第一章 死の商人

【1】何度でも巡り会うもの

【表紙】https://kakuyomu.jp/users/i_s/news/16818023212426461639




『――俺はずっと待っている。それが君との約束だから』


 そんな自分は、百万回君を待つ猫、

 永久とわの時間を、待ち続ける野良猫。



      ◇◇◇



 二〇二X年 三月十一日 早朝 成田空港


「贈り物ですか?」

 書店の若い女性店員が客の青年に尋ねた。彼が絵本をレジカウンターに置いたので『子供への手土産』だと思ったのだろう。

 青年――神崎有人かんざきあるとは、中東はカタールのドーハ国際空港行き直行便を待つ合間に、とある絵本を購入しているところだった。それは、過去何度も何度も無くしては買い直している、彼にとって特別な絵本だった。

「あ……、いえ。そのまま、でいいです」

 青年は、少し恥ずかしそうに答えると、使い込まれた茶色い革財布から、真新しい百ドル紙幣を一枚取り出した。


 青年は、どこかしら物寂しげで水商売が似合いそうな、色白で甘いルックスの持ち主だった。

 彼の年の頃は二十五、六。

 濡れた鴉の羽のような長めの黒髪と切れ長の目に、澄み切った深淵、或いは黒曜石の玉のごとき瞳を持っていた。

 身長は180cmほど、細いメタルフレームの眼鏡と黒のスーツに黒ネクタイ、よく手入れのされた黒の革靴、手にはアルミのスーツケースを携え、まるでシークレットサービスかSPのような出で立ちだ。

 一見スマートだが、鍛えられた筋肉質の体が、彼が少し動く度に生地の起伏を通して見え隠れする。背筋がピンと伸びているせいか、周囲を歩いているくたびれたビジネスマンたちよりも余程見栄えがいい。

 身なりだけは『ビジネスマン』だが、彼の中性的な面立ちからは『企業戦士』という雰囲気は微塵も感じられなかった。


 G  S  Sグリフォンセキュリティサービス社一の器用貧乏な平社員、神崎有人の肩書きは、派遣される度に違う。

 ボディーガード、指揮官、外科医、特殊部隊員、戦闘機パイロット、そして戦略アドバイザー。

 そんな彼の「今回の」肩書きは、親会社GBI社の新規部門『ミリタリー・コンシェルジュ・サービス部 (MCS) 中東支部長』そう名刺に書いてあった。

 神崎の本業は、後発の日系民間軍事会社・GSS社のコントラクター。

 ――通りのよい名称で言うならば『傭兵ようへい』だ。


 早朝なせいか広く明るい店内は他に客はなく、店員たちが今朝方届いたばかりの本の梱包を解き、そこかしこで陳列作業に勤しんでいた。雑誌の陳列をする者、文芸書の新刊に手書きポップを添える者、コミックスを平積みしていく者など、めいめいに販売準備を行っている。

 店頭には海外からの旅行者向けに折り紙や日本食、着物の着付けなど、日本の文化を外国語で解説したギフトブックが、千代紙や手まり等と一緒に綺麗に飾り付けられていた。

 ふとカラフルな折り紙の教本が神崎の視界に入った。彼は赴任先で現地の子供に乞われ、色んなものを折ってやったことを思い出した。冥土の土産になっていたならいいのだが、と祈らずにいられなかった。

 地雷に吹き飛ばされて、あの子らはもういない。


「あの、お客様?」

「あ、済みません。つい……」

 我にかえった神崎は照れ隠しの苦笑いを浮かべた。

「申し訳ございませんお客様、日本円はお持ちではありませんか?」

 レジ係の女性がカウンター越しに深々と頭を下げる。ゆるいウェーブのかかったセミロングの茶色い髪が、濃紺の制服の上にはらりとこぼれた。

「いいえ……」

 神崎はひどく申し訳なさそうに百ドル紙幣を財布に戻した。

 一度海外に出かけると数ヶ月、長い時には一年以上も日本には帰って来られない。彼の財布に日本円が入っていないのは毎度のことだったのだ。

「では、これなら使えますか?」

「はい。お預かりします」

 今度は古代の将軍がプリントされた黒いチタン製の薄い金属片をキャッシュトレーの上にパチリ、と置いた。触れると指先に冷たい感触が伝わる。

 一瞬女性がひるんだように見えた。が、彼女は自分の職務を全うせんと平静を装い、機械的に決済用端末のボタンをいくつか押してスリットにカードを通した。

 神崎は内心ひやひやしながら、端末の液晶画面に映る『決済完了』の表示を待っていた。たまにこのカードを読み込まない端末があるからだ。

 このチタン製の黒いクレジットカードは、都市伝説的に『限度額のないカード』と語られる事も多いが、実際には顧客毎の決済能力に応じた限度額が設定されている。

 神崎青年の決済能力は、一括払いで戦車や戦闘機が軽く買えるような限りなく青天井に近い金額だが、実際のところ普段は財布代わりに使われる程度だった。

 ――十数年前の今日、『三月十一日』に、このカードを使って一度だけ、一千万ドルという桁違いに大きな買い物をしたことを除いては。


 無事に会計を済ませ、店の外に出た神崎はニヤニヤが止まらない。

「ふふ……。やっと戻ってきた。おかえり、フラウ」

 嬉しそうに呟くと、大事そうに書店の袋ごと絵本をアルミのスーツケースの中に仕舞い込んだ。そして彼は楽しげにスーツケースを前後にスイングさせながら、軽い足取りでチェックインカウンターに向かった。


 広い空港ロビーの中にずらりと並んだ航空会社のカウンターは、早朝だというのにフル稼働している。

 目的のチェックインカウンターに到着すると、すでに幾本かの行列が出来ていた。神崎はパスポートと航空券をスーツケースから取り出して、おとなしく順番待ちの列の最後尾に並んだ。

 日本に帰ってきてこういう光景を見るにつけ、『日本人は行列が上手だな』と感じてしまう。

 まもなく、航空会社の職員から場内アナウンスが。

『現在関東周辺の気流が悪く、天候回復を待っているため到着が遅れております』

 こうしてすぐに説明をしてくれる几帳面なところも『やっぱり日本的だな』と思いつつ、自分も日本の商社マンとしてこれから『日本的なサービス』を提供する立場なのだから、見習わなければいけないのかな、と漠然と感じていた。

「ま、今回はそれほどく旅でもなし、気楽に行くさ」

 そう、独りごちながら手続きを終えた神崎は、出国ロビーのベンチでのんびりくつろいでいた。カード会社の顧客用ラウンジを利用してもいいのだが、居心地が良すぎて眠くなってしまう。

 ベンチに腰掛た彼の周囲には、搭乗前の腹ごしらえにと、売店で買ったおにぎりをむさぼるサラリーマンもいた。彼は先日海外で食べた残念この上ないおにぎり(長粒米をムリヤリ圧縮して作ったのですぐほぐれてしまう)を思い出し、一人苦笑した。


 彼の荷物は、アルミのスーツケースが一つきり。中身は愛用しているノートパソコンと書類、ゲーム用コントローラー、折り畳みVRゴーグル、それと当座の身の回りの品が少々。長期の海外滞在にしてはあまりにも身軽な旅支度だったが、仕事で必要なものは、それがたとえ礼服一式だったとしても全て現地で買い揃え、現地で処分するのが彼の常だった。


 飛行機が到着するまでの間ヒマを持て余した神崎は、先ほど苦労して購入した絵本を鞄から取り出した。

(……この絵本を買うのは、もう何度目だろうか)

 日頃から物欲があまりなく、家も物も『所有』することのない男だったが、それでもあの絵本だけは、可能な限り手放さなかった。仕事先で無くす度に何度も何度も買い直しては読み返す、神崎にとっての「心の一冊」だった。

「幾度死んでも生まれ変わり続ける猫」を題材にし、もう三桁にも及ぶ重版を繰り返している、古くから日本で親しまれてきた絵本だ。

 彼は、白地に大きくトラ猫の描かれた絵本を膝の上に載せ、ゆっくりとページをめくっていった。そこには幾度となく繰り返す、主人公「猫」の生き死にと、「猫」に関わった人々との物語が綴られていた。



     ◇◇◇



 「猫」は身勝手な恩知らずで、自分を可愛がってくれた飼い主たちを何とも思わず、そして自分自身の命も何とも思っていなかった。

 そして幾万回目かの転生の後、

 「猫」は誰にも飼われることを選ばず、野良猫として過ごした――。



     ◇◇◇



 神崎は絵本を見る度、いつも思う。

 自分は永久とわの時間を「猫」ほど身勝手に生きてきたつもりはないけれど、事情があって捨ててきた人たちがたくさんいた。

 彼等から見れば、やっぱり自分は「猫」と同じように、身勝手で恩知らずだったのかもしれない。

 だけど、もらった愛情は、いつまでも忘れずにいるつもりだった。

 ――何百年でも、何千年でも。

 ふと、ページの上に一粒の涙が落ちる。

 主人公の「猫」が、ヒロインの「白猫」の気を惹くために曲芸を見せるシーンだった。神崎は慌ててハンカチを取り出して、紙に染み込む前にこぼれた涙を拭き取った。

 それは「猫」が初めて『誰かと共にいたい』、とはっきり望んだ場面だった。

 神崎は、どうしてもそのページで必ず泣いてしまう。何百回と読んだ絵本だったが、それでもこのシーンでは必ず涙があふれ、そこから先が読めなくなってしまう。きっとそのままラストまで読み続ければ、号泣してしまうのが分かっているから。

 別に泣きたくて読むわけじゃない。

 悲しさを噛みしめるために、幾度となく買い直しているわけじゃない。

 でも初めて見つけたときから、彼にとってどうしても手放せない、そんな絵本だった。



     ◇◇◇



 「猫」は「白猫」と満足のいく人生を送り、そして「白猫」の死を見送ったあと、自分もやっと「死ぬ」ことが出来た。二度と蘇らない死を迎えたのだった。


 ――――――でも俺は……。


『――俺の白猫は、いつ帰ってくるんだろう?』


 そんな自分は、百万年経っても死ねない猫、

 永久とわの時間を、彷徨う野良猫。

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