二章

公爵邸の日常で気付いたのですが

第7話 『親友』からの助言

「レイチェル様、本日はどのお召し物になさいますか? やっぱりこちらの春色のドレスでしょうか、それとも髪のお色と同じこちらのドレスでしょうか……」


 ほがらかな声とともに、レオメイト家お抱えのレイチェル付きのメイドであるアナが、レイチェルのところに小走りで寄ってくる。


 今年で二十一になるというが、どこか少女のような幼さを感じさせる可愛らしい女性だった。

 薄緑色のドレスとほんのりと黄みのかったドレスを手に持ち、アナがさも楽しそうに続ける。


「でもレイチェル様は可愛らしいお顔立ちですし、もう少し他のものにしましょうか」

「任せるわ」


 レイチェルはドレッサーに座り、クリスティナに髪を編み込んでもらっている。

 鏡の向こうから見えているアナが、半ば鼻歌を歌いながら上機嫌にクローゼットからドレスを選んでいた。


「……私よりもお洒落で、貴方の方がずっと可愛いもの」


 クリスティナにも聞こえないよう、レイチェルは口の中で呟く。

 アナは亜麻色あまいろの髪は三つ編みにし、リボンで緩く束ねている。


 少し垂れ目がちで、白に近い睫毛に縁取られた空色の瞳は、絶世の美女もかくやというほどだ。

 加えておっとりとした性格は自分にはなく、同性は勿論のこと異性であっても分け隔てなく接する。


 それらを自分は持ち合わせていないから、惨めになってしまうのは無理からぬことだろう。


「──レイチェル様、自信をお持ちくださいな」

「クリス……」


 もしかして聞こえていたの、とレイチェルは一瞬たじろぐ。


「これはあまり言ってこなかったのですが」


 しかし一言断ると、クリスティナはくるりとレイチェルから背を向けた。

 反転したことでふわりと翻るスカートの裾が、レイチェルの視界の端に映った。


「確かにアナさんは、私の目から見ても可愛らしいと思います」


(ああ、やっぱり聞こえていて……今更何を言うと言うの)


 クリスティナはレイチェルをいつも『美しい』と褒めてくれるが、そう言われる度に得も言われぬ悲哀感に苛まれていると知らないのだ。


 どんなに賛辞の言葉を贈ってくれても、結局は人の心など本人にしか分からない。

 故に、レイチェルが何を考えているかも本当の意味で分かってはいない。


「──けれど、レイチェル様は私の自慢のお嬢様で……親友ですから」

「しん、ゆう……?」


 パチパチとレイチェルは瞬きを繰り返す。

 何を言われたのかすぐには理解出来なかった。


(私とクリスが……? 昔から知っているけれど、貴方はそう思ってくれていたの?)


 親友とは、友達以上に固い絆で結ばれた者たちのことを言うのだと理解している。

 しかし、成長するにつれて主人と使用人という垣根が瞬く間に築かれた。


 いつの間にかクリスティナは敬語で接し、お転婆を絵に書いたようだったレイチェルをいさめる役に回っていた。


 幼い頃は共に遊んでいても、こればかりは仕方ないことなのだと、レイチェルはどこか寂しい思いをしていたのに。


「はい、親友です。もしかしてお嫌でしたか……?」


 ぱっとクリスティナが振り返り、鏡越しにレイチェルの表情を見つめる。

 ほんの少し眉尻を下げた少女がそこにいた。


「い、いえ。驚いただけよ」


 ふるふると首を振り、心からの本心を口に出す。

 クリスティナからの言葉は驚きもあり、嬉しくもあった。


「それなら良かったです。……たとえ貴方であっても、あまりご自分を卑下なさらないでくださいませ。レイチェルは悲しくて泣いてしまいます」


 にこりと花開くように、けれどどこか寂しそうな笑みを浮かべさせたことに、レイチェルは罪悪感をいだく。


 どう足掻いても父が言っていたことを盗み聞きし、幼い頃の自分は勿論、今も自身を『醜い』と言ってはばからないレイチェルが悪いのに、このメイドはどこまでも考えてくれている。


 物心付いた頃から知っているが、あまり親身になって言ってくれる人間はクリスティナ以外にいなかった。


 伯爵家から連れてきた数名の使用人とて、レイチェルを昔から世話してくれるからというよしみで父が付けた者達なのだ。


(クリスのためにも、自信を持たないと……)


 ふぅ、とレイチェルは小さく息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 いつまでも劣等感を抱いていては、次第に大切な人を悲しませるのは目に見えているのだ。

 ただ、そうも簡単にいかないのがレイチェルの悪いところなのだが。


「あ、そうでした。レイチェル様ぁ」


 ふとアナがベビーピンクのドレスを手に持ち、ドレッサー前に足早でやってくる。


「本日は家庭教師チューターの方がおいでになりませんが、どうなされますか? お茶会のご予定があれば、今から準備をしますけれど」


 レイチェルは社交マナーに秀でた老齢の伯爵夫人を呼び寄せ、少しずつ礼儀作法を学んでいる。


 昨年社交界デビューしたばかりだが、ダンスなどは多少できるが世渡りの『よ』の字に至ってはあまり知らない。

 おおやけの場に出たくないというのもあり、所謂いわゆる世間知らずに近い状態だった。


 ちらりとレイチェルは窓の外を見やった。

 アレクシスが庭師に命じて美しく整えさせた庭の花々は、花も盛りと言わんばかりに太陽の光をいっぱい浴び、色とりどりの大輪の花をつけていた。


「……そうねぇ。今日はお天気もいいけれど、リナリア達は呼んでいないの。丁度今読んでいる本も読み終わるし、書庫に行って読むものを探すわ」


 寝室のテーブルの上にある本は数日前に屋敷の書庫から借りたものだが、二日前に読み終わってしまった。


 何も予定がなく手持ち無沙汰の今、膨大な数を誇るレオメイト家の書庫で心ゆくまで本を探すのもいいかもしれない。


「何冊か借りて読書をしようかしら。お部屋で日向ぼっこをしながら」


 レイチェルの言う部屋は、アレクシスから贈られた空き部屋のことだ。


 簡素な椅子と小さな本棚を部屋に置いただけで、まだまだ空白の部分が目立つため、何を置くか考えるのも楽しそうだった。


「分かりました。ではこちらのドレスをどうぞ。ゆったりしていて動きやすいので、くつろげるかと思います」


 にこにことアナが微笑み、ベビーピンクのドレスを手渡してくる。


「ええ、ありがとう」


 それは羽のように軽く、色味に反して涼しげな印象を受けた。

 この分では高いところにある本も、少し頑張れば取れるだろう。


 アナとクリスティナに手伝ってもらい、レイチェルは髪が乱れないよう気を付けながらドレスに袖を通した。


「──お美しいですわ、レイチェル様」


 少し乱れた髪を整えてもらい、クリスティナからの賛辞を受けるまでが一連の流れだ。


「……ありがとう」


 いつも通りレイチェルはやんわりと微笑み、礼を言う。

 こんな時に本心からの言葉ではないのが心苦しいが、それでもクリスティナを悲しませるよりはマシだった。


「まだ早いですけど、美味しいお茶の準備をして参りますね」


 アナが軽やかな声とともに部屋を出るのを見届け、レイチェルはいそいそと寝室から本を持って続き間に戻った。


「あら」


 間を置かずに戻ってきたのだが、クリスティナはアナを見送った時の場に留まったまま、微動だにしていなかった。


「……クリスはお仕事をしなくていいの?」


 使用人の仕事に口を挟むのはこの上ないお節介だが、早く行かなければメイド長に怒られてしまうのはクリスティナだ。

 レオメイト家のメイド長は温厚だが、当たり前だが何を言われるのかレイチェルには分からない。


「少し……お伝えしたいことがあったので」


 クリスティナは控えめに笑むと、レイチェルの顔色を伺いながら切り出した。


「旦那様をお呼びしてはいかがですか?」

「アレクシス様を……?」

「最近はお外へ出ずに執務室にいらっしゃいますし、ライオネル様にお聞きしたら、あまり休めておられないようなので……。気分転換は時として大事ですもの」


 聞けば、どうやら外での仕事が一段落し、溜まりに溜まった領地の資料や嘆願書、運営している施設から来た手紙などに目を通したりサインをしたりしているらしい。

 

「でも、ご迷惑ではないかしら」


 雑務に追われている中でレイチェルが呑気に『お茶をしませんか』と言えば、それこそ激怒されてしまうのではないか。


 本来であれば喜んで共に茶を飲んでくれるのかもしれないが、未だにレイチェルはアレクシスの心の内が読めないのだ。


 ただ、対面する時はする時で心臓がバクバクと音を立てるのは変わらない。

 なぜかあの深海の瞳で見つめられると、すべてを見透かされている気がして怖さを感じてしまうのだ。


「何をおっしゃいます! 仮にもお二人は夫婦なのですよ、今の今まで会話をして来なかったからといって、レイチェル様からのお誘いを断られるなど……! そんなこと、クリスティナが許しません!」


 段々とクリスティナの言葉が別の方向に白熱しそうになり、レイチェルは少し慌てる。


「じ、じゃあアレクシス様に『昼食はお庭で食べましょう』と伝えてくれる?」


 ぱぁっとクリスティナの表情が分かりやすく喜色を帯びた。


 少し前から思っていたが、この少女はどこか嘘を吐けないきらいがある。

 それ自体はいいのだが、いつか悪い人間に騙されてしまいそうだなと心配しつつあった。


「いいですね。ではサンドイッチなどのつまみやすいものを作るよう、シェフに言ってきます」


 ふふ、と小さく微笑んで部屋を出ていこうとしたが、クリスティナは扉の前で立ち止まるとレイチェルの方を振り向いた。


「大丈夫です。旦那様はレイチェル様を、本当に大事に思っておられますよ」

「っ」


 レイチェルの心情を知っていたかのような口調に、ぴくりと手の平に力がこもる。


(どうして分かるの)


 感情は顔に出ない方だと思っているが、羞恥心が湧き出てきて次第に頬が熱を持つ。


 先程、クリスティナが悪人に騙されやしないかと思っていたが、それ以上に気を付けるべきは自分なのかもしれない。


(……鏡を見て、真顔の練習でもしようかしら)


 ひっそりとこれからについて画策している主人の様子に、クリスティナは微笑んで部屋を出た。


「──本当に、似た者同士ですよ。貴方がたは」


 扉一枚隔てた向こうでクリスティナが呟いた言葉は、廊下を行き交う使用人らの足音に紛れ、レイチェルの耳には入っていなかった。

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