最終章 白猫

【1】空へ

 副司令たちの計らいで空港に戻った神崎は、急ぎ帰国の途に就いた。もう何の憂いも残さずに、この地を発つことができる。

 あとは日本に、麗の元に帰るだけ――


 ありったけの武装を脱ぎ捨て、硝煙臭いボロボロの戦闘服のまま彼は、帰りの足の用意された滑走路へと向かった。

 そこには、神崎専用機――ステルス戦闘機――がその翼を広げて主を待ち構えていた。巨大な照明が周囲から空港一帯を浮かび上がらせている。

 滑走路には点々と光のラインが引かれ、その先に続く日本への航路を思わせる。神崎の心は沸き立った。

「途中で放り出してしまって済まない」

 レイコから、僅かな私物の入ったアルミのスーツケースを受け取って、後部座席に固定した。スーツケースには愛用のノートパソコンやパスポートなどの貴重品と共に、あの絵本が入っていた。

(またこれで、俺はトランク一つになったわけか――)

「後のことはどうか我々に任せて、早く彼女のところに帰ってあげてください!」

「ありがとう、レイコ。ギャラは返上する」

 彼はステップを昇り、戦闘機に乗り込んだ。


 彼の搭乗した機体は、GBI社保有の完全垂直離着陸を可能にした第5世代型ステルス戦闘機を、神崎専用にカスタマイズした特別機で、彼がパイロットとして派遣される際に使用している機体だ。

 電装系がオリジナルから軍事サイボーグ用のそれに大幅に変更され、小型量子コンピューターと自立思考型支援AIが、端末に直結出来ない神崎に替わって多くの作業を行う。

 この戦闘機は、多目標への同時攻撃や、衛星リンクを駆使した複数の無人機の制御などを得意としていたが、量子コンピューターによる敵電算系への高速ハッキングなども可能としており、最早人間同士の戦争という規範から、大きく逸脱した存在でもあった。

 主に忌み嫌われるこの機体も、今回ばかりは頼りになる相棒として、彼の力になるはずだ。


 神崎は、自社衛星からダウンロードした最新の軍事施設の位置や、給油のタイミングなどの細かな情報を、慎重にナビゲーションシステムへ入力していく。

 ただでさえ操縦が微妙に面倒なステルス機を駆って日本まで最短コースを通る以上、危険な地域や施設をギリギリで避ける曲芸飛行を続けなければならない。ルートの途中には機体を傾けなければ通れない谷間も存在する。

 しかも途中一切の支援は受けられない、文字通り孤立無援の一人旅だった。いや、この機体そのものと、AIが心強い供であることを失念していた。

 しかし、全ては麗のため。この一世紀半をムダにしないため。


 ジェットエンジンが始動し、臨界に向けて唸り声を上げ始めた。

 接続されていたケーブルは全て外され、滑走はクリアになっている。

 神崎は深呼吸を一つすると、操縦桿をゆっくりと倒した。

 動き出した機体は機首を空の道へと向け、遙か日本を臨んでいた。

 ……待っていろ、麗。今すぐ帰る。

「神崎有人、出る!」

 アフターバーナーの光が渇いた滑走路を駆け抜け、空戦起動の急角度であっという間に天へと昇っていった。

 一路日本までは、約八時間の長旅だ。燃料タンクを満タンにしていても、途中四度の給油が必要になる。

 神崎青年の駆る機体は、日づる国に向かってひたすら飛んでいく。


 

     ◇◇◇



 日本まで一直線、といかないのが所属不明な戦闘機の不便なところで、夜陰に紛れて公海上まで見つからないように飛ばなければならない。そのためのステルス機だ。

 神崎は集中力を切らさぬため、薬品の入った注入器を太ももに突き立てる。墜落し地面や海面に激突する戦闘機の中では体も木っ端みじんになり、さすがの戦神でも助かる保証はない。本当に命がけのロングフライトである。

 そんな彼のお守りは、東京で撮影した麗の写真や動画だ。AIに命じてスマホからデータを吸い出すと、ヘルメット内のHMDヘッドマウントディスプレイの端に表示させた。愛おしそうに、ゴーグルの上から指で麗を撫でる。

「ニンフ、麗の容態を病院に問い合わせてくれ」

『イエス、マスター』

「さっきのチョコバー、うまかったな。今度買って麗に食わせてやろう……」

 ……だから、死ぬな。頼む。


     ◇


 神崎は四度目、最後の空中給油を受けていた。デリバリーは太平洋上の米軍から。

『ミスターカンザキ、まもなく給油が終了する。ご利用ありがとう』

「こちらこそ、米軍様には弊社が毎度お世話になっております」

『なに、しこたまチップを弾んでもらったからね。では旅のご無事を』

「感謝します」

 バルブが外され、神崎機は速度を上げた。

 コクピット内では公海上に出てからずっと『浪漫飛行』がヘビロテで流れている。またトランク1つになってしまったな、などと考えつつ神崎は麗の待つ湯河原の海辺を思い出していた。

『マスター、ユガワラホスピタルより打電、以下――』

 HMDに表示されるテキストを見て、神崎は息が詰まりそうになった。

「そんな……」神崎はぎり……と奥歯を噛みしめた。

 麗の容態は悪化の一途をたどり、まもなく緊急手術が開始されるという。

 ――自分の顔を見せれば持ち直すと思っていたのに……。

 最早、彼女の元にたどり着いても俺にできることは何もないのか。

 それでも俺は――


 白みかけた日本の空に入ったところで異変が起こった。

 事前に本社から防衛庁への連絡を依頼していたはずが、スクランブル発進してきた空自の戦闘機に囲まれてしまった。

(どういうことだ? 最悪墜とされることはあるまいが)

 先ほどから識別信号も出しているし、所属や帰国の用向きなども説明しているのだが、出て行けだとか、話が全くの平行線を辿っている。

「さっきから何度も言ってるが、俺はただの旅行者でGSS社所属パイロットの神崎有人だ。会社から防空司令部に連絡が行っているはずだ。確認してくれ!」

『そのような連絡はない。速やかに指示に従え。さもなければ、撃墜する』

(――撃墜?)

「どういうことだ。自衛隊は威嚇しかしないんじゃなかったのか?」

『つい最近法改正されたのだ。悪く思うなよ、未確認機アンノウン

 そう言い終わらぬうちに、コクピットのディスプレイに警報が表示され、神崎の機体は自衛隊機にロックオンされた。

「ちょっと待ってくれ! 俺は死にそうな恋人に会いにいくだけなんだ。害意はこれっぽっちもない。頼む、黙って通してくれ!」

 ――来る!

 殺気を感じた彼は、フレアをまき散らしつつ機体を翻し、雲の中にダイブした。

(奴ら、本気マジかよ!)

 追っ手を撹乱しながら、彼は会社の回線に向かって必死に呼びかけた。

「おい、どうなってんだ! 本社聞こえるか! ナシついてんじゃないのかよ! このままじゃ俺撃墜されちゃうよ、なんとかしろ!」

『途中で指示が引っかかっているらしい。もう暫く善処してくれ』

「善処ってオイ、限度あるっての!」

 そうこうしているうちに神崎の機体は雲海を抜け、本州上空に差し掛かった。

 再び自衛隊機から複数の追尾ミサイルが神崎の機体目がけて放たれた。

(な、ここで撃つかよ! このクソッタレ共め!)

 今度は同時ハッキングをかけ、ミサイルの進路を反らす。これでは自衛隊機を叩き落とす方が何倍も楽だ。

「バカヤロウ下を見ろ! 国民を殺す気か! 貴様らは、どこに向けて撃ってるんだ? 俺がここで墜ちたら街は大惨事だ!」

『うッ……』

 自衛隊機に狼狽うろたえる空気が漂った。

「黙って通してくれ! ……さもないと、俺はお前等全員、撃ち落とさねばならない」

 張り詰めた空気の中、聞き覚えのある声が無線から聞こえた。

『こちら、横田防空司令部、幕僚の八巻だ。君は本当に神崎有人さんなのか?』

「久しぶりだな八巻さん。あれから禁酒は続いているか?」

『本物のようだな。先ほどGSS本社より連絡があった。こちらの不手際で通達が遅くなり、大変申し訳ない。機体の認識番号も確認した。そのまま管制に従って神奈川方面に進入されたい。目的地は湯河原・獅子之宮総合病院で間違いないですな』

「そうだ。恩に着る、今度メシでも奢るよ」

『光栄だ、神崎教官』

 神崎を取り囲んでいた自衛隊機は、一機を残し機体を翻して所属する基地へと帰っていった。

「待ってろよ……麗。もう目の前だ」


     ◇


 東京、横田基地内の航空自衛隊防空司令部では、異様な空気が流れていた。

「誰が撃墜命令なんか出したんだ? 危うく僚機が蜂の巣にされるところだったぞ!」濃紺の制服の胸に、何段もの略章を付けた初老の男が吠えた。

「相手はたった一機じゃないですか」隣にいる若い制服組の男が疑問を呈した。

「バカを言うな。誰が乗っていると思ってるんだ」

「え?」

「彼が本気なら、もうとっくに全員撃墜されて都心に侵入している……」

「はぁ……」

「我々のせいで、万一彼が身内の死に目に会えなかったら、ここにいる人間は皆殺しにされても文句は言えないぞ!」

 司令室内が『皆殺し』の単語にどよめいた。

「どういうこと……なんですか?」

「彼とGSS社を本気で敵に回したら、日本など一瞬で灰燼かいじんと化すだろう。手足を縛られた我々の影となって日本を外から護っているのが彼らだ」

 顔を見合わせる自衛官たち。

「ところで、さっき彼の事を教官、って言ってましたね?」

「ああ、かつて彼は戦略インストラクターとして、自衛隊で教鞭を執ったことがある。私もその時学んだ一人だ。神崎教官は、世界各国の軍隊で佐官相手に指導しているのだ」

「一体……何者なんですか、この男は」

「私がこの世で一番敵に回したくない男だよ」



     ◇◇◇



 ――「猫」は、白猫とずっと一緒に生きていたかった。けれど、それを口にはしなかった。

 ――それは俺も同じだ。それが『いけないこと』だと思っていたから。


『でも、また白猫は、どこかへ行ってしまうのか?』

 そんな自分は、百万回求める猫、

 永久の時間を、足掻き続ける野良猫。

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