第11話 理想的な日曜日
ぶらぶらと昼下がりの世界を歩いている。雨は降っているが、このところの大雨に比べればかわいいもので、傘を叩く雨音はどこか楽しげだ。
今日の猫原さんは制服でもなければ男ものの服を着ているわけでもない、ただの普通にかわいい女の子なので、僕も少しばかり気分がいい。とはいっても例によって縦隊行軍なので、僕の視界にその姿は入ってこないのだけど。
「何か食べたいものある?」
「とくには。おすすめのお店とか……ないですよね、成沢さんには」
どういう意味?
「よく行くお店くらいはあるよ。君を連れていくのははばかられるけど」
ちら、と普通にかわいい女の子を、より厳密にはその服装に視線を送る。
「女の子とお話するバーとかですか?」
「いや、そういう方面じゃなくて。汁が跳ねたらいけないと思って」
「ラーメンとか、うどんとか?」
「そう、ラーメン。好きなんだよね」
好きなのだった。僕が有する数少ない地元性である。
「いいですよ? そういうの、外ではあまり食べたことないので。ちょっと興味あります。あとですね、女の子は汁を跳ねさせない食べ方というのを知ってるんですよ」
「博識だね、女の子」
私は気にしませんけど、なんて言われなくてよかった。
「で、どこなんですか?」
「すぐだよ。ここから五分歩かない」
「駅チカですね」
「それなりに安くてかなり美味しいから、なかなか人気でね。最近は人出も戻って、また並び出してる。行くなら早くいったほうがいいかもね」
「じゃあ、急ぎましょう」
とは言ったものの、僕も彼女も走る気なんてさらさらなかったので、気持ち早歩きでラーメン屋に向かった。
幸いなことに席はギリギリ空いていて、カウンターで構わないと伝えると、すぐに中に案内してくれた。まもなく背後で人が並びだす気配がする。優越感とは少し違う何かを持て余しながら、食券機の前で財布を取り出す。
「成沢さんは、いつもはどれ頼むんですか?」
「ネギ山とぎょうざ」
答えつつ、その通りにボタンを押下した。
これで千円で五十円のお釣りがくる。安い。
「じゃあ、私もネギラーメンにします」
各々食券を買って、隣り合わせにカウンター前に座った。カウンターの向こうではがちゃがちゃと二人のスタッフがせわしなく茹で機やらスープの鍋やらを行き来している。ああ、ラーメン屋だ。謎の実感を得る。
食券が回収し、入れ替わりにお冷とペーパータオルが提供されて間もなく、まずぎょうざが手早く焼かれて先に出てきた。
そのかたわら、厨房ではスープを温めて、麺を茹でに入れて、器に油を入れて、茹で上がった麺を器に、そして温まったスープをそっと流し入れる。チャーシュー、それに大量のネギを盛って出来上がり。この間約五分。
「はいお待ち」
「ネギ、すごいですね」
「ネギラーメンだからね」
ふと気になって猫原さんの跳ねないラーメンの食べ方とやらを観察してみると、確かに跳ねていない。レンゲの上に小さく麺をまとめて、ついばむように食する。大変様になっている。
「あ、おいしい」
「でしょ」
もう一口を口元に運ぼうとした猫原さんが、不意に上目遣いに僕を見た。
「あの、そんなに見られてると、食べづらいんですけど」
「ごめん」
そりゃそうだ。僕が悪かった。
僕は普通にすすって食べた。多少跳ねているかもしれないが、なにせ三枚組で売られている安いシャツと、汚れても全然気にしないパーカーしか着ていない。
そんなことより、ねぎが美味い。
「なんだか、ラーメンも久しぶりに食べました」
「僕は、三日ぶりかな」
「ええ? そんなに好きなんですか?」
「まあ、好きだけど……別に好きじゃなくても、一人暮らしのラーメン密度なんてこんなものでしょ。外食にしろインスタントにしろ、とにかくお手軽だからね」
「いや、違うし。健康診断とか大丈夫なんですか?」
「僕、個人事業主だから」
「受けてないんですね。成沢さんらしいです」
「うん、とても僕らしい。問題っていうのは、気づかなければ問題じゃないからね」
そう僕が返すと、皮肉をつぶされた猫原さんは、はぁ、とほんのり白い息を吐いて、ラーメンを味わいに戻る。
真理だと思うんだけどな。
やがて僕が器の中の麺をあらかた食べきって、ちびちびとスープをすくって飲んでいると、僕に少しだけ遅れて猫原さんがレンゲを置いて、おしぼりを裏返しに畳んで、口元を拭いた。
「さて、失礼しようか。後ろもつかえてるみたいだし」
「そうですね」
あゃんしたー、という店員の鳴き声を聞きながら、外に出る。
「それで、このあとどうする?」
「日曜日のデートはまだ始まったばかりじゃないですか。ゲームセンターにでも行きましょうか?」
と言って、猫原さんは傘を差した。
ゲームセンターに行ってみると、それなりに人がいた。
しかしおひとり様か同性グループかばかりらしく、僕たちは相対的にやや浮いている。
気にしているのかいないのか、たぶん気にしていないのだろう、猫原さんはすっとんきょうな疑問を口にした。
「太鼓の達人ってどこ行っても入り口近くにありませんか?」
「いまいち否定できないね。まあ、あれかな。太鼓は家族連れとかもかなりやるから、比較的マニアックなゲームを奥にしておいたほうが、導線として都合がいいのかも。知らないけど」
「成沢さんはやります?」
「あんまり」
「ていうかゲーセン来ます?」
「あんまり。君こそ、意外と来るの?」
「うーん、そこそこ? 月一くらいです」
「見事にそこそこだね」
ですよね、と笑って、猫原さんがクレーンゲームの島に足を向ける。フィギュアやら何やらが陳列されている中を進んでいると、ふと一歩前を歩く猫原さんが立ち止まった。ぬいぐるみかキーホルダーかマタタビかと視線を向けてみると、なんてことはない、そこに積まれていたのはただのスナック菓子だ。じゃがいもとその他もろもろを練って棒状に加工したアレだ。
僕がぼけっとしている間に猫原さんは筐体に百円を滑らせると、淀みない手つきで山の一画を崩し、あっさりとダブルゲットをかましていた。
「どうぞ」
サラダ味のほうが差し出される。
「どうも。手際がいいね」
「お菓子は普通に取れるから好きなんですよね」
「なるほどね」
対抗意識というわけではないけれど、僕も同じように百円を投入してみる。案外指はそつなく動いてくれた。僕もふたつ取れた。でも両方サラダ味だった。
「どっちがいい?」
両手に持って聞いてみる。
「どっちも同じじゃないですか」
「もしかしたら違うかもしれないじゃん」
「どういう風に?」
「開けたら飛び出すとか」
あったよね、そういうジョークグッズ。
猫原さんは僕の左手のものを選んで、その場で蓋を開けた。特に飛び出したりはしなかった。
沈黙。を、噛み砕くようにざくざくという音。
「あー、それで、欲しいぬいぐるみとかある?」
「何ですか急に」
「だって、ゲーセンでデートっていったら、彼氏がぬいぐるみ取ってあげるのがテンプレートみたいなところがあるから」
「取れるんですか?」
「さあ。やってみなくちゃわからない」
「えー。あ、じゃああれ。サメくんで」
辺りを見回した猫原さんがぴっと人差し指を立てる。
ガラスケースの中で憮然として鎮座しているサメくんは、おそらく抱きしめたら丁度いいくらいの大きさで、ほどよくゆるくて、ほどよくロックなデフォルメをしていた。
まるで普通の女の子みたいなチョイスをする。
「よーしおじさん頑張っちゃうぞー」
「彼氏じゃないじゃん」
小気味良いツッコミを聞きながら、とりあえず百円玉を一枚入れてみる。
「まあ、念押しすると、取れるかはわかんないけどね」
「自信あるから言ったんじゃないんですか?」
「人生で大型のプライズを取った記憶がないっていう実績ならある」
「駄目じゃないですか」
僕の心持ちを表すように頼りなく揺れる三又のアームは、しかし偶然にもサメくんをがっしりホールドすることに成功する。ただまあ、この形のアームって、天上設定までは軟弱者を装っている、いわゆる確率機である場合が。などと冷めた目つきで眺めていたのもつかの間。サメくんは普通に取り出し口まで落ちてきた。
「えっと……」
「取れちゃいましたね」
「取れちゃった。何の感慨もなく」
とりあえずサメくんを引っ張り出して二度三度手元で弄んでみる。意外と肌触りがいい。
「ちょっと手が汚れてるので、そのまま持っておいてください」
スナック菓子には油がいっぱい。
そのまま持っていろとは言われたものの、さすがに公共の場でサメくんを抱きかかえている成人男性は四捨五入したら不審者だと思うので、通りがかった店員さんに袋をもらった。シャークヘッドが収まりきっていないものの、収めようとしているんですよというスタンスを表明することができていればそれでいい。ついでにサラダ味ふたつと猫原さんのバター味も放り込んでおいた。
自動販売機が並んだ簡易休憩所があったので、猫原さんの鳴き声がざくざくしなくなるまでベンチで一休み。
ゴミ箱がやたら綺麗だったのが少し物悲しかった。
それで、これ以上何かアイテムをゲットしても持ち帰るのが手間なので、もうこのまま帰宅することにした。
傘を指す。街路脇にそっと立つ時計は二時半だ。
「そういえば、君は今日何時に帰るんだっけ」
「言ってませんよ。そもそも決めてもいませんからね。早く帰ってほしいんですか?」
「そりゃね。君は高校三年生なんだし。どこ受けるんだっけ?」
「言ってませんよ。そもそも決めてもいませんからね」
「大問題じゃん」
「まあ、進路調査には北九州市立って書いてますけど」
「近いからかな」
「まあ? あんまり考えてないから近いところに、ってほうが正しいですけど」
「この終わり行く街に居残ろうだなんて、君もなかなか郷土愛にあふれた若者だ」
「成沢さんのほうこそじゃないですか」
「僕の場合、インターネットと宅配さえあれば、どこに住んでいたって大して変わらないから。たまにめんどくさい仕事がないわけじゃないけどさ。このご時勢ではそれも減った」
「私もネットアイドルにでもなってやりましょうかね」
「素質はあると思うよ。そこそこ可愛いし。コメント欄を見て感情的になることさえなければ、きっと有名になれる」
「あー、無理ですね。死にたくなりそうです」
「そりゃ残念」
信号機が赤になる。ばつ、と電柱から降ってきたらしい大きめの雫が傘を打つ。
「君は将来、何になるのかな」
「さあ。まず大学生になるのかどうかもよくわかりません」
「そりゃ、大事な土日を無駄にしてるしね」
ばつん。まるでスラップみたい。
「私は本当に大学生になりたいんでしょうか?」
「なりたいものになれる人なんてそうそういないから、気軽に考えていいんだよ」
「そういうもんですかねぇ」
「そういうもんだ。というわけで、勉学に励みたまえ、若人」
「うーん。まあ、帰ったら少しは頑張りましょう」
ばちん。弦が弾かれる。
「成沢さんは、選択をして、なりたいものにはなれました?」
「聞くほどのことじゃないでしょ。見ればわかる」
青は進め。小節線を追い越して。
「強いて言うなら、この世で一番なりたくないものになったよ」
「それは、独り身がですか。ミュージシャンがですか」
少し悩んだ僕はなんとなく遠くに視線を送って、横断歩道を挟んだ向こうに、見覚えのある顔が歩いているのに気が付いた。決して深いつながりがあったわけではないが、昨日今日で折りに触れ何度も思い出そうとしていた顔だったので、判別には苦労しなかった。
そう、僕は、もうひとり、猫原というたぶん珍しめの名字の人間に出会ったことがあるのだ。くだらない話だけど、というやつである。本当にくだらない。君の次に愛が来るくらい、くだらない。
「猫原さん」
「はい?」
「もう少しだけ、遊ぼうか」
「え? まあ、はい。って、え、ちょっと、成沢さん?」
返答よりも先に、僕は彼女の腕を取って、一目散に路地裏のほうに早歩き。
小豆のような坊主頭に、古めかしい丸眼鏡をかけたその男性は、意外にもかわいらしい名前をしていて、僕の通っていた大学の一部では「ニャン原」として親しまれていた。
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