第12話 偽悪極悪
猫原教授はファミレスに入ってナポリタンとコーヒーを、僕と猫原さんは軽く飲み物だけ注文した。ラーメンの塩気のせいだろうか、思ったよりも喉が渇いていたらしく、烏龍茶はすぐに飲み干してしまった。
教授はさして美味そうでも不味そうでもなくナポリタンを咀嚼していて、猫原さんは烏龍茶にも手を付けずにどこか落ち着きなく首を動かしている。
教授と僕と、あとは自分の手元を右往左往。
僕もつられて手持無沙汰になって、それを誤魔化すように手を組んだ。
「単刀直入に言いますけど。娘さんとの関係がよろしくない理由って、聞いてもいいやつですか?」
無言でパスタを嚥下する。そこで僅かに顎が下に動いたのは、果たして首肯なのかどうか。
「私自身わかっていないものを、他人に伝えようがない」
違うのかよ。紛らわしい。
「じゃあほら、僕が適当に当てますね。顔を見ると奥さんを思い出すとかですか?」
猫原教授はフォークを斜めに置き、ついでに背もたれによりかかって大きなため息をついた。
「……違うさ。恐らくはな。いや、妻を思い出すこと自体は、事実だが。それで抱く感情が悲哀になるのは、また別の問題だと思わないか? 例えば──妻のように大事にするとか、そういう父親もいるだろう」
「それはそれでちょっと問題っぽい気もしますけどね。性暴力に発展しそう」
「……例えが短絡的だったことは認めようが、本質には関係のないことだ」
「ですね。失礼しました。で、えーと……次ですよね。責任感に押しつぶされてしまった!」
「こんなくだらない話がしたかったのか?」
まるで無機物を見るような感情のない視線が、すらりと世界を撫で切った。昼下がりの混雑がどこか遠くに感じられ、違いの瞳には一色にただ相手だけが写っている。
「まあ、前置きというか。やっぱり無理だよね、ってことで。要するにね。あなたの腹の中に何が詰まってるのかなんて知らねぇよ、って話がしたかったんです。こうして僕から見えるのは、そのちょっと高そうなシャツだけですから。あなたの人生には、あなたの腹の中を知るあなたが答えを出すしかない。ならいっそ、思うままにやっていいんじゃないですか?」
「……どういう意味だ?」
「思うままにやりきれてないから、こんなぐだぐだなんでしょう? 猫原さんを本気で疎ましく思うのなら、別にそれでもいいんですよ。猫原さんにとっては、そりゃいいとは言えないでしょうけど、それならそれで、彼女も貴方のことを見限るなりなんなりしますから。中途半端なのが一番気持ち悪い。誰もが最悪な形で、ひたすら損をし続ける」
「……答えを」
教授は乾いた口をコーヒーで温めてから続ける。
「答えを出せる問題なら、問題にはなっていない」
「でしょうね。だからひとまず、僕の解答です。父親面するのやめたら?」
「……本当に、無礼な男だな」
いや、まったくその通り。我ながらひどい言葉だ。
形のないものを伝える言葉はいつだって鋭く尖っている。
つまりは誇張で、すなわち嘘だ。
世界は嘘で作られて、嘘が世界を回している。
「親と娘とかひとまず考えずに、個人と個人で向き合ってみたらってことですよ。いや、まあ、無礼は無礼で間違いないんですけど」
「…………」
黙する教授に対して、僕は軽薄な笑みを浮かべる。
所詮二十半ばのロクデナシの言葉が、その筋の権威たる博士を前には、何の力もないなんてことは知っている。
だから僕は真実は語れない。僕の口から出た言葉は嘘だ。
それでも、世界がたとえ嘘だとしても、清廉で悪趣味な真実が必要になる場面だって、人生には間違いなく存在している。
全ての嘘は、真実のために存在しているのだから。
「まあ、嫌なら自分で別の答えを出してくださいよ。娘さん、もう来年大学生でしょう。あるいは社会人。僕みたいな社会不適合者になる未来は考えないとしてね。どっちにしろあなたの手元からは離れていくんですよ。もう答えを先延ばしにはできない。ここで終わらせなければ、解決できるタイミングはない。あとは一生ずるずるお互いを疎んでいくだけです。そんなの、気持ち悪すぎる」
「何度も言うようだが、出せる答えなら──」
「なら、腹を割って話すしかないんじゃないですか? どうしても解けない問題なら誰かに訊くしかないでしょ。アカデミックにいきましょうよ、教授」
してやったりだ。オチに上手く持ってこれた漫談ほど楽しいものはない。
対して猫原教授は心底嫌そうに眉にしわを寄せる。
「……この見るに堪えない鬱屈をか」
「ええ。本当に見て堪えられない間柄でしかないなら、それはそれで決心がつくでしょう?」
大きなため息。
猫原教授はフォークを取って、パスタをひと巻き口に含んだ。それがどう消化されていくのかは、僕には当然わからない。どう消化されていくのかも聞きたくない。
そんなグロいの、自分のものだけでお腹いっぱいだ。
他人のものまでいちいち背負っていられない。
だから逆に、背負えるのなら、それはきっと他人じゃない。
解決策なんてものは後付けでいい。ただ、話すだけで『答え』は示される。
「僕が話したかったことは、これで全部です」
僕は烏龍茶の代金をテーブルに置いて、席を立った。
視界の隅、それを追うように猫原さんの手が動く。
さて、どうなるかな。
なんて。
僕は、どうなってもいいんだよ。
僕は僕の話したいことを言い尽くし、やりたいことをやりきった。
であれば、その結果は知っても知らなくても同じことだ。
人事を尽くしてなんとやら。
それなら、知らなくていい。靴の踵を鳴らす。
だって、間違えていたらいたたまれないし。
普段の僕は、いつもそうする。
名前もない誰かのまま、名前も知らない誰かの道を考えて、丑三つの世界に呪いの杭を打ち続ける。末永くお幸せに、という具合に。
それが、僕。
「成沢さん」
後ろ腕を掴まれた。
呼ばれる名前。本当の僕の名前。
昨日の僕はその
手を引く彼女は、猫原優月。ざあとスコールのように世界を覆う。
「またあとで会いに行きますから、SEINはそれなりにチェックしておいてくださいね」
「……あー。うん、善処するよ。でも、君の側も、お父さんにちゃんと相談したほうがいいと思うよ。ていうか……まあ、いいや。それも君らが決めることだし」
「それと」
猫原さんは僕が座っていた席を指さして。
「サメくん持って帰ってください」
「……厄介払い?」
「しようとしたのは成沢さんのほうでしょ。生き物はちゃんと最後まで面倒みてください」
「はいはい」
サメくんで窮屈な持ち手に指をかけると、がさりとビニール袋が蠢き、中でお菓子が転がる感触がした。
◇ ◇ ◇
ビニール袋を猫原さんのリュックの隣に置いて、ソファーにどっかりと座り込む。やっぱり、今日はもうパソコンを前にする気分にはなれなかった。
仕方なく僕はチープなサメ映画をプレイヤーに呑み込ませて、透明サメに襲われる人類をぼうっと眺めている。
周りと比べるとヒロイン役の女優だけやたらと演技が達者だ。
交流会で皆がエンジョイしている中ひとりだけガチでやっている感じが出ていて、逆に滑稽みがある。
迫真の悲鳴を上げるヒロインを憐れんでいると、テーブルの上のスマホが振動し、SEINのメッセージをポップアップさせた。猫原さんかと思ったが、違った。
『【歌ってみた】ミスター・カリオプシス /二十六番』
貼り付けられたURLの下に動画のサムネイルが映っている。
『うぽつ』
『どうも』
開幕の数十秒を聞いてページをリロードする。再生数が二千ほど増えている。
『校長だね』
『うん』
ツッコミがなかった。嫌な予感がする。
『これで、歌い切っちゃったけど。先生のほうの進捗はいかがですか?』
ほらきた。
『進捗は、ないですね』
『まだスランプすか。昨日いいネタがあったでしょ』
『彼女をネタにするのはちょっと』
『まあ、なんでもいいけど』
それきりSEINは静かになった。
いよいよ、僕も自分の仕事をしないとな。
ただ、それはいまの僕ではなくて、明日の僕がするべきことだ。でなければ昨日の僕がするべきだったことだ。なんにせよ、今日じゃない。
「君もそう思うだろ」
ほら、サメくんもそうだそうだと言っている。
人類はサメには勝てないのだ。
僕はそっと取り出しボタンを押して、テレビを消した。
それから。
どれくらいの時間が流れていたのだろう。
少し目を閉じていただけのつもりのはずが、いつの間にか窓からは薄汚い夕陽が差し込んでいて、僕の秘密を淡く凌辱しようとしている。少し寝ぼけている。
僕はゆっくりと身体を起こして、テーブルの上に放置していたスマホを手に取った。
ふたりの女の子からSEINが来ている。
モテる男はつらいね、どうも。
「そう思うだろ?」
サメくんはとくに何も言わなかった。
さて、文面としてはどちらも彼女たちからよく来るタイプのメッセージで、要するにくそどうでもいい散文駄文と、部屋に行っていいですかというお誘いだった。
幸いなのか不幸なのか、一時間前のメッセージのわりに、発狂まではしていなかったけれども。まあ幸いなのだろう。
僕はゆっくりと深呼吸するように返事を打った。
夕ご飯を食べることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます