【2】戦場の御用聞き

 成田から発つ前日、新宿にあるGSSグリフォンセキュリティサービス東京支社に出社した神崎は、さほど広くもないオフィスで、上司の菊池とコーヒーを飲みながら次回の任務の打ち合わせをしていた。


 神崎の直属の上司、四十歳半ばの菊池一平きくちいっぺい支社長は、筋骨逞しい体を窮屈そうにスーツに詰め込んで、椅子の背もたれにふんぞり返っている。その菊池から『謎名刺』を渡された神崎は、その内容に困惑を隠せずにいた。

「菊池さん、コンシェルジュって言ったらデパートやホテルにいる……」

「そうだろうな。名前を付けたのは俺じゃないから分からんが」

 菊池はスキンヘッドをなで回しながらぶっきらぼうに答えた。頭のあちこちにある傷は、男の勲章というやつか。

「親会社に出向なのはいいとしても……うーん……」

 神崎は腕を組み小首を傾げてケースに入った名刺を見る。表は日本語、裏面は英語、ロシア語、アラビア語の三か国語で印刷されている。

「いいから黙って行ってこい」

 菊池は、威圧感を発しながら航空会社の封筒を神崎の腹に押しつけた。

「了解っと、」

 神崎は微妙に納得のいかない顔をしながら名刺とビザ、ドーハ行きの航空券を受け取ると、愛用のアルミのスーツケースに仕舞い込んだ。

「――で、結局俺は何をすればいいんで?」

「ご新規さんに押し売りしてこい」

「は……い? 押し売り……ですか?」

 唖然とした顔で上司に聞き返した。

「はっはっは、押し売りは冗談だが。ご新規さん、というのは、最近我が社の顧客となった中央アジアの小国Aの事だ。お前も知っての通り、長い民族紛争の末に最近独立したばかりの小さな国なんだが、国内の治安がかなり悪化し、自国の軍隊や警察が全くアテにならない。そこで政府は周辺諸国と同様に、国内の治安維持のアウトソーシングを我が社に発注したのさ」

「これまたキナ臭いところで、しかも押し売りとは……」

 神崎は渋い顔で、カップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。分かってはいるが、器用さ故にいつも面倒な仕事ばかり回される、そんな己の境遇にうんざりせざるを得なかった。

「でも、がっぽり金は持ってるらしいぞ。地下資源がわんさか出るからな」

 菊池は、親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。小国ながら手つかずの豊富な地下資源があるなら、当然あちこちの勢力がこの国を虎視眈々と狙うだろう。顧客として申し分のない国だ、と神崎は思った。

「それで、この眼鏡も? 俺がかけるんですか?」

「お前は顔が良すぎてホストみたいだから、伊達眼鏡でもかければ少しは営業らしく見えるだろう、って上からの話でな」

「まーったく褒められてる気がしないんですけど!」

 プリプリ怒りながら神崎は細いメタルフレームの伊達眼鏡をかけた。

 似合ってるぞ、と菊池は苦笑して言った。

「大手数社との営業合戦の末に、見事我が社が治安維持業務を受注した。恐らくは、親会社側の資源開発事業とか復興事業なんかもセット売りにしたんだろうけどな。 ――会長は、やることがいつもあざとい」

 神崎はフン、と不快そうに鼻を鳴らすと、日の暮れかかる窓の外に視線を投げた。その先には、ゴミゴミした灰色のオフィス街が、静かに紫色の影の中に沈んでいく様が伺えた。

 一時間もすれば、光の羅列が都市のアイデンティティを示す唯一のものになるだろう。近くの病院の屋上で、はためくシーツが夕日を受けて輝き、最後まで闇に抗っていた。

 菊池は頭をひと撫ですると、話を続けた。

「対外的に見れば、我が社がA国の開発を独り占めしているように見えるだろう。が、実際には表だって国際支援を行えない日本政府の肩代わりをしているに過ぎない。日本政府としても手アカのついていない資源目当てなのは間違いなく、かといって国内情勢が微妙な現状では、国費からの支援費用の捻出など望むべくもない」

 菊池はお手上げのポーズで、軽くおどけてみせた。

「で、国は結局俺らに汚れ仕事を丸投げしたってことですね」

「そうイヤそうに言うなよ、有人。お仕事お仕事。自衛隊の支援もなにも得られない、孤立無援のこの国では全てが自己責任だ。我が社は復興、開発を引き受けた上に自分の身を守る術も持っている。条件は厳しいが、資源の豊富なこの国で上手く立ち回れば企業としてもリターンは計り知れないだろう。結果会長は日本政府の顔も立てつつ利益を追求する立場として、大きな博打を打ったことになるわけだ」

「あの男がここまでのし上がったのは、デカいリスクを取り続けて来たからでしょ」

 神崎は兄の腹黒さにうんざりしつつも、国益に与する態度だけは評価していた。

「そう言うてやりなさんな。会長が我が国に最初に腰を据えたのだって――」

 神崎は子供っぽく不貞腐れた顔をした。

 それが自分のためだなんて、思いたくもない。親会社のGBI社が、可愛い弟のためにムカつく兄貴が作った会社だなんて。

「まあ、いい。現地には中東支社から人員が先発で一七〇名派遣され、既に警備任務に当たっている。この他、資源開発と復興支援のスタッフもそこそこいるな」

 神崎は顎に指を当てて、腑に落ちなさげな顔で小首を傾げている。

「で、どっからこんな仕事が俺に……」

「実は親会社の営業部から、『なんでもいいから売ってこい』という指示がウチに飛んできたんだ。まぁ金持ってそうだから兵器を売りつけて来いってことだろうが」


 GBI社では様々な兵器の製造を行っており、随時新規顧客の開拓を行っている。しかしM&Aで急成長を続ける弊害で慢性的に営業の人手が足りておらず、なんと言っても、神崎の兄でもある社長自らが現場までトップセールスに出向いているくらいである。そこで人材派遣会社でもある、子会社のGSS社に武器屋の営業の真似事をさせよう、という流れになった。担当者はGBI社への出向扱いだ。

 これを受け、GBI社では急遽『MCSミリタリー・コンシェルジュ・サービス』などという、激しくいかがわしい新規部署をでっち上げ、右も左も分からないこの小国Aと、強引に契約を交わした。

 ちなみに、この部署はでっち上げたばかりなので、構成員は神崎ただ一人である。


「先方も、よくこんな『怪しさ爆発サービス』を発注しましたねぇ。だいたい、今回は正規軍のリフレッシュ・コンサルティングは受注してないんでしょ?」

 神崎はあきれ顔で、菊池のマネをしてお手上げの仕草をしてみせた。

「俺も本当は、そっちが先な気もしてるんだがなぁ。復興の順序としては、ボロボロの正規軍を立て直さなけりゃならんはずだ。しかし現状は、こっちに丸振りって状況だな。まぁあちらさんもテンパってるんだろう」

「はー……。独立したらする事なんて決まってんだから、準備しておけばいいのに……」

「だな。上からはお前が適任だとご指名なんだが」

 菊池は煙草に火を付けながら言った。

「え~、なんでですか? 別に営業させるだけなら、トーマスとかいるでしょうに」

 少し困った顔をして、自分よりも商売に向いていそうな同僚の名前を出した。

「ダメだ。そもそもあいつは自分の会社を潰したからウチに就職したんじゃないか。そんな奴の商才などアテになるものか」

 菊池は眉間に皺を寄せ、ふー、っと煙を吐き出した。

「そりゃそうですけど……でも俺だって商売なんかしたことないですよ?」

「でもお前はプレゼンが得意じゃないか。たまに会長と一緒にプレゼンしてただろ?」

 煙草を挟んだままの指を、神崎の鼻先に突き出した。

「奴が風邪で声が出なかったから代わってやっただけですよ。まぁ、兄貴にゃプレゼンどころか、商売では全く勝てる気がしないですけどね」と、煙草の煙をパタパタ仰いだ。


 神崎の兄で、GBIグリフォンバイオロジカルインダストリー社代表取締役社長CEO、GSS社会長の神崎怜央かんざきれおは商才の塊のような男だった。大元のバイオテクノロジーの会社を立ち上げた後、次々とM&Aを成功させ、一代で現在のような多国籍企業へと成長させたのだ。

「会長様はあれだけの会社を切り盛りしてるんだ、商才は世界レベルだろうよ」と菊池。

 ――当たり前だ。

 アイツは創造神でもあるが、商売の神でもあるんだからな、と神崎は内心毒づいた。人間相手の商売など、怜央にとっては児戯のようなものである。


「まぁとにかくだ、お前の経験と豊富な商品知識を駆使すればなんとかなる。誠心誠意、顧客様の立場になってお売りしてくればいい。な? カンタンだろ? お前ならできる! きっとできる!」

 不安感を隠せない神崎を、無理矢理鼓舞しているのが見え見えだったが、それも体育会系な菊池らしい心遣いだと彼は思った。

「……でも、一体何を売ればいいんですかねぇ?」

「現地でお前が『顧客に必要』だと思うものを適宜お勧めすればいい。先方だって何が入り用なのか自分で分からないから発注してしまったんだろうよ、なんとなく」

「その『なんとなく』っていうのが微妙に不安で……」


 通常、仕事がイメージ出来ないということは、生命の危機に直結する。それが神崎を不安にさせる一番の原因だ。

 いつもなら、どんな任務でも的確にイメージすることができる神崎だが、今回に限っては雲を掴むようで、全くイメージ出来ないでいた。


「情けない顔をするな有人。お前は細かいことによく気が付くし、思いやりも人一倍だ。仕事の丁寧さも我が社随一。だからこそ『コンシエルジュ』ってのに任命されたんだろ。俺は、そう思うぞ。まあ、休暇のつもりで行ってこい!」

 肩をバンバンと力いっぱい叩かれて、神崎はよろめいてしまった。

 普段は気むずかしい菊池が、満面の笑みで自分を賞賛してくれるのは嬉しかったが、それだけでこの任務の内容を納得するには、少々材料が不足していた。

 ……しかし、ここは黙って行くしかなさそうだ。

「はぁ。休暇ねえ。そういう話なら……。やってみます」

 半分困ったような笑顔で菊池に応えた。


 本社は、彼の商才と、誠実さと、繊細さを確信して『戦場の御用聞き』を任せたのであるが、社長である兄の下心も忍ばせてあったことに、神崎はまだ気付いていなかった。

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