第12話 侍女の違和感

 小さな鼻歌が部屋に響き、レイチェルは編み物を中断して視線を上げる。


(クリスはよく動くわね……少し休憩して、お茶をすればいいのに)


 クリスティナは目の前で随分先に開催される予定の、令嬢らとのお茶会で使うカトラリーを顔が反射するほど磨いていた。


 こちらとしては有難いが、そう早くに準備しては使う頃には曇ってしまい、もう一度磨き直さなければいけない。


「ふぅ。……どうされました、レイチェル様?」


 短く息を吐いたクリスティナが顔を上げると、彼女をじっと見つめていることに気付かれてしまった。


「な、なんでもないわ」


 思わずクリスティナは逃げるように視線を下げ、指先に意識を集中させる。

 レオメイト公爵家に嫁いで一ヶ月半。


 少しずつアレクシスとも打ち解けつつあるが、未だに夫婦の寝室で二人になる事は無い。

 こちらから歩み寄ってはどうか、とそれとなくクリスティナに言われたが、簡単に行動出来るほどレイチェルは勇気を持ち合わせていなかった。


 ひと月を少し過ぎた頃、クリスティナがメイドから正式にレイチェルの侍女という立場になってから、それまで以上に精力的に世話をしてくれる。

 今ではほとんどの時を、昔からよく知る彼女と共に過ごしていた。


「ねぇ、クリス」

「はい?」

「よく働いてくれるのはいいのだけれど……最近のクリスは無理してるように見えるわ」


 レイチェルは思い切ってずっと言おうとした事を口にした。


「お茶会はまだまだ先だし、児童施設へ行く時は私も手伝うから言ってくれると嬉しいわ」


 レイチェルは伯爵家では出来なかったことの一つである慈善活動を、アレクシスに願い出て少しずつ行っている。


 基本的には子供向けの書物を自ら選び、施設では人手不足な衣類の修繕や作成、甘いお菓子を届ける事だ。


 つい先日初めて施設へ行ったが、そう年の変わらない少年少女からまだ小さな子まで、レイチェルの訪問を楽しみにしてくれていた。


 予定よりも長居してしまった節はあるが、これは貴族に生まれた自身の務めだと改めて思う。


(あまり民と接点の無いお父様と私は違うもの)


 民とは、自分達が生きる上でも大切な存在だ。

 そこで人と人との関わりがないと心さえも離れてしまうかもしれず、その肝心な部分を父は怠っている。


 もっとも、母が生きていた頃は慈善活動を積極的に行っていたようで、亡くなってからはぱったりと途絶えてしまったのだが。


「そうそう。休憩しようと思うのだけれど、付き合ってくれる?」


 レイチェルは気持ちを切り替えるように、努めて明るい声を出した。

 ここ最近のクリスティナは、何をするにも忙しなく感じる。


 そんな彼女に少しでも安らぎを与えたいが、レイチェルは自分が出来る精一杯のもてなしは美味しい紅茶を淹れることくらいだった。


「……そうですね。茶葉はどうなさいますか」

「待って、私が選んでくるから」


 席を立とうとするクリスティナを制し、レイチェルはぱたぱたと茶葉を入れている棚に向かった。


 瓶にはそれぞれラベリングがされており、その日の気分によって茶葉をブレンドすることもある。


 レイチェルは一通り茶葉を見たあと、ティーポットにアールグレイをひと匙入れた。


「レイチェル様、入ってもよろしいでしょうか」

「ええ、大丈夫よ」


 タイミングよくノックの音が聞こえ、レイチェルは柔らかく返事をした。


「朝のお言い付けの通り、お茶菓子にマドレーヌをお持ち致しました」


 言いながら、色とりどりのリボンでラッピングされたマドレーヌが三つ、用意された皿の上に置かれる。


 側にはバスケットがあり、その中にはマドレーヌの他にクッキーやスコーンなどが袋詰めされていた。

 手間が掛かるだろうに、わざわざ包装してくれる者に申し訳ない。


「美味しそうね。……今日もありがとう」

「いいえ、足りなければまた仰ってください」


 にこりと微笑んでメイドが下がると、それまで黙っていたクリスティナが口を開いた。


「レイチェル様は心配してくれているのですね」


 こうしてお茶に誘ってくれるほどに、とクリスティナはどこか申し訳なさそうに続ける。


「心配もするわ。いつもの貴方じゃないもの」


 ティーカップに熱湯を注ぎつつ、レイチェルはゆっくりと言った。


「いつもの……?」

「レイラから手紙が届いた日があったでしょう? あれからずっと見ていたけれど、私の前では無理をしてるように見えてしまって」


 ここ数日のクリスティナは上の空という事は勿論、不自然なほど笑顔の時が多かった。

 悪いことではないのだが、どこか違和感があったのは否めない。


「なんでもございませんよ」


 クリスティナは口角を上げたまま、バスケットからクッキーとスコーンをひとつずつ取り出した。


 甘いものが好きな彼女は、メイドが合わせて持ってきていた角砂糖の入った小瓶を自身の側に寄せる。


「そんな見え見えの嘘、もう通用しないわ。何年一緒に居ると思ってるの」


 小さな頃から知ってるのよ、とレイチェルは少し低い声で呟く。


「……本当なのですが信じて頂けませんか」

「貴方が嘘を吐かないとは限らないわ。……でも、気になったの」


 茶葉の匂いがふんわりと漂い始め、レイチェルは少し冷静になった。


「私に何かを隠していて、それでクリスが気を張りすぎて倒れたりしないかって」


 物心ついた時からの仲だが、それ以降もクリスティナがただの一度も嘘を言った事は無い。

 ただ、心労が掛かり過ぎると人というものは呆気なくいなくなる。


 幼い頃に目の前で母が亡くなったのを知っている身として、それが気掛かりだった。


「そうだったとしても、私はそこまで弱くはありませんわ。レイチェル様はお優しいですね」


 クリスティナは小さく笑うと、ティーポットに手を伸ばす。

 カップの半分まで淹れ、少しおいてから再度淹れると香りが引き立つのだ。


「──クリスティナは大丈夫です」

「え?」


 不意に呟かれたクリスティナの言葉はあまりに小さ過ぎて、何を言ったのかレイチェルには聞き取れなかった。


「さぁ、お茶にしましょう。美味しいうちに飲まなくては勿体ないですよ」

「そう、ね」


 これ以上は言えないとも言われた気がして、レイチェルは閉口するしかなくなる。


 今この場にあるのは得も言われぬ違和感だけなのだ。

 胸騒ぎが確信に変わる日も近い、となぜかそんな予感がした。


 だからか、普段は楽しいはずの休憩も、ダージリンの味はおろか、ほのかに甘くて美味しいマドレーヌの味すら分からなかった。

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