第3話 お茶会とブローチ

「……おかしいわ」


 アレクシスと結婚式を挙げてから、レオメイト邸で暮らしてそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。


 夫婦となってから一度もレイチェルの寝室にはやって来ず、どこか寂しい一人寝を繰り返していた。

 時間が許せばクリスティナが様子を見に来てくれ、レイチェルが不安にならないように気を配ってくれる。


 しかし一ヶ月の間に顔を合わせる事はおろか、一向に音沙汰のないアレクシスにレイチェルは段々と不安になりつつあった。

 本来であれば夫婦揃って朝食を共にするのだが、アレクシスはレイチェルよりも早くに起きて先に朝食を済ませているという。


 ゆっくり眠らせておくように口添えしているのか、レイチェルは一度も何処かへと出掛けるアレクシスを見送る事はなかった。

 そのため、レイチェルはアレクシスのいないレオメイト家の広い食堂で一人食べる気にもなれず、最初の数日以外はずっと自室で朝食を摂っていた。


 この一ヶ月、レイチェルがしたことといえば若き公爵夫人として様々な研鑽けんさんを積みつつ、アレクシスの足手まといにならないようこれから会うであろう貴族の名簿を暗記し、他にも可能な限りの勉強をしてきた。


 それこそ毎日毎夜、アレクシスの訪れがない時は一段と精が出た。


 すべては良き妻となるため、そしてできるならばアレクシスの目にいい人間として映るためだ。

 レオメイト家で過ごす毎日は最初こそ大変だったが、慣れてくると代わり映えしないものでどこか味気ない。


 毎日同じことの繰り返しだと、人間というものは少しずつ飽きてくるのだろう。

 そのため嗜み程度ではあるが、半分は手慰みとしてレオメイト家に仕えるメイドに編み物を教わっている。


 家の中は自由に出入りしていいと言われているから、図書館並みの蔵書を誇る書庫へ一人出向き、しばらく本を読んでいる事もあった。


「──どうしたの、レイチェル。何かあった?」

「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」


 はたと名を呼ばれ、レイチェルは現実に引き戻される。

 目の前に座る少女に不安そうに見つめられ、安心させるようにやんわりと微笑んで誤魔化した。


「……ええと、なんだったかしら」


 今、レイチェルは令嬢時代に仲良くなった令嬢たちを公爵邸に招いて庭でお茶会をしていた。


 心配してくれたのは、ロクシェルド家伯爵令嬢のリナリアだ。

 歳も同じで気心が知れており、その分なんでも話せるが勘が鋭いところもある少女だった。


「次のお茶会はどうしようかと思ったの。ほら、貴方は結婚したしあまり頻繁に来るのも迷惑じゃない」


 月に一度は必ず開催される、年頃の少女たちの集う場所はそれぞれの屋敷だった。

 もてなす側は茶葉や菓子を用意し、時には自身の屋敷から持ち寄ったりしてお喋りに花を咲かせる。


 どこそこの令嬢が結婚した、王宮の騎士が武功を上げた、などと話す内容には幅があった。

 しかし、そのどれもに人の悪意や羨望などという感情がこもっていない。


 本来であれば話すことに事欠かない人間は、その言葉の端々に悪意が宿る。

 この場に集う令嬢らはただの話として楽しんでいるから、レイチェルにとっても気楽なものだった。


「私やレノア様はまだ婚約中だけれど、そう遠くない日にこうして集まるのも難しくなるじゃない。だから何処で集まるか、今のうちに決めた方がいいでしょう?」


 リナリアはレノア──アースライト侯爵令嬢をちらりと見ながら言う。

 年齢は一つ上で見た目以上に落ち着いた風貌の彼女は、優雅にダージリンティーを飲んでいる。


「そうねぇ……お茶会の準備をするのは楽しいし、アレクシス様が許してくださるなら──」

「私はどこでもいいと思うけれど」


 レノアはレイチェルの言葉を遮り、ゆっくりとカップをソーサーに置くとレイチェルとリナリアを交互に見つめながら言う。


「強いて言うと、それこそカフェで会うのならそれでもいいわ。けれど、結婚式を挙げたら出歩けなくなる可能性だってある。……特に私は」


 ふっと伏せられた瞳は憂いが滲んでおり、ともすればこのまま消えてしまいそうなほど今のレノアは儚い。


 レノアと婚約者はまだ正式に籍を入れていないが、彼女を溺愛していると聞いた。

 年齢こそ同年代だというが、昔からの幼馴染みで気心も知れている。


 家同士が近いため、レノアが少し街を出歩こうとするだけで屋敷から出て着いて行く、と言ってはばからない徹底っぷりだ。


「でも、エリオット様は貴方たちなら安心だと言っているの。……おかしいわよね、それなら結婚後も普通にお出掛けすることは許してくださってもいいのに」


 今から辟易するわ、と小さく漏らす。

 しかし、婚約者のことを話す時のレノアは満更でもないふうで頬を染めているのだから、矛盾しているなと思う。


「でもそれほど好きだという証拠よ。いいじゃない、旦那様に守られて愛されて……テオにも見習ってほしいわ」


 ふぅ、と小さな溜め息と共にリナリアが愚痴を零す。

 レイチェルは苦笑いしつつ二人の話を聞いていた。


(二人とも幸せそうで羨ましい)


 レノアやリナリアは婚約者の愚痴を言えるほどなのに、結婚式から一ヶ月経とうが、自分は未だアレクシスのことをあまり知らないのだと思うと胸が傷んだ。




 ◆◆◆




 ある日、レイチェルは街に繰り出していた。


「あ、レイチェル様。これとこれなんかどうですか? ご令嬢方に喜ばれると思いますが」


 ぱっと花開くような笑顔を見せた青年──ライオネルが茶葉の入っている袋をこちらに向けて言う。


 片方は甘く香りのいいアッサム、もう一つは爽やかな香り漂うダージリンだ。

 ライオネルは茶に詳しく、的確なものを選んでくれるため信頼できる。


「そうねぇ。……じゃあ二つとも買おうかしら。一つは次のお茶会の時に使えばいいもの」


 彼はレイチェルと同じ十六の頃に、ロアポルト家の家督を継いだ。

 現在は二十歳だというが、やや垂れ目で灰褐の瞳はどこか幼さが残る。


 ライオネルは公爵であり、アレクシスの右腕として数多の仕事があるにもかかわらず、こうしてレイチェルがどこかへ出掛けると護衛のように着いてきていた。


 本来であればメイドを共に連れていく事が正しいのだが、そこのところのマナーというものをレイチェルは知らない。


 幼い頃ならまだしも、自身の家が治める領地に供の者を連れていくなど知らなかった。

 加えてあまり外出をせず、一人で出歩くことを気にしてこなかったレイチェルにとって、異性を連れて歩くなどと始めこそ抵抗した。

 しかし、ライオネルが言うにはこうだった。


『貴方はアレクの大切な人だから、命を懸けて守れと言われています。なので俺のことはお気になさらず、どうぞ空気だと思ってください』


 爽やかな笑顔とともに言われてしまえば、レイチェルとて断るという選択肢はなかった。

 そうしてライオネルと出会って一ヶ月近くが経ち、今に至る。


「お会計をしてくるから待っていて」

「はい!」


 仮にレイチェルに幻覚が見えていたら、それこそ大型犬のようにライオネルは尻尾をブンブンと振っていただろう。

 命令されて嬉しそうに『待て』をする犬のようだな、とレイチェルは少し笑いながら思う。


「これとこれを包んでくれる?」

「はいよ、ちょいと待ってくださいね」


 この店の主である女性に茶葉とお金を渡して包装を待っている間、レイチェルの目にはたと留まるものがあった。

 店の会計台の傍には小さな子でも買えるよう、低い位置に籠がある。


 その中にはお菓子が入っており、先程会計を済ませた子供たちもそこからいくつか取ってお金を渡していた。

 その少し離れた所──レイチェルの腰ほどまである台の上には、可愛らしい装飾のブローチがあった。


 この店には何度か来ているが、前回もその前も無かったであろうものだ。

 丁重に磨かれ、キラキラと太陽の光を浴びて輝いているそれは美しい。

 レイチェルはその中から、青い石の嵌め込まれたブローチを手に取った。


(アレクシス様の瞳と同じ色……)


 その装飾は女性が付けるに相応しいものだが、中央に鎮座する宝石は深海を思わせる色をしていた。

 眼前でまじまじと見つめていると、ひょいと店主が顔を覗かせた。


「お、それが気になるのかい」


 茶葉を渡しながら問い掛けられ、レイチェルはやや瞠目する。


(も、もしかして見られてた……!?)


 話し掛けられるのはいいが、じっと見ていた事を指摘されると少し恥ずかしい。

 その言葉が、たとえ純粋な商売としての言葉であっても。


「最近入ったものでね。店の中じゃ割高なんだけど、正式な職人に作らせたものだから、そこらで売ってるものにも見劣りしないよ」


 ここいらの人間は滅多に買ってくれないけどね、と店主は苦笑いしながら続ける。


「あ、えっと、これ……!」


 レイチェルは赤くなった顔を見られたくなくて、店主の顔を見ずにブローチを会計台に置いた。

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