無から有を生み出せない

「これが、自炊のできない一人暮らし男性の冷蔵庫なんですね」

「まあ、そうだね。僕はその中でもひどいほうだとは思うけど、概ねこんなものだろう。知らないけど」


 二人で並んで覗き込む冷蔵庫の中身は、いたってシンプルだ。荒涼としていると言ってもいい。

 まずは、結局ヨモツヘグイ判定を与えたのか、彼女をここから帰さなかった2リットルペットボトルのお茶が一本。おいしいと自称している牛乳がパックの中に残りわずか。ろくに包まれていないバター、パン用チーズ、そして賞味期限が三日過ぎている卵が残りふたつ。以上だ。


「君は自炊のできる女子高生なんだっけ。さっきのSEINを見るに」

「そうですね。でも、無から有を生み出せるほどではないですね」

「カップめんはいっぱいあるけど、好き?」

「好きなんですか?」

「いや。でも、楽」


 思いっきりため息をつかれた。


「あとは、一応冷凍シューマイと冷凍肉まんはあるよ」

「シューマイでもいいんですけど。食べたくないですか?」

「何を?」

「現役女子高生の手料理」

「めちゃくちゃ魅力的だね。でも、等価交換は超えられないんじゃなかったっけ?」

「だから、買いに行きましょうよ」

「……もちろんお金は出すよ、そういうことなら。でも、それをするにあたって、ひとつの選択をしなくちゃいけない。僕が君の指示で買ってくるか、君が帰ってくるときに僕が連絡を貰って鍵を開けるかだ」

「いっしょに行くのでは駄目なんですか?」

「駄目だろうね。だって君、制服だし。スーパーにはまともな感覚をした大人の目がたくさんあるんだよ」


 このマンションに住む人間がまともじゃないと言いたいわけではないけれど、自分の住処の近所でわざわざ厄介を起こそうとする人間は少ない。インタビューが来たときはじめて、いつかやると思っていたと嘆けばいいのだ。


「ああ。……従兄妹いとこですって言い張るのは?」

「つくづく君は嘘が下手だね」


 いいところ卒業した部活の先輩だろう。それにしたって調べられればバレるけど。


「というか、よしんば従兄妹だったとしても、連絡されるときは連絡されるよ。そしてその連絡を受けたとき、君の学校は不純異性交遊には厳しいほうだろう?」

「どうして知ってるんですか?」

「その制服、僕の母校のだからね。ついでに言うと、そんな風に厳しくなったのは、僕が二年生のとき、同級生のSちゃんをはじめとするメンバーが乱痴気騒ぎを起こした挙句、Sちゃんの妊娠が発覚したからだ」

「うわあ」

「そういうわけで、どうする?」

「……都合良く元カノの服が出てきたりしませんか?」

「彼女なんて居たことないよ」

「ミュージシャンなのに」

「なんだミュージシャンなのにって」


 いや、言いたいことは伝わるけども。


「じゃあ、成沢さんのでいいですよ。Tシャツと、ジーンズなり何なりと、あとベルトを貸していただければ」

「えっと、本気で言ってる? そこまでしなくても、僕もおつかいくらいできるよ」

「あの冷蔵庫の所有者にまともな買い物ができるとは思えないんですけど」


 一文で論破されてしまった。


「じゃあ、やっぱり、プランBだね。SEIN交換しとこうか」

「……まあ、いいですけどね? 料理を作ってくれる女の子に? 荷物まで運ばせるつもりなら?」

「いや、え、そんなに買うの?」

「女子はスマホより重いもの持てないんですよ」

「知らなかったよ」


 両手をひらひら振って寝室に舞い戻り、タンスの中を確かめる。シャツは下ろしていないものがあったのでいいとして、半引きこもりがズボンのストックなんか用意しているわけがなかった。


「なんだかなぁ」


 呟いてみた。案外悪い響きじゃなかった。

 一番きれいだろうジーンズを選び取って、軽く確認。

 まあ、うん。何も言えない。

 ベルトとあわせて腕に抱えて、部屋を出る。

 なんだって彼女は男の服を着てまで頑張るんだろう?

 無敵だからです。そう納得できたなら楽だった。

 さあ、それなら、どうしよう?

 答えを出せないまま彼女の前に戻る。


「シャツは新しいのがあったから、そっちは安心していいよ」

「どうも」

「じゃあ、終わったらノックでも」

「覗いちゃだめですからね」


 定番のセリフだったので、


「の、覗くわけねーだろ?」


 定番のセリフで返して、再び寝室の扉を閉めた。

 もちろん、定番の行動までやらかしはしない。

 僕はまず近所に出かけるときにお決まりの安物のパーカーに袖を通して、それから机の上に置き去りにしていたスマホを拾い上げた。

 予想通りに通知ランプが灯っている。ロックを解除して、そのまま通知からSEINを起動。


『結局どういう状況なの』


 わりかしまともなメッセージを放っていたのはちょっとだけ後ろめたかった。


『傷心の女子高生の弱みに付け入ってみたら、いまは夕飯を作ってもらうためにいっしょに買出しに行くことになったところ』

『妄想乙』


 相変わらず反応が早い。


『しかもなんか本人普通に泊まる気らしいんだけど』

『もうついでにコンドーム買ってくれば?』


 おい。


『僕は法を順守する男だから』

『誘われてるのに乗らないのは乙女心の侵害やぞ』

『まあそれはそれとして。これ、僕はいったいどうすればいいんだろう、真面目な話』


 即時既読がついて、二分後に返信がきた。

 まず『そんなに真面目なの、久しぶり』と感想が来てから、次に質問への回答が述べられる。


『どうしたいの? って、君なら言う』


 だろうね。ついさっき猫原さんにも言った。

 ゆっくりと息を吐きながら、目を瞑って考えてみる。

 正直なところ、僕の中に彼女をどうこうしたいという気持ちはなかった。女子高生の未熟さをエロティックにとらえることはできない。少なくとも僕の場合は。

 ただ、どうしてほしいのかなら。

 きっと何も変わっていない、僕らが嘘だらけの世界を歌う理由、そのままだ。


『ありがとう』


 そこでちょうどノックの音が聞こえた。


「開けていいですよ」

『それで、ヤるんか? ヤらないんか?』

『やらねーっつってんにゃろめ』


 それだけ返して、スマホと財布をパーカーのポケットに突っ込んだ。

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