害のことを想い出して欲しい。
でもきっとあなたは簡単に洗脳されてしまうだろう。
わんわん泣いて土下座する夫の姿に誰もがほだされて、「悪意なんかこの世にあるわけないじゃない。あなたの至らないところを指摘してくれていたのだから感謝して許してあげなさいよ!」と妻を憎しみをこめて責めたてた、妻の身近な人たちのように。