幅広く
映画は嘘で塗り固められ、誇張によって包装されている。ノンフィクションというジャンルも含めて、例外らしい例外など存在しない。
それを弁えた上で、僕たちは映画を観る。
だからこそ映画の中の世界は魅力的で、美しくて、真実味がある。
いや、真実味があるというと語弊があるかもしれない。そうじゃなくて。
理解できる、納得できる。
つまりそういうこと。
たとえ全てが虚構でヒステリックな論理展開だとしても、度し難い真実よりも分かりやすい嘘のほうが尊いものだ。
ある一方向に歪んでいなければ物語にはならない。
でなければそれは支離滅裂な事実の羅列でしかない。
ゾンビがはびこるスクランブル交差点のカメラを眺めてはい九十分ですと言われるよりは、ゾンビになった主人公を射殺してヒロインが夕日の先に向かってスタッフロールが流れるほうが絶対にいいという話だ。
「百円くらいは楽しめたかな」
「えー……」
でも猫原さんには不評らしかった。
いつの間にかぐでんと肘掛けに顎を置いている。
「せっかく映画なら、ちゃんとハッピーエンドがいいです、私」
「ハッピーって、何をもってハッピーって言うんだろうね」
「そりゃ、めでたしめでたしで締められるかどうかでしょう」
「めでたくなかった?」
「めでたかったんですか?」
「……まあ、ほら。あんな世界でちゃんと恋人に送ってもらえたわけだから。さて、九時か。僕はシャワーを浴びてこようかな」
「あ、ついでに私の着替えの用意もお願いします」
言いつつ、猫原さんはズボンからベルトを引き抜いて渡してくる。
「それ返しちゃうの? さすがに、いくら紐で締めても成人男性のウエストは成人男性のウエストでしかないと思うんだけど」
「見たければ見てもいいですってば。ベルト付けて寝たら痛いってほうが問題です」
「どうせなら、コンビニじゃなくて、ちゃんとした服屋に寄ればよかったね」
「別にいいのに」
なんだか見せることが目的になっているような気がしてくるくらい寛容で、実に面倒だった。僕に女子高生に欲情する趣味はないっていうのに。
まあ、僕が本当に仏法の理に至ってさえいれば、どんな破廉恥な格好の女子高生がいたところで何の問題もないわけだけど。決してそこまでではなかった。
いっそ素直に抱けたらいいのに。
嘘だけど。
寝間着を用意して脱衣所に入ると、ようやく僕は独りになった。思えばもう六時間くらい猫原さんと一緒にいるわけだ。もう六時間と言うべきか、まだ六時間と言うべきか。少なくとも僕が誰かと共有する時間という意味では、ここ数年で一番長いのは間違いなかった。
服を脱ぐのに少し躊躇してから、脱衣所に鍵をかけてボタンを外した。抜け殻は洗濯機の中にまとめて入れた。
栓をひねるとシャワーは束の間ぬるま湯を吐き出して、すぐに四十度の熱さで肌を打つ。
白く煙る鏡の中には僕が立っている。
黒く濁る心の奥には君が立っている。
いつも通りに、いつもよりも少しだけ色濃く。
おかげさまで僕はきっと間違えない。
目を瞑って頭からあたたかい雨を浴びて、シャンプーを手のひらに出して泡立てた。
そういえば、シャンプーにも男性用女性用はあるんだっけ。いま僕の頭でじゃくじゃく言っているのがどっちなのかも知らないけど。
ドライヤーとタオルを手に脱衣所の鍵を開ける。
「どうぞ」
「あ、どうも」
猫原さんは僕の渡したパジャマとコンビニのショーツを小脇に抱えて、両手でズボンを抑えながらひょこひょこ歩いてきた。片方の手にはコスメセットなるパッケージも見える。
「どこかで既視感のある動きだ」
「……や、わかんないですけど。脱いだ服ってどうしたらいいですか?」
「洗濯機の中に入れるのでなければ、君の好きなように」
「わかりました」
すれ違って、そこで気づく。
「あれだ。障害競争だ。ハードルじゃなくて、ずだ袋履くほうの」
「やったことないです」
いや、やったことは僕もないけどさ。
少し遅れて扉がスライドする。何か音が聞こえるより先に僕は歩き出した。
部屋の隅のコンセントでドライヤーを起動して、すでに点いていたテレビを遠巻きに眺めながら髪を乾かす。
左上のアナログ時計表示はゼロキュウイチキュウ。九時のニュースキャスターはやけに真面目に見えるのは何でだろうと思いつつ、毎日代り映えのしないニュースを聞き流す。
「……あ、やば」
スマホ、洗面台に置いてきちゃった。
後で取りに行けばいいか。ただ僕が暇なだけだ。
そこで僕が来てから七分が経って、天気予報が始まった。
どうやら明日も雨らしい。
その天気予報も終わって、よくわからない社会問題を取り扱う四角い番組が始まって、さらに幾ばくか。がらりと洗面所の扉が格納された。
ほかほかした猫原さんの髪はライム色のタオルでまとめられているのが意外と似合っている。案の定というか服のほうのサイズは日常系アニメくらいゆるゆるで、ほとんど胸元で覗く襟元やらずり落ちた左のふとももやらがやたらとなまめかしい。でも、右はちゃんと押さえているのに左を放っているのは、左手に僕のスマホを持っていたからだ。
「置き忘れてましたよ」
「ああ、どうも」
「……あの、本当に、迷惑じゃなかったですか? 私。いや、普通に考えたら迷惑なのは当たり前なんですけど、あんまりその自覚がなかったというか」
「あー、何の話?」
と言いつつ、なんとなく事態は察せたので、受け取ったスマホを点けてみる。SEINメッセージのポップアップ通知が一件、ついさっき。
『そういや、着替えは用意してあげたわけ? ないならうちの貸してもいいけど』
せめて一時間前には言ってほしかったセリフだ。
「一億年前に言ってほしかったセリフだね」
ちょっと盛ってみた。
「いや、その……すみません。色々」
「何の話か知らないけど。とりあえず、そうだな」
スマホをもう一度猫原さんの手に握らせる。
「一時間前に言ってくれればえっちな格好しなくて済んだんですけど、って書いといて」
「はあ?」
困惑顔が一段階グレードアップした。
それでもキーボードを呼び出す。
「あの、誰だお前って言われたんですけど」
「ニャン原月子十八歳、星、いまをときめく現役女子高生アイドルだよ、はーと」
「誰ですかそいつ。私十七歳ですけど」
「十七歳なんだ。何月生まれ?」
「十一月です」
良かった。高二ではなかった。
いや良くないのか、受験生。
「だいたい分かったからあの変態に代われ、って来てます」
「バレるの早いなぁ」
受け取る。
『はいお電話代わりました成沢です』
『お前何させてんの?』
わりとマジのトーンだった。文字にも声音はある。
『君の一時間遅いメッセージに対する僕らの苦情をお茶目に表現してみただけだよ』
『全部妄想でしたってほうがまだマシなんだけど、ガチの犯罪じゃないよな?』
『男女が同じお風呂に入る施設くらいには犯罪じゃない』
『信じるからな?』
『信じていいよ』
『で、結局着替えはどうしたわけ。そのまま?』
『彼女たっての希望で僕のパジャマを着ている。ショーツはコンビニで買った。ブラはどうしてるのか知らない』
『通報する』
『事実って噂と比べて全然伝わらないよね』
スチール缶の上にミカンが乗ったスタンプを送って、スマホを切る。
「怒られた」
簡潔にまとめると、そういうことだった。
「あの、結局、どちら様なんですか? 彼女じゃないんですか?」
「彼女いたことなんてないって言ったじゃん」
「じゃあ姉妹とか?」
「いや。このマンションの八階に住んでいて、僕と違ってマジで一歩も部屋から出ることがない、真正引きこもり少女、二十三歳」
語呂が良かったので言ってみたけど、さすがに二十三歳を少女というのは無理があるかもしれない。
「なんですかそれ……」
「色々あるんだよ、彼女にも」
「いやそこはいいですけど。結局どういう関係なんですか。私がここにいて大丈夫なんですか?」
「何があっても部屋から出ないって。あと、本当にただの友達。あるいは腐れ縁か、高校のときのクラスメイト。勝手に君のこと話しちゃって悪かった。そして、そもそも君がここにいることが問題ないわけないだろってこと以外には、特に問題はない」
あー。
ちょっと変だなあ、と、思うだけ思っておく。
それはもう決して『ちょっと』という話じゃないことには薄々感づいていたけれど、僕が異常と認めない限り、僕の世界は正しく続く。
「だから、君の好きにするといいよ」
猫原さんは、まだ何となくぎこちなさそうに、「ドライヤーを貸してください」と言った。
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