第13話 すれ違い
その日の午後。
窓から降り注ぐ太陽の光をいっぱいに浴びて、レイチェルは椅子に座ってゆったりと読書をしていた。
アレクシスが時々レイチェルの好みそうな蔵書を増やしているらしく、書庫へ行くと丁重な手紙とともに分かりやすい場所に数冊の本が置かれているのだ。
選んでくれた書籍はどれもが面白く、数時間で読破する時もあった。
「レイチェル様、何をしてるんですか!?」
「っ!」
不意に聞こえた悲鳴じみた声に、レイチェルはびくりと肩を縮こまらせた。
声がした方を見れば、コートに身を包んだライオネルがさも焦った様子で、開いた扉の前に仁王立ちしていた。
「あと数日で王宮に行くというのに、こんなお日様いっぱいの部屋でのんびり読書なんて羨ましい……! 俺はクソ寒い中、行きたくもない面倒な視察だったのに!」
ライオネルは早口で捲し立て、どっかりと床に座った。
高そうなコートなのに、と思ったがそんなのは
レイチェルが何も言えず困惑していると、ライオネルはそこでやっと人心地ついたようだ。
「はぁ……すみません、取り乱して」
小さく溜め息を吐き、疲れた様子で額に手を当てた。
伏せられたライオネルの瞳の下は、気のせいだと軽々しく言えないほど隈が滲んでいる。
あまり眠っていないのか、はたまた面倒な事が現地で起こったのか、別の理由も有り得た。
「大丈夫よ」
でも、とレイチェルは続ける。
「ちゃんと眠れてないみたいだけれど……眠くはないの? 何も予定が無ければ少しここで寝ていかない?」
「は!?」
文字通りライオネルは飛び起きるように立ち上がった。
「いやいや、いや! 何を仰ってるんですか!?」
そんな事は許されない、とやや丸みを帯びた茶色い瞳が言っている。
「今日は暖かいからお昼寝をしようと思ったの。丁度膝掛けもあるし」
レイチェルは膝掛けをポンと叩いた。
精緻な刺繍のされたそれは、体調を崩してはいけないからとここに来る前にクリスティナが持たせてくれたものだ。
「あの、レイチェル様。そんな事をしたら最悪、俺があいつに殺されるんですが……」
「え」
すると、ひくりとライオネルの頬が引き攣った。
「ってゆっくり話してる場合じゃない!」
ライオネルは部屋に入るのもそこそこに、しかしレイチェルの厚意を最大限に活かしつつ、暖かな日の当たる場所に移動した。
「あれ、聞きました?」
「あれ……?」
オウム返しにレイチェルが問い掛けると、ライオネルは深く長い溜め息を吐いた。
「聞いてませんよね! 知ってましたよ!」
がくりと膝を突きそうなところをライオネルは持ち堪え、内緒話をするように耳元に唇を寄せてくる。
「国王陛下がぜひともレイチェル様にお会いしたい、と」
「国王、様が……」
レイチェルはじんわりと目を瞠った。
グランテーレ王国現国王であるユリシスは、軍人としての顔も併せ持つ。
ひとたび戦地へ赴けば、的確な指揮で一国が瞬く間に壊滅すると噂で聞いた事があった。
しかし民の前に出る事はあまりない為か、即位して数年が立つ今も顔を知るものは少ない。
ある者はその白く透き通った肌と髪から
レイチェルは殿上人とも言える立場の人間、それも国王に謁見するなど足元が竦む心地がした。
「ほ、本当に本当なの……?」
恐る恐るもう一度『国王様が?』と問い掛ける。
「ええ。しかと俺がこの目で、この耳で聞きました。どうやらというか、やっぱりというか……レイチェル様には伝えてないみたいですけど」
アレクシスに用があったため、視察を終えたあと王宮内にある闘技場へ向かったという。
上司らしき年嵩の男と話しており、ここは一度出直そうと思ったところで『陛下はレイチェルと謁見を望んでいる』という旨が耳に入ってしまった、というのだ。
「アレクシス様は国王様に信頼されているのね」
国王直属の騎士として戦地に赴き、武功を立てている男はそういないだろう。
それは妻として大変喜ばしく、同時に尊敬の念を抱いた。
「というか皇太子殿下が、ですけどね。それはそれは陛下もアレクをお気に入りみたいですが、ちょっと……」
「ちょっと?」
目に見えて渋い顔をするライオネルに、レイチェルはこてりと首を傾げる。
「なんでもありません」
ふふ、と小さく微笑みながらライオネルは一歩下がった。
まるで何かを隠しているようだとも思ったが、あまり聞くのは野暮だろうか。
「嫌だったら俺がそれとなくアレクに伝えますよ。まぁ、国王陛下直々のご命令ですし……断るのは無理でしょうけど」
(わざわざ教えてくれるなんて)
黙って従うしかないはずなのに、ライオネルはこうしてレイチェルを探して伝えてくれる。
本来であればアレクシスの友人であり右腕という立場で、レイチェルに直接的な関係は一切無い。
だというのに嫁いでから今までよくしてくれる、その心遣いに泣きそうになった。
「謁見までまだ時間はありますが、一応貴方の意思も聞いておかねばと思いまして。あいつは言葉足らずなので」
「──悪かったな」
不意に聞き知った声が響き、レイチェルは勿論ライオネルも驚く。
「アレクシス様!?」
急いで戻ってきたのかアレクシスはわずかに息を乱しており、服装もどこか乱れていた。
「……今、帰った」
荒い呼吸を何度か繰り返すと、アレクシスはレイチェルに向けてわずかに微笑んだ。
「お帰りなさ──あ、すみません。私ったら……」
自分だけが座っている事に気付き立ち上がろうとすると、アレクシスはやんわりと手で制する。
「そのままでいい。楽にしていてくれ」
口調こそ柔らかいが、有無を言わせない圧にぴんと背筋が伸びる。
「……ライオネルから聞いたようだな」
「は、はい」
ついさっきまで話していたことが何なのか、すべて分かっているというような口振りだ。
「謁見はさすがの私でも断れないが、そう堅苦しく考えなくてもいい。あの方は多少、いや。かなり……かなり寛大なお方だ」
「そうそう。かなぁり、ね」
アレクシスだけでなくライオネルも苦笑した。
「……不安か?」
レイチェルの心情を悟ったらしいアレクシスは床に膝を付き、椅子に座っているこちらを見上げてくる。
窓が近いからか、太陽の光が直接アレクシスの髪に降り注ぐ。
見た目以上に触ると柔らかく、美しい金色の髪はいつもより乱れがあった。
「いいえ。けれど……少し、怖いのです」
レイチェルはアレクシスから逃げるように視線を下げ、ゆっくりと唇を動かした。
「国王様の前で粗相をすれば、アレクシス様の信用に関わるのではないですか?」
騎士としての信頼は篤く、公爵として日々の責務も全うしていると来れば。
「最悪、私は実家に帰されて『嫁いだかと思えばすぐに戻った年増女』と周囲で噂されるかもしれない」
レイラが嫁いで行った後ならば実家に帰らず修道院に入り、そこで一生を過ごす事も有り得る。
「私が至らなければ、離縁させる事だって無理では──」
「っく、ふふ」
レイチェルが必死になって口早に話していると、小さな声が耳に入った。
「あははははっ! レイチェル様ってばそんな、そんな……っ、駄目だ、もう……ふふふ、はははははは!」
「……は?」
堪えきれないというようにライオネルが笑い出し、ちらりと視線を向けたアレクシスに至っては、眉間に皺が寄っている。
「あ、あれ。私、何かおかしなことを……?」
二人の態度の違いに戸惑うと同時に、また自分は先走って失言をしてしまったのだと気付く。
(いえ、もしかしなくても完全にやってしまった……!?)
それ以上アレクシスの顔を見るのが怖く、視線を動かそうとしたものの明後日の方向に向けることしか出来ない。
ライオネルは未だに涙を浮かべ、腹を抱えて笑っている。
(ど、どうしよう。謝った方がいい、わよね……?)
明らかな失言に顔面蒼白になるのは勿論、このまま気絶してしまいたいほどだ。
しかし謝罪をしなければ叱責が飛ぶかもしれず、どうするのが正解かとんと頭が働かない。
「ひぃ……はぁ……。はぁ、笑い死ぬかと思った」
くつくつと肩を震わせ、ようやく笑いの波が過ぎ去ったらしいライオネルを視界の端を捉える。
「はぁー……本当に最高だよ、貴方は。こんなに笑ったのはいつぶりかな」
目尻に涙を浮かべ、ライオネルは小さく拍手した。
しかし完全にツボに入ってしまったらしく、ひくりと時折頬が引き攣っていた。
「あ、あの……」
「あれ、その顔。もしかしなくても謝らないと、って思ってます?」
レイチェルの様子を察したのか、ライオネルはぽんと手の平と拳を打ち合わせる。
「大丈夫ですよ。──ほら、お前も固まってないでなんとか言え」
「っ」
ライオネルはにこりと微笑んだかと思えば、どんとアレクシスの背中を力いっぱい蹴り上げる。
アレクシスは小さな呻きを漏らすと、やがて機械仕掛けの人形かと思うほどぎこちなくこちらに首を向けた。
「……先に聞いておくが」
真正面で向かい合ったアレクシスの美しい瞳は、ほんの少し陰っていた。
(逃げちゃ駄目、逃げちゃ……)
レイチェルは怖々ながらも今度こそ目を逸らさず、しっかりと夫に視線を向ける。
「貴方は離縁したいのか?」
「い、いえ! そんなこと……っ」
予想はしていたが、面と向かって言われるとずきりと心が痛む。
そんなつもりで言ったわけではないが、やはりアレクシスには順序立てて説明する方がいいのだろうか。
「あ、あの」
「ならばもう『離縁』だとか『自分が至らない』だとか、金輪際私の前で口にするな」
レイチェルが言葉を紡ぐ前にアレクシスが口早に言う。
ぎり、と歯軋りの音が分かるほどアレクシスは唇を真一文字に引き結んでいる。
その表情は怒っているようにも取れ、悲しんでいるようにも取れた。
(あ、私……)
そこでレイチェルはようやく理解する。
アレクシスにとって、自分はもう手の内に入れたも同然なのだ。
だから自身の一存や推測だけで決める事は許さない、と言っている。
「ごめん、なさい。もう言わないので……許してください、ませんか」
レイチェルはアレクシスの視線から逃れるように、がばりと頭を下げた。
どんな事があろうと、こちらを気遣ってくれる人間はそういない。
それと同時に、心を許してくれたと思っていても自分の思い違いだった、というのはごく一部ながらあるのだ。
アレクシスは後者の部類で、まだまだ打ち解けられていないのだと実感した。
(こちらに嫁いで、そう長い時間は経っていないもの。アレクシス様が気を許してくれてないのも当たり前なのに、一人で舞い上がって……)
先の一ヶ月は顔を合わせる事がそう無かったため、なんとも思わなかった。
しかし、今ではアレクシスに嫌われるのが何よりも怖い。
(少し、寂しい)
共にお茶をした時、気を許してくれたのだと思っていたのに現実はこれなのだ。
そもそもレイチェルに遠慮し、無理に合わせてくれていた可能性だって十二分にあった。
(駄目、泣いちゃ……)
泣きたくなどないのに、次第に視界がぼやける。
自分の悲観的な思考が嫌でならなかった。
悲しむ道理など無く、むしろ許しを乞わねばそれこそ嫌われてしまう。
「……部屋に戻る」
黙ってしまったレイチェルの様子をどう捉えたのか、アレクシスは短く言うと足音も立てず部屋を出ていった。
しんと痛いほどの沈黙が流れる。
「レイチェル様……」
自分を呼ぶか細い声が耳に入った。
のそのそと顔を上げると、ライオネルがなんとも言えない表情でそっと耳打ちしてくる。
「あの馬鹿は口下手だと前にも言いましたよね」
「え、ええ……」
何を言うのかと思えば、唐突な悪口にレイチェルは困惑しながらも頷く。
確かにアレクシスは自分の感情をあまり表さず、どちらかと言うと読み取りにくい。
しかし退室した後、ライオネルに言われるとは予想していないのではないだろうか。
「あいつはね、貴方が大事なんですよ。陛下との謁見も──俺の独断ですけど、ギリギリまで水面下で断ろうとしたんだと思います」
まぁ俺がつい言ってしまったんですけど、と続けて言われてもレイチェルは目を白黒させることしか出来ない。
「そう、なのですか?」
(私のことが大事だから……?)
ここまで公爵家で過ごしてきたが、大事にされているという自覚はあまり無い。
アレクシスが言葉や行動に示さないというのもあるが、レイチェルはどこかで己に『気を許してはいけない』と自己暗示していたからだった。
結果として、お互いがお互いに思った事を言動に表さなかったため、わずかなすれ違いが生じてしまったのだが。
「どちらにしろ、陛下と謁見したら分かるかと思います」
ライオネルはどこか意地の悪い笑みを浮かべ、レイチェルが引き止める間もなく部屋を出ていこうとする。
「あ、そうそう」
何かを思い出したのか、ドアノブに手を掛ける前にライオネルが背中越しに振り向く。
「あいつは言わないだけで、貴方を嫌ってはいないので。そこのところ、覚えておいてやってくださいね」
ふふ、と小さく声を漏らしライオネルは今度こそ退室して行った。
「嫌っていない……か」
一人きりになった部屋で、レイチェルの呟きがやけに大きくこだました。
無愛想公爵様の妻になったのですが、醜女(自称)にデレデレって本当ですか!? 櫻葉月咲 @takaryou
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