お帰りの声がある世界で

 変な女子高生改め猫原優月さんは、僕の住むマンションのエントランス前までやってきたところで、かちりとロボットが目的地にたどり着いたときみたいに立ち止まった。どうも本気でただ送迎するだけのつもりだったらしい。でも口を開

こうとも歩き出そうともしない。

 ただ立ち止まっているだけ。


「お茶でも淹れようか? ペットボトルだけど」

「何か意味あるんですか、それ」

「もれなく僕とお話ができる特典がつく」

「本気で言ってるんですか?」


 そういう彼女は全然本気で言っていなさそうだったので、僕はホスト的鷹揚さで腕を広げてみせた。


「もちろん。ただでは帰さないよ」


 いや、これはどっちかと言うと、ただのチャラいお兄さんだ。チャラいお兄さんとプロのホストは全然違う。いわば完全上位互換の関係にある。

 猫原さんは何事もなく傘を閉じて、それからまた僕のほうを見た。


「恋急いでるロープライスの乙女ゲーみたいですね」


 乙女ゲーなんてやったことないけど、なんとなくわかる気がした。

 とはいえ、気がするだけなので、果たしてこのセリフから、ロープラの乙女ゲーがいったいどう進んでいくのかは、よくわからない。というか、


「乙女ゲーとか、やるの?」

「そんな時期もあったんですよ」

「ふうん」


 財布からカードキーを抜いてかざすと、自動ドアがすんと静かに開く。


「成沢……、成沢さんはやりますか? そういうの」


 女子高生にさん付けされる人間ってそんなにいないんじゃないかな。知らないけど。


「乙女ゲーを? やらないね。残念だけど」

「それでもいいですけど。恋愛シミュレーションゲームと捉えれば、男性向けもあるじゃないですか」

「ああ」


 ギャルゲってことね。


「それなら、あるよ」

「どうでした?」

「良かったよ。真実の愛って感じで」

「そうですね」


 正面のエレベーターに向かおうとする猫原さんを、止めようかと思いはした。けれど、わざわざ止めるほどのことでもないので、僕は上向き三角のボタンが点灯するのを彼女の背後で眺めていた。

 エレベーターランプが十階から徐々に加速して、右から左に降りてくる。


「そういえば、聞いてませんでしたけど、一人暮らしなんですか?」

「なんですよ。独身貴族サイコー」

「超久々に聞きましたね、それ」

「実際問題、貴族じゃないからね。メイド服の可愛い女の子に炊事洗濯やってもらいたいなあ」

「フィクションが過ぎる……」


 ややに減速して二階から一階へとランプが移動して、軽やかな電子音と共にエレベーターが口を開ける。

 入って三階のボタンを押すと、猫原さんが不服そうな声を上げた。


「三階なら、待つより階段のほうが早かったですかね」

「そうかもね」


 やっぱり言っておけばよかったかもしれない。

 とはいえエレベーターは既に扉を閉ざし、じんわりと上昇を始めていた。


「ところで、独身貴族さんは、何のお仕事をされてるんですか?」

「えーっ、何してそうだと思いますぅ?」

「キャバ嬢ですか?」


 面倒なのを隠しもせず、猫原さんは適当を言った。

 やってはみたいけどね。たぶん僕、そういうの超得意だし。ほんとほんと。


「ヒントはね、小学生がなりたい職業ランキング常連、かな。あ、いや、最近はヴァニチューバーのほうが有力なんだっけ。それも似たようなものだろうけどね」


 ふわりとわずかに身体が浮く感覚が治まると、再びの電子音で僕たちは檻から釈放された。懲役十秒だった。

 僕は一歩先へ踏み出し、部屋までの道筋をゆっくりと辿っていく。


「スポーツ選手とか?」

「ないでしょ」


 ひらひらと手を振る。スーツで多少分かりにくいかもしれないけれど、僕はただのやせ型男性だ。


「漫画家」

「あー」

「コメディアン」

「見るのは好きだけどね」

「じゃあ、ミュージシャン」

「おめでとう。うん、主に作曲屋さん」

「ランキング入ってるか、微妙じゃないですか? どちらかといえば、中学生高校生ですよ」

「あ、そう? まあ、それならそのほうがいいや。音楽なんて目指すものじゃない」


 それもヴァニチューバーと一緒かもしれない。

 まあ、僕はヴァニチューバーじゃないから、あっちが実際どうなのかは知らないけど。


「なかなか辛辣ですね。目指すものじゃなくて、気づいたらなってるものだから、とか?」

「それでもいいけど、そこも含めて、将来の見通し立たなすぎだからってことかな」

「すごくまともですね」

「僕はとてもまともな人間だもの」


 嘘だけど。


「君は、何かなりたい職業とかあるの?」


 猫原さんは考え込んでいる風だったが、僕が立ち止まると、きっかり一歩で静止した。


「特には。お嫁さん、ですかね」

「そっか」


 部屋の鍵を開けて、カードキーを財布にしまう。

 そして扉を横に引いてから、ふと思い立って僕は後ろを振り返ってみた。


「さて、お帰りなさいませ、お嬢様」

「乙女ゲーの二人目の恋愛候補みたいですね」


 さっきよりも少しだけ受けが良かった。

 たぶん。

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