無愛想公爵様の妻になったのですが、醜女(自称)にデレデレって本当ですか!?

櫻葉月咲

Prolog

 窓の外では小鳥たちの心地いい合唱が聞こえ、それを読書のお供にしていたレイチェルはうっとりと耳を傾ける。


 扉一枚、窓ガラス一枚隔てた部屋の外がつい一時間前から騒がしく、ともすれば誰かを探しているようで忙しない。

 しかし、可愛らしい声を聞いていればレイチェルにとって何も問題はなかった。


(平和、ね……)


 図書室代わりであり日光浴するにも最適な小部屋は、レイチェルのお気に入りだ。

 簡素なテーブルと椅子しかないが、誰にも邪魔されない空間はかえって心を落ち着かせる。


 柔らかな光が降り注ぎ、ぽかぽかと温かい。それも相まってうたた寝してしまいそうだ。


「あ」


 不意に合唱が止み、レイチェルは本を閉じて窓の傍に寄った。

 白と青の色を持つ小鳥が二羽、可愛らしいつぶらな瞳をこちらに向けていた。


 窓を細く開け、レイチェルは懐から朝食の時に余ったパンの端切れを取り出した。


「ピィ!」

「わ、分かったから大きな声を出さないで!」


 窓枠に止まったうちの一羽がパタパタと翼を羽ばたかせ、今にも部屋の中に入って来そうな勢いに慌てる。


 小鳥といえど、外に居る者の誰かが気付くかもしれない。レイチェルが『この場所』に居ると知られてはまずい。

 いや、まずいなどという到底可愛らしいものでは無かった。


「待ってね」


 パンを小さく千切り、そっと二羽に与える。


「今日もありがとう、お疲れ様」


 言っている事を理解しているのか、小鳥は先程よりも小さな声音で返事をした。

 今日はお腹が空いていたのか、一心不乱にくちばしついばんでいる。


「美味しい? ……そう、良かった」


 小鳥相手に話し掛けるなど、他の者の目から見ればおかしいと思われるだろう。

 レイチェルは伯爵令嬢という立場柄、人前に出なくてはならない時が余りある。


 昨年社交界デビューしてからは尚更その機会が増え、今日はやっと一息つけそうな日だった。


(それにしてもよく飽きないわね)


 未だ人の出入りが激しい屋敷の外を眺め、うんざりする。時折衣装を運び込んでくる人間もおり、レイチェルの気持ちもますます塞ぎ込んだ。


「ピ!」


 淀んだ雰囲気を察したのか、小鳥にツンツンと嘴で手の甲を突かれた。


「大丈夫よ、心配してくれてありがとう」


 レイチェルが微笑むと四つの丸い瞳が不思議そうに丸くなり、こてりと首を傾げたかと思えば毛繕いを始めた。

 普段ならお腹が膨れたらすぐに近くの樹に羽ばたいていくのだが、時々窓枠で毛繕いをする。


 どうしてかレイチェルが悲しんだり落ち込んだりすると、二羽はしばらくその場に留まってくれるのだ。

 時として動物は人の気持ちに寄り添ってくれると言うが、それが例えレイチェルの思い込みであっても嬉しい。


 人間はあまりにも身勝手で、こちらが嫌だと抗議しても結局は従わざるを得なくなる。

 今のレイチェルのように──こう思うのはごく一部なのかもしれないが、結婚が憂鬱だと軽はずみに口にしたら待っているのは絶望だけなのだ。


 貴族社会で政略結婚というのはままある。

 それが家と家との結び付きを強めるためのものであっても、常に頭に付くのは『夫には逆らわず貞淑であれ』というもの。


 頭の痛くなるしきたりだが、レイチェルにその意志はさらさら無かった。


(お父様も勝手だわ。お相手が見ず知らずの方ならまだしも、私の夫になる方が……)


 そこまで考えてブンブンと首を振り、レイチェルは考えを打ち消す。

 婚約者の噂は随分前から知っているが、いざその日が近付いて来るとなると不安でしかなかった。


「ピィ」


 またね、と言うかのように小鳥達はバサリと翼を広げ、窓枠から飛び立っていく。

 レイチェルは小さく手を振り、窓をそっと閉めてから椅子に腰掛けた。


 読みかけていた本を開く気にもなれず、時々戯れながら飛んでいく二羽の小鳥をぼうっと見つめる。

 グランテーレ王国は一年を通して温暖な気候だ。


 作物はよく育ち、食べ物にも困らない。

 その中心部は活気に満ちており、昼夜問わず人々の賑やかな声が響きわたっている。

 レイチェルはこの国が好きだった。

 叶うならばこうしてゆっくりと本を読み、好きなことをして一生を終えたかった。


 しかし、そうも言ってられないのがこの国の法律だ。

 それはこの国に生まれた者は『必ず』婚姻しなければいけないということ。

 平民であっても生涯独身という訳にはいかず、然るべき歳まで家庭を持つ事が義務付けられている。


 中には偽装をする者もいるが、いつの日か明るみに出る可能性がある為、あまり褒められた事ではない。

 しかし望まない相手と結婚させられ、時には命を絶つ者も居るというのだから世知辛いものだった。


 「──さま、レイチェル様……!」


 忙しない足音と共に慌ただしく扉が開き、レイチェルはそこで我に返る。


「どうしたの、クリス」


 姿を現したのはレイチェル付きのメイド、クリスティナだった。

 レイチェルがこの部屋に居る事はあまり知られていないため、ここへ来る人間は限られている。


 元々この小部屋は物置然としていて、それをレイチェルが快適に過ごせるように数日掛けて自ら綺麗にしたのだ。


 そして、レイチェルがここに居る事は信頼出来る者にだけ教えているから、実際居場所をこと細かに知っているのはクリスティナだけなのだが。


「た、では……」


 ぜぇぜぇと肩で息をし、クリスティナはブツブツと何かを呟いている。

 腰まである亜麻色の髪を三つ編みにしているが、ところどころどこかで引っ掛けたのかほつれそうになっていた。


 よっぽど急いで来てくれたのだと分かるが、レイチェルの頭の中は『どう言い訳しよう』ということでいっぱいだった。


「どうしたの、ではございません! 先程から仕立て屋の方がお見えになったと何度もお呼びしているのに、貴方様ときたら……!」


 はぁはぁと未だ息を乱しながら、普段は柔らかな目尻がやや吊り上がっていて少し怖い。

 レイチェルは怒気から逃れるように目線を手元の本に落とし、ぽそりと呟いた。


「……そう、だったかしら」


「何度も何度も申し上げておりますわ。ここからでも聞こえておられたのでしょう?」


 確かに自分を呼ぶ声が扉の外からひっきりなしに聞こえていたのは事実だが、どうも返事をする気になれなかったのだ。

 応答してしまえば、それこそ強制的にここから連れ出される。


 それ自体は何も問題無いが、連れて行かれる先が憂鬱極まりなかった。


「分かっているわ。でもね、クリス」


 レイチェルは顔を上げ、よく出来たメイドをじっと見つめる。


「私、汚くない? 醜くはない?」

「……はい?」


 さすがのクリスティナも予想していない言葉だったのか、しばらくの沈黙のあと素っ頓狂な声が漏れ出た。


「公爵様に醜いと言われたりしないかしら。もしくは地味だとか、真面目ぶった読書女だとか……」


 手を組み替えたり指先を合わせたりしながら、ボソボソと小声で呟く。


 レイチェルは時として自分を『醜い』と言う。

 それは幼い頃、父が『醜い女から産まれた娘』と他貴族の者に零していたのをたまたま聞いたからだ。


 実際、あれから成長して十六歳の誕生日を迎えたレイチェルは美しくなった。

 腰まで伸びた金髪はまっすぐで、光の当たり方によっては白く美しく輝く。


 天気のいい日であってもあまり外に出ないため、肌は日焼け知らずで雪のように白い。

 長い睫毛に縁取られた黄色い瞳は大きく、小さな鼻の下にはぽってりと可愛らしい唇が赤く色付いている。


「ご安心を。レイチェル様は本日も咲き誇る大輪の薔薇のように、美しくあらせられますわ」


 にっこりとクリスティナは微笑み、レイチェルが落ち込んだ時にはこうした言葉をスラスラと言ってくれる。


 幼い頃から知っている年の近いメイドは、どんなに小さな嘘であろうと吐けない。だから、心からの言葉だと分かる。

 分かるのだが、それでもレイチェルは不安だった。


「ああでもどうしよう、もし醜いだなんて面と向かって言われたら……! 立ち直れそうにないわ」


 頭を抱え、クリスティナから視線を逸らす。

 レイチェル本人は醜いと言うが、周囲の言葉が嘘だという場合もあるのだ。

 たとえそれが、信頼出来るメイドから出た言葉であっても。


「本当のことを申し上げていますのに」

 つかつかとクリスティナが傍に寄り、レイチェルの膝の上にある本をそっと小脇に抱える。


おおやけではそんな調子ではありませんでしょうに……」


 ふぅ、と小さな溜め息と共にレイチェルの背中を安心させるようにさすってくれた。


「あれは私の思う『完璧な令嬢』を演じているからよ。後は気力で持ち堪えてるって知ってるでしょ?」


 社交界デビューを迎えたとはいえ、当日は勿論のこと何度となく公の場に出ているが、そのどれもがレイチェルの記憶に無かった。


 誰と何を話した、自分は何を言った、ということに留まらず、あの貴族がこういう事になった、などという聞くに堪えない噂話は必ずある。


 事前にパーティーに参加する者の顔と名前を覚えてはいるのだが、やはりいざ目の前にするとそれは意味を成さかった。


 頭が真っ白になるのはお約束で、大勢の衆目の前に立つとどうしても足が竦んでしまい、レイチェルはその都度気合いで乗り切っているに過ぎないのだ。


 しかし、今の今まで『サヴァング伯爵令嬢』の悪い噂を聞いた事が無いため、失態は犯していないのだろう。


「存じておりますが……そこまで婚約に後ろ向きな訳はなんです? あくまで公爵様の噂は噂、お会いしてみれば違うとわかりますけれど」


 レイチェルの夫となるアレクシス・フォン・レオメイト公爵は、騎士としての顔も併せ持つ。


 先の大国との戦争では武功を挙げ、国王から褒美を賜ったと聞いた。

 戦場であった数々の冷酷無慈悲なさまから付いた渾名は、『冷徹公爵』または『無愛想公爵』と呼ばれている。


 普段からにこりとも笑わず、逆鱗に触れたら時として斬り伏せられることから、そう渾名されているらしかった。


 その噂がレイチェルの元にまで届いているのだから、怖いという感情が芽生えない方がおかしな話だろう。


(もしも私を気に入ってもらえなくて追い返されたりしたら……ううん、最悪の場合もあるわ)


 レイチェルの頭の中に、悪い考えが次々とぎる。

 たとえ慈しんでくれたとしても、夫の機嫌にビクビク震えながら生活する事を思えば今すぐにでも失神してしまいそうだ。


「……その口振りだと、公爵様に会った事があるの?」


 気を取り直し、レイチェルは小さな声で尋ねた。


「レイチェル様がお部屋に籠もりきりの時に一度。私がお呼びしに参りましたのに、肝心のお方は『行かない』の一点張りで聞く耳を持ってくれませんでしたけれど」


 本来であれば公爵様とお会いしていましたよ、とクリスティナは吐息を零す。


「うっ……」


 レイチェルはぐうの音も出ない。

 自分の一時の我儘で、婚約者のおとないを無碍にしてしまったのだ。


 レイチェル自ら詫びの一つ寄越していないから、いつかどこかで『どうして姿を現さなかった』と尋ねられるのは必須だろう。


(どうしよう、逆鱗に触れてしまったら……)


 きゅっとレイチェルは唇を噛む。

 そんな主の様子を見つめ、クリスティナは殊更ことさら明るい声音で言った。


「でも、噂よりもとてもお優しい方だとクリスティナは思いましたわ。あくまで推測ですが……何も怖がる事はありません」

「……本当?」


 クリスティナの言う通り噂は噂、本来は優しい男なのだろうか。

 レイチェルの不安を感じ取ったのか、小脇に抱えていた本をテーブルに置き、両手をそっとクリスティナのそれで握られる。


 メイドとして日々よくしてくれる少女の手は乾燥してか、ところどころささくれ立っていた。


「きっと、夫となられた公爵様はレイチェル様をいつくしんでくださいます」


 自分よりほんの少し硬い手の平に、優しい声音に奮起され、レイチェルは数度瞬きを繰り返す。


「そうだといいけれど……」


 きゅっと不安を払拭するように、レイチェルはクリスティナの手を握り返した。

 その言葉が本当だというのなら、これからの結婚生活も救われる気がする。


「さぁ、お喋りはこのくらいにしましょうか。仕立て屋の方がお待ちですよ」


 クリスティナが明るく声を掛け、先に小部屋の扉を開けてくれる。


「分かったわ」


 クリスティナと話していると、重かった身体が先程よりも軽くなった気がした。

 どんなに憂鬱な事があっても、瞬く間に吹き飛んでいくから不思議なものだと思う。


 かくして、レイチェルの結婚式の日取りまであと三ヶ月を切った。

 部屋の外では父が呼んだであろう仕立て屋の者が、未だ屋敷と車の荷台とを行き交っていた。

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