【3】要人警護

 翌日、デスクワークに勤しむ神崎に、本社から急遽イレギュラーな任務=要人警護のオーダーが下った。

 先日始まったばかりの復興事業に当たっている、同系列の建設会社GCグリフォン・コンストラクションズ社のプロジェクト統括責任者マネージャー、邦人の吉岡浩一よしおかこういちの身辺警護と通訳がその任務内容だった。今日は、GC社でいくつか受注している、複数の建設予定地視察に部下数名と共に同行することとなった。

 追加で公共事業の受注を目論む神崎にとって、建設責任者に同行するのは正に渡りに船だ。しっかり利用させてもらうことにしよう、と思った。もちろん護衛の本分から逸脱する気はないが。


 午前8時、神崎と部下達はGC社の現地キャンプに、防弾ガラスと装甲を持つ要人護送用の特殊車両三台でやって来た。

 いずれの警護スタッフも、元特殊部隊経験者で、神崎以外は見た目からして屈強だった。みな黒いスーツの上に防弾ジャケットを着込み、耳にはお決まりのインカムを着け、手にはそれぞれサブマシンガンを持っていた。

 神崎は普段の伊達眼鏡は自室に置いて、今回は裸眼で出勤した。そもそも視力矯正の必要がないのだから、安全性の下がるものは装備しないに越したことはない。

 全員バカ丁寧にダークスーツで揃えているので、外から見たら『VIP乗ってます』と堂々と宣伝しているようなものだ。ある意味『赤ちゃん乗ってます』よりも始末が悪い。

 

 頻繁にテロの標的とされる、非武装従業員や関連施設の警護は、全世界に事業を展開する親会社にとって非常に切実な問題だった。必要に迫られた親会社は、はじめこそ外部にその助けを求めていたが、ほどなくして「私設軍隊」的性格を持つGSS社を作った。

 表がGBI社なら、裏の汚れ仕事一切を担うのがGSS社、といった風に、両者は密接な関係にあった。親会社や系列会社の生命・財産を護ることは、GSS社の最も重要な任務だ。

 今やGSS社の存在は、親会社のGBI社の、全世界での躍進を陰で支える重要なものとなっている。

 ――親会社=兄の尖兵こそ、弟の神崎有人なのである。


 GC社キャンプの駐車場では、日本人の中年男性が待ち構えていた。恐らくこの男性が建設部門の責任者だろう。

 資料によれば、この男性は年齢五十二歳、神奈川県出身、数度の海外プロジェクト参加経験あり、とのことだった。

 一見すると、大規模プロジェクトのリーダーというよりも、ビルの工事現場からそのままやってきた監督さんといった風情で、日に焼けた肌が健康的な、親しみやすい感じの男性だった。

 彼はポケットの多い薄緑色の作業着の胸に、赤鉛筆やシャープペンシル、袖には定規を刺している。胸ポケットのフラップにはプラスチックの名札、上着の中は几帳面にワイシャツとネクタイを身につけていた。足元は今時珍しい、編み上げの半長靴はんちょうかだ。現場で叩き上げてきた、という形容詞がぴったりくるような、技術屋の雰囲気をまとっている。


 神崎は特殊車両の助手席から降りると、車のトランクからゲスト用の防弾ジャケットを取り出して小脇にかかえ、吉岡マネージャーの前で折り目正しく一礼をした。

「ごくろうさまです。GSS東京支社の神崎です。吉岡浩一さん、ですね。今日一日、吉岡さんの通訳兼護衛役を仰せつかりました。どうぞよろしくお願いします」

「おお、貴方が神崎さんですか。初めまして、吉岡です」

 浅黒い肌に人懐っこい笑顔を浮かべて、神崎に握手を求めてきた。いままで護衛役をやってきて、自分に気を配ってくれる者はほとんどいなかったので、少し驚いた。

「神崎さんの事は、上からとても頼りになる方だ、と聞いていますよ」

 吉岡が声を掛けてきた。

「そうですか」とだけ短く応えた。

「私は中東はこれで4度目なんですが、我が社のコントラクターの方に護衛して頂くのは今回初めてなんですよ。――いつも下請したうけでしたからね」

 GSS社がグループ社員の警備をするのは、基本的に親会社が直接受注をした場合、つまり元請もとうけになった時だ。

「そうですか、珍しいですね」とだけ言うと、神崎はこちらをどうぞ、と防弾ジャケットを手渡した。

「あはは……、早々にこれですか」

 吉岡は苦笑しながら、神崎から会社のロゴの入った防弾ジャケットを受け取り、その場で身につけ始めた。

「ええ。わずらわしいかと思いますが、どうぞご容赦下さい」

「いえいえ。な~んでも皆さんのおっしゃるとおりにしますよ。神崎さん」

 吉岡は楽しそうに返事をした。親しげに話す吉岡は、きっとどこの現場でもこうして場の雰囲気を和ませて、仕事を円滑に進めてきたのだろう、と神崎は思った。

「ではこちらへ」

 神崎は、特殊車両の後部座席のドアを開き、吉岡を促した。

「食事はこちらでご用意しました。昼頃に立ち寄れる拠点でランチにします。日本食が恋しい頃合いかと思い、簡単な和食をご提供しますよ」

「なんですと! それは楽しみだ!」

 吉岡はご機嫌で特殊車両に乗り込んだ。


 一行は、キャンプを出発し国内に点在する建設予定地を一つ一つ視察していった。放棄されたもの、現在も使用中なものなど、状況は様々だった。

 吉岡が隣に座る神崎に語りかけた。

「指名なんてできるのかな、と少し不安だったんですが、本当に来て下さって良かったです。……ご迷惑ではなかったですか?」

「ご要望にお応え出来てなによりです。……で、どうして僕を?」

「兄君からのご紹介で」ニコニコしながら言う吉岡。

 ぐう、と神崎が喉を鳴らす。思わず膝の上のサブマシンガンを握りしめた。

「僕に兄はいませんよ」といいつつ顔を背けてしまう。

「またまた~とぼけても無駄ですよ」

 吉岡はスマホをつい、と操作して1枚の画像を神崎に見せた。

「………………」

 神崎はさーっと血の気が引くのを感じた。

 それは神崎とその兄が一緒に映っているパーティーでの写真で、ピンクの線で神崎の顔をぐるりと囲い、『オレのおとーと』と書き込まれたSNS投稿だったのだ。

(玲央、絶対殺す。殺す。殺す。殺す。殺す)

「……で、兄とはどういうご関係で」

「飲み友達です。私がここに赴任する際、神崎会長から貴方を推薦されたんですよ」

「一体何を吹き込まれたんですか? あの男に」

「別に何も。俺の弟が現地にいるから着任したら使ってやってくれと」

「それだけ……ですか?」

「誠実で信用できる男だ、と言っておられました」

 そう語る吉岡は真顔だった。

「ふっ。あの兄が。あんまり真に受けないでくださいよ」

 神崎は兄に真逆の感想しか持っていない。冷徹で、他人を信用せず、利益のためならライバル会社のひとつやふたつ、笑いながら叩き潰す男、と。

「このプロジェクトを知ったのは、本社で会長から直接伺ったからなんです」

「ほう、そうなんですか」

「ええ。とてもやり甲斐のありそうな仕事でした。ぜひ参加させて欲しい、とお願いをしたところ、会長は快諾して下さった」

「やり甲斐は、まぁ、……確かに。でもこんな危険な場所になぜ?」

「理由のいくらかは、彼の役に立ちたい、という気持ちもあったんですよ」

 役にねぇ、と小声で呟く。

 利己主義の塊のようなあの男に奉仕するなどあり得ない。

「あの方はあの方なりに、今の世の中を憂えていらっしゃるんですよ」

「……といいますと」神崎はそっぽを向いて目を眇めた。

「この国の復興事業と治安維持を、半分赤字覚悟で一手に引き受けたのは、無論ご存じの通り、日本政府への義理立てでもありますが、どちらかと言えば、流入する武力や金の流れが分散すれば、いずれこの国が再び荒れてしまう。そのことを快く思っていなかったからだと思います」

「アレが、わざわざそんな真似をするような男には思えませんが」

「そんなことを言うと、会長が悲しみますよ」

 それには答えず、神崎は腕組みをして延々と続く山地を眺めていた。

「ここに来る直前、会長と食事をしましてね。私にこっそり聞かせてくれました」

「……何を、ですか」

「会長は、本心では弟さんに自分の側で支えて欲しいと思っている、と」

「じょうだんじゃない」神崎は、ほの暗い笑みを浮かべた。

「どうしてですか?」

「経営者の弟、というレッテルを貼られて、方々ほうぼうで色眼鏡で見られ、本音も言えないまま、周囲の思惑で担がれたり、利用されたり、あるいは梯子を外されるのが分かってて、アレの傍に居たいわけがないでしょう」

 神崎は一息に言いつのってしまってから、はっと我に返って手で口を塞いだ。「済みません……」

「きっと会長もご存じだから、面と向かって気持ちを伝えられないのでしょうね」

「人を使ってまでそんなこと――」

 あの男を一発殴らねば気が済まない。神崎は、ぎり、と奥歯を噛みしめた。

「最初に貴方にお会いしたときから、似ていると思っていましたよ」

「どこがですか」

 瓜実顔で細身の兄とは、それほど似ているとは思わない。一瞬目を眇めた。

「雰囲気ですね。その、どこか遠くを見ているような感じとでも言うか」

 そうかもしれない。多島エーゲ海、とか。

「奴とは、どこで知り合ったんですか?」

「本社の社屋建て替えのときですよ」

「ああ、なるほど……」


 数年前、親会社では、本社機能を東京からニューヨークに移すに当たり、新社屋を建てることになった。

 それに伴いGSS社の親会社からの独立、子会社化も進められ、米国防総省の庇護の元、本格的な活動が始まった。

 多国籍を持つ複合企業コングロマリットである親会社は、本社をあのまま東京に置いておくことが現行の日本の法律では不可能だった。


「あの現場でも私は責任者をしていましてね、ある日、いきなり現場事務所に会長が怒鳴り込んで来たんですよ」

「え?」

「社長室の隣の、猫部屋の造りが気に入らないから責任者を出せ、とすごい剣幕でしたよ」

「ぷっ。それは災難でしたねぇ」

「改めて見てみたら、たしかにキャットウォークの場所がよろしくない」

「てっきり奴のワガママかと……」

「うちにも十匹ほど猫がいましてね。半野良も入れれば、面倒を見ている子は二十匹近いでしょうかねぇ。――私も猫にはちょっとうるさいんですよ」

「はぁ……」

 原因は『猫』だったのか。神崎は即座に納得した。

 あの男は、人間よりも、猫の方が大事だと普段から豪語している。人間は信用出来ないが、猫は信用できると。その奴が、ここまで猫を大切にする人間を見れば、寵愛するのもごく自然なことだった。

 なぜなら、ヤツこそがだからだ。

「その件以来、すっかり仲良くさせてもらっていましてね。社屋が出来るまでは、会長とはしょっちゅう一緒に飲んでましたよ。日本に帰国された時はかならず。まったく、私のどこが気に入られたのでしょうねぇ」

「きっと、吉岡さんの裏表のない所、でしょうか」

 それは、自分の感想でもあった。「ヤツはああいう立場ですからね、周りには腹に一物持ったような連中しかいない。僕に戻って来てもらいたいのだって、信用のできる奴を手元に置きたいからです。結局、あんな仕事をしていたら、誰も信用出来なくなるんです。自業自得ですよ」


 視察予定の半分ほどを消化したところで、ある山村の廃校に来た。村には若干の住人がいたが、この学校は放棄されて久しかった。

 先導していた一台から警備員が降り、サブマシンガンを装備して校舎の中に入って行く。それから数分置いて無線で安全が告げられると、神崎と吉岡は車を降りた。

 銃を首から提げた警備員に挟まれながら、吉岡は神妙な顔つきで敷地内をうろうろとしている。時折カメラで建物や敷地を撮影しながら。

 校舎は戦火に巻き込まれ、ギリギリ原型はとどめているものの、既に窓ガラスはなく、壁もところどころ崩れて痛みが激しい。

 校庭と思しき空き地は、崩れて僅かに残った塀が周囲を申し訳程度に囲んでいることから、そこまでが校庭なのだとおぼろげに分かる。

 敷地内に、壊れて放置された日本製のトラックが横倒しになっている。全体に黒く煤けているのは、炎上したからだろう。

 その脇には、遊具と思しき半分地面に埋められた大きな古タイヤが並んでいた。


「ここは……小学校と中学校を作ることになっているんだが……」

 吉岡は、半ば独り言のように話し出した。

「子供たちを通わせて、本当に大丈夫なんだろうか?」

「……え?」

 隣で周囲を警戒していた神崎は、一瞬、何を言われているのか分からなかった。

「以前もここに学校があったから、同じようにまたここに建てろ、と言われた。でも、ここは本当に学校を建てるのに相応しい場所なんだろうか、ふとそう思ったんです。まぁ、今の私にそれを知る由はありませんがね……」

 吉崎の横顔に薄い苦渋の表情が見て取れる。

「そうなるように、僕たちが任務を全うするだけです」


 正直、どこまで国内の治安を回復できるのか、神崎にもよく分からなかった。

 自社PMCが警備をするのは完成までで、建物を引き渡した後の警備は国軍の仕事になる。その国軍の状態を良く知る神崎は、その先を語らず口をつぐんだ。

 いずれ契約が切れてこの国からコントラクター達が全て去った時、果たしてどうなるかなんて誰にも分からない。


 雑なコンクリートや煉瓦造りの建物は、全壊を免れた物でも爆弾等で半壊していたり、銃撃の痕が今も生々しく残っていた。

 所々、壁にスプレーで文字が書かれている。おそらくは、村を襲撃した武装勢力の連中が書き残したものだろう。

「あの落書きは、何て書いてあるんですか?」

 シャッターを切る手を止めて、吉岡が訊ねた。

 ――内容は、正直どれも虫酸の走るようなものだった。

「あれは……」神崎は眉根を寄せ、鋭い目で落書きのされた廃屋に視線を流し、

「聞かない方が、いいと思います」と短く、それだけ言った。

「よほど酷い事が書いてあるんですね……」

 吉岡のその問いには答えなかった。


 学校を後にして、次の予定地へと向かう。その途中、アスファルトが剥がれて土が露出している場所に通りかかった。

「お、もう測量やってるんですね。さすが我が社だ、手が早い」

 剥がれた道路の周辺で、作業員が測量をしていた。その側で、自社コントラクター数名がカラーコーンで崩落部分を囲み、交通誘導と作業員の警護をしている。武装警備員が工事現場のガードマンをやっているのが、神崎には少し面白く思えた。

 神崎は手を少し挙げて、窓越しに路上の社員たちと軽く挨拶を交わす。車列はカラーコーンの林をそのまま通り過ぎた。

「神崎さん、よくご存じですね、測量なんて。そう、土木部門の方が先行なんですよ。何かを造るにしても、まず道路を直さないといけないでしょう?」

「そうですね。やはり復興作業を行うには、港湾、空港、道路、橋梁、鉄道など、インフラを確保するのが先かと」

 神崎は顎に手を当て、ゆっくりと確かめるように、ひとつひとつ答えた。

「ご名答、さすがはGSSのエースだ。知性もすばらしい」

 パチパチと、小さく手を叩く。

「おだてても、僕からは何も出ませんよ?」

 大仰に褒める吉岡に、神崎は苦笑で応えた。

「ところでコントラクターって、測量とか、そういうお仕事もされるんですか?」

「ああ、いや……、特にそういうわけじゃありませんよ。以前人手が足りなくて、そこの現場でちょっと手伝いを……」

「おお」

「でっかい定規みたいのは使わないんですか?」  

「昔は使っていましたが、今はGPSを使って測量するんですよ。ほら、あの手を上げてる職員の前にある機械から信号が出るんです。みんな日本から持ってきた最新式なんですよ」

「えっ、今って測量にGPSを使うんですか? 進んでるんですね」

 神崎は素で驚いていた。IT化は戦場だけでなく、いたる所にまで浸透している。

「でも、神崎さんたちの職種では、もっと色々進んでるんじゃないんですか?」

「え、ああ、まぁ……。そう、ですね」

 思わぬ質問に歯切れの悪い返事をする。兵器の世界はどこよりも技術が進んでいる。それ自体は間違いなかったが。

「無神経なことを言ってしまいましたか」

「いや……、どうぞ、お気になさらず」


     ◇


 学校を出てから予定地をいくつか回ったあと、一行は視察ルートの途中にある、国内で二番目の大きさといわれる、国軍の基地に立ち寄って小休止をすることになった。

 食堂の一角を借り、食事は予め用意したものを持ち込んだ。チームで一番年下のジェイクが、ダンボール箱からラップに包んだおにぎりと、からあげとウィンナーの入ったパックを取り出して皆に配っていた。すると、吉岡が驚いた顔で、

「こんな場所にもおにぎりあるんですか?」とテーブルの向こう側から身を乗り出してきた。

「基地で~、ブレイク中デース♪」とニヤニヤしながら、ジェイクは微妙な日本語で答えた。

「僕が食べたかったんで職権乱用しちゃいました。今は僕の住んでる基地の食堂で量産していますよ」神崎は苦笑しながら説明した。「今日の具はツナとスパムです。お口に合うかわかりませんが」

「ホントに? いやぁ、有り難い。ご飯食べたかったんですよ。うちのキャンプもまだ本格始動ってわけじゃなかったもので、未だほとんど缶詰とか保存食ですからね」

 神崎からおにぎりを両手で受け取る吉岡は、とても嬉しそうだった。

「次の輸送機が来れば、もっと多くのキャンプや基地で提供できるようになりますから、もう少しお待ちください」

「ええ! 楽しみにしていますよ! 神崎さん!」

「ボスはどうして『口に合うかわからない』言うのか? とても美味い~思うのに」不思議そうな顔をして、ジェイクがこれまた微妙な日本語で訊ねた。

「日本人は、自分で自分の事を褒めるのは『卑しい』と思う民族だからだ。それは日本の美徳……、美意識というヤツだな。Aesthetic sense、もしくは、Aesthetic feeling、とでも言うか。無論、最初から自分が不味い、と思うような物を、相手に差し出すようなことはしない。それこそ相手に失礼だからな。お前も日系企業の一員なのだから、もっとこの美しい日本の文化をだな――」 

「はいはい、アルト隊長ストーップ。ランチにしましょうネ~」と、マイケルに遮られる。横で吉岡がクスクス笑っている。

 マイケルには、ちょくちょく子供扱いをされるのが気に入らないのだが、迷惑なことに、彼の実家の近くに住んでいたアジア系の子供に神崎が似ているから、ついついいじめたくなる、とのことだった。

 ――あとでマイケルはウメボシの刑だ。クソッタレめ。


 残った建設予定地は、いずれも激しい戦闘の痕が残る場所だった。

 根の明るい吉岡でさえも徐々に口数が少なくなり、ひたすら現場の写真を撮り続けている。必要な枚数は既に超えているはずだが、それでもなお写真を撮ることをやめようとはしなかった。

 神崎の職業柄、実際に戦場カメラマンや戦場ジャーナリスト達と接触することは多く、警護対象となっていることもあった。しかし、戦場カメラマンなどという特殊な人種でなくても、平和な国から来た人間は、一様にそうやって吉岡のように、シャッターを切り続けてしまうものなのかもしれない。


「しかし……、どこも本当に酷いですね」

 行程を全て終え、キャンプへの帰路の車中で、ようやく吉岡は口を開いた。

「この国は長い間、戦争が続いていましたから」

「このへんって、昔シルクロードのあった辺りですよね、神崎さん」

「そうですね。商隊キャラバンが多く行き交っていたあたりです。僕はこの手前のオアシスによく……」

「え、オアシスなんてありましたっけ」吉岡がキョトンとした顔で訊き返してきた。

「あ、いや、その…………大昔はオアシスがあって、キャラバンの連中が休息を取っていたものでした……と」

 神崎はついうっかり、自分が吟遊詩人をしていた頃のことを言いそうになった。彼はかつて半ば用心棒としてキャラバンに同行していたことがあった。その前はどこぞの王宮にいたのだが、あまりの居心地の悪さに早々に出奔してしまったことを思い出す。

「ほら、近くに水源もありますし……ね。あはは……」

 吉岡は微妙な顔をしていたが、話題を変えた。

「我々が仕事をするということは、きっとこの国とって良い事なんでしょうね」

「……と言いますと?」

「復興が始まる、ということは、未来に向かってその国が立ち上がる、ということですから」

「確かに……。そうかもしれませんね」

 神崎は暗くなり始めた窓の外に、物憂げに視線を投げた。

「でも日本では……違います」

「そう」と言って、吉岡は大きなため息をひとつ挟み、

「日本はここに比べれば遙かに平和で豊かな国のはずです。どこに何を建てようと、誰かに銃を向けられることもない。なのに、何をどこにやるだとか、責任がどうだとか、そんなことを言ってばかりで、肝心の復興が全く前に進まない」

 今まで黙っていた分なのか、吉岡は饒舌になっていた。建設業界の人間として言いたいことが山ほどあるのだろう。神崎は、投げやりに車窓に流していた視線を、己の隣に座る熱い男に向けた。

「仰るとおりです」


 現在の新聞やテレビ等のマスコミは、全くのデタラメを垂れ流し続けているが、多くの国民は疑問を抱きすらしない。そのことが酷く苛立たしく感じるのは、発言力を持たない若い世代や、自分のように外側から見ている連中だろう。


「復興事業ひとつ取っても、金を落として欲しいはずの地元企業が受注出来ず、大手ゼネコンが片っ端から仕事を取り上げてしまう」

「うちだって、その大手ゼネコンじゃありませんか。吉岡さん」

「だからこそです。自分でそういう現場に携わったからこそ、実際に現地で起こっている軋轢を知っている。本当は、我々はどうするべきだったのか、ということを痛感した」

 苦い気持ちを思いだしてか、吉岡は渋い顔をしていた。そして神崎も想いを吐き出し始めた。

「僕はあのときNYの米国支社にいたんです。そして即日のうちに、一千万ドル分の救援物資と会社の備蓄物資までかき集めて、米軍の『トモダチ作戦』のどさくさ紛れにねじ込んだのです」

 神崎はフロントガラスの向こう、ヘッドライトに照らされた砂利混じりの道を、厳しい視線で見つめていた。

「米軍の連中のしたことは人道支援です、……半分は。でも残り半分は、周辺諸国への当てつけと、事態が収拾した後、基地問題を始めとする日本との様々な交渉を有利に進めよう、という思惑があったことも確かでした。しかしそれは、時の政権の態度を見ればアメリカにそう判断されてもやむなし、という所でしょう」

 神崎も現場にいたからこそ、彼等の思惑の何もかも、全て最初から分かっていた。

「……でも、文句ばかり言ってロクに何もしない連中よりは、下心があったって何かをしてくれた連中の方が遙かに上だ。それで少なくとも、当時救われた人間がいたのは間違いないのだから」

「確かに、神崎さんの言うとおりだ。しかし個人で一千万ドル、――十億円規模の支援というのは……すごいですね。全く知りませんでした」

「ご覧の通りの仕事ですから、名前が表に出るのは好ましくありません」

 神崎は、支援に携わった者として、ずっと胸にしまっていた想いを吉岡相手に一気にまくしたててしまった自分に少し驚いていた。


 車は大きくハンドルを切って、砂利道から国道に出た。少々運転が乱暴なせいで、体が左右に揺れる。国道には、薄汚れたハーフトラックや軍用車両、オートバイなどが行き交っていた。

「私達は、確かに施主の注文でいろいろな物を造ります。ですが、それが本当に相手にとって必要なものではないことが多くあります」

 広い道に出てからしばらくたって、吉岡が再び話し始めた。膝の間で両手を組み、真っ直ぐ前を見ている。

「たとえば?」

 車の外が明るくなった。国道脇にある空港の明かりが車窓に差し込んできた。二人の顔を片側だけ強く照らしている。滑走路には自社の輸送機やヘリが並んでいて、神崎はそれを気怠げに眺めていた。

「本当は病院が必要なのに、レジャー施設を造ったり、学校が必要なのにゴルフ場を造ったり……おかしいですよね。その施設が無くて困っている人々がいるのに、無くても困らないハコを造らされるなんて。ゼネコンの私が、本当は抱いてはいけない疑問なのかもしれませんが」

「抱いてはいけない疑問……ですか」

 無用の疑問を抱いてはいけない場面、必要以上に疑問を抱かなくてはいけない場面、そのどちらも職務上必要とされるが、彼が疑問を抱いてはいけない場面の多くは、引き金を引く時だ。

「そういう時、私は自分の非力さを呪います」

 吉岡の目にも暗い色が落ちる。

「……僕も、同じです。いつもいつも、自分の非力さを呪っています……」

「お互い、今の世の中じゃ生きづらい性格みたいですね」

 神崎はその言葉に微笑みで応えた。

「私はね、神崎さん。自分が大好きな建築で、たくさんの人を幸せにしたい。それって間違っているのでしょうか?」

「いいえ。吉岡さんは、正しいです。間違いなく」


 正しさとは何だ。

 幾万の昼と夜を繰り返してきてもなお、己の中に答えなんか出やしない。そこにあるのは、その瞬間瞬間においての選択のみだ。


 戦神として幾星霜、誰かの正しさを行使するための意志なき矛として生きて来た己を空しいと感じるようになったのはいつの頃からか。


「僕たち傭兵は、誰かの正しさを行使するための意志なき矛です。家族のために正しい、社会のために正しい、国家のために正しい、会社のために正しい、金のために正しい、倫理上正しい、宗教上正しい……。時代を経てますます多様化する、無数の正しさの上に、今の自分達の仕事が成り立っています。その無数の正しさの中で、僕は己の正しさを選ぶ生き方をしたい。――少なくとも、それができる自由があるのなら」

 誰に語るでもなく、口からこぼれる孤独な戦神の想いを、傍らの吉岡は黙って聞いていた。

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