エピローグ

家路(後日談)

 うららの手術から一か月後。

 神崎有人と麗は入籍し、ハネムーンに旅立つため、東京・横田基地にやってきた。早朝ではあるが、季節は夏で、既に暑い。

 神崎は麗との面会後すぐ湯河原の病院から横田基地に自分の機体を移したきり、ずっと預けっぱなしにしていた。その間、身辺整理や入籍、麗のパスポート、ビザ取得、関係各方面への連絡等々で忙しかったのだ。


 麗との約束「おうちに帰りたい」は術後翌日にも叶えてよかったのだが、両親を無暗に驚かすこともなかろうと、彼女には一週間入院してもらった。保養施設も兼ねた湯河原の病院はファミリー用宿泊施設もあって、そこで麗は両親ともども温泉三昧することになった。獅子之宮総合病院はセレブご用達なので、設備はもとより、海鮮を始めとする料理などのおもてなしも最上級で、パパ上もママ上もすっかり機嫌を直してくれた。

 また、神崎の覚悟は大昔に完了しているので、三つ揃えで決めて宿泊施設の和室で『娘さんを僕にください』という例の儀式を速攻で行ったのは言うまでもない。一日も早く自分のものにしなければ、と不安で仕方なかったのだ。

 麗の両親は『はい! よろこんで!』と即時快諾。ここで断ったら神崎に何をされるか分からない、とパパ上は内心ビビり散らかしていた。娘の彼氏から銃をデコに突き付けられた経験のある父親は日本でもそう多くはない。

 無論神崎も『はい』か『イエス』で答えろと猛烈な殺気を放ちつつ強く強く目で訴えていた。なお神崎が持参金『十億円』を納めようとしたところ、丁重にお断りされてしまった。理由は単に、巨額の現金が怖かっただけのようである。なんなら転院前に置いていった二億円は手付かずで、塩野義氏は獅子之宮総合病院から一銭も請求されていなかった。

 結婚式はというと、神崎も麗も呼べる友達はなく、それならば旅先で二人で挙げましょうということになり、ホテルのシンプルウェディングを予約したが、二人はむしろMMORPG内の方が参列者は多いだろうから、帰国したらゲーム内で本格的な式を挙げる予定である。


     ◇


「長らく預かって頂きありがとうございました、八巻さん」

「なんの、神崎教官のためならこの程度」

 格納庫の前で、神崎有人と横田防空司令部の幕僚、八巻が談笑していた。傍らには神崎専用ステルス戦闘機が控えて、主との旅立ちを待っている。時折通りかかる整備員に、神崎はペコペコ頭を下げてはチップを配っていた。余計な仕事をさせて済まない、と。

「しかし戦闘機でハネムーンに出かけるなんて聞いたことありませんぞ」

「いやあ、実はこの機体を中東支社に戻しに行くだけなんです。旅行はそのついででして。さすがにコイツを国内に置きっぱなしにも出来ないでしょう」

「我々はお預かりしていてもよいのですが?」

「それはさすがにごかんべんを。弊社の機密が詰まっております故」

「なるほどキャノピーもハッチも開かないわけだ!」

「試したんですかい……」

 背後でAIのニンフがピキピキ鳴いて、怒っている。

 そこへ麗と両親が自動車でやってきた。

「有人さん、おまたせ~」ダブダブのフライトスーツを身にまとった麗が、大荷物を抱えて車から降りてきた。

「うーちゃん、荷物は積めないから最低限って言ったよね? 必要なものは全部向こうで買うからって。……それは何なんだい?」

「えーっと多分必要になると思って」

 ひと月のあいだに、麗の呼び名がうーちゃんになっているのは、ママ上にそう呼ばれていたから。その呼ばれようにふさわしい子供っぽさの新妻である。

 神崎が地べたでトランクを暴くと、ぬいぐるみや傘や帽子やノートパソコン、袋菓子にクッション、ドライヤーなど、余計なものが大量に入っていた。

「お義母さん済みません、手荷物程度に圧縮して頂けないでしょうか」神崎は塩野義夫人に手を合わせた。

 ママ上に麗が強制連行されると、今度はパパ上がやってきて、

「戦闘機って乗ってみたかったんだよね~……」チラ、と娘婿を見る。

 パパ上も男の子だ。かっこいい戦闘機に乗ってみたいに決まっている。神崎はハシゴを勧めた。

「ニンフ、空けてやって」

『イエス、マスター』ニンフがキャノピーを開けた。

「うわ、音声認識で開くんだ! うおおおお! コクピットかっこいい――!」

 パパ上はご満悦でなによりだ。

「あ、お義父さん、機密の塊なので撮影はご遠慮ください」

「ところで、神崎教官に銃口を向けた連中は、あのあとお仕置きしておきましたぞ」と八巻。

「かわいそうに。仕事だったんだからいいのに」

「ケジメです。それで、直接お詫びをしたいそうなので、那覇から連中に随行させてください」

「構わんですが。何か趣向でも」

「それは後のお楽しみということで」

 神崎は苦笑で応えた。


 麗の荷物整理が終わったので、ぼちぼち出発することに。ゴネるパパ上をコクピットから追い出し、麗を後部座席に押し込むと、ようやく神崎自身もコクピットに収まることが出来た。

「それでは行ってまいります!」

「いってきまーす」

 両親と八巻と整備員の皆に見送られ、神崎は滑走路に機体を進ませた。

 管制塔からの離陸許可が出た。

「GSS神崎機、出ます」

『ご結婚おめでとう。よい旅を』

「感謝します」

 エンジンを吹かし機体はどんどんスピードを上げていく。

「うーちゃん、舌噛まないようにね」

「うん」

 神崎のステルス戦闘機は離陸してまもなく、空戦起動でいきなり垂直上昇を開始した。

「ヒャッホ――――ッ」浮かれる神崎。

 目立たないよう一気に高度を上げる……というのは建前で。

 限界高度に達すると、

「うーちゃん、外見て。地球のはしが見えるよ」

「わ~ほんとだ! すごーい!」

 この景色を麗に見せてやりたかっただけのようだ。ゲームの箱庭にしか自由のなかった彼女に、世界中のいろんなものを見せてやることが、神崎の当面の目的になっていた。

 写真撮りたかったら今のうちに、と神崎。

「うーちゃんは宇宙見たい?」

「え、見れるの?」

「見れるよ。短時間だけど宇宙見物できるツアーがあるんだ。行きたい?」

「いきたーい!」

「OK。じゃ予約しとくね。そろそろ次行ってもいいかな?」

「いーよー」

 しばし撮影していた麗も気が済んだので降りることにした。

「じゃ、戻るよ。舌噛まないように」

 宙返りをして沖縄に向かった。

 

 神崎機が鹿児島付近に差し掛かると、那覇管制塔から通信が入った。歓迎の用意があるので指定のコースに入るようにとのこと。

「なんだろな。歓迎って」

「なんだろね?」

 沖縄に差し掛かったところで機体を傾け、麗にサンゴ礁の海を見せてやっていると数機の自衛隊機が前方から接近してきた。姿勢を戻すと、

『こちらは航空自衛隊那覇基地所属――』

「八巻さんから話は聞いた。諸君らも職務に忠実であったことを理解している。まあ水に流そうじゃないか」

『いえ。我々の気が収まりません。心ばかりのお祝いを贈らせて頂きたい』

 一旦神崎機を追い越すと転進して、スモークを炊きながら追い越していった。

「わ~きれーい!」

「ほう。お手並み拝見といこうじゃないか」

 神崎はAIに命じて自動操縦に切り替えると、ヘルメットのバイザーを上げて腕組みをし、彼らの演技を肉眼で鑑賞し始めた。

 地上に向けての演技ではなく飛んでいる対象相手に魅せるのは、できることも限られてしまうが、それでも彼らの心づくしの美しい演技は称賛に価するものだった。

『ご結婚おめでとうございます。よい旅を』

「すばらしい演技だった。感謝する」

 並走する彼らに敬礼すると、神崎はバイザーを戻し、返礼代わりに宙返りを決めて東シナ海へと飛び去っていった。


 神崎と麗はチョコバー(先日彼が戦地で食べたアレ)で一服すると、BGMを流し始めた。

「あ、この曲しってる~。ドライブしてるとき、よくかかってたよね」

「うん。俺のテーマソング(笑)」

「これって~航空会社のCMのやつだよね? なつかしCMの動画で見たことあるよ」

「そっかそっか。A国から日本に帰るまでの間、ずっとヘビロテしてたんだよ」

 君に会うまでは死ねない、と思いながら。

 君が死ぬ前に絶対辿り着く、と思いながら。

 神崎は曲に合わせて歌いだした。

「やだ有人さん美声♪ 歌手みたい」

「なにそれ(笑)」まんざらでもなかった。

「でも俺、一緒に飛びたかった。行きは一人だったけど、帰りは二人になって、俺、本当に嬉しい」

「有人さんが嬉しいなら私も嬉し~」

「ありがと。さすがに戦闘機はこれっきりだろうけどさ」

「うふふ。私も普通の飛行機がいいな。だって……」

「ん?」

「有人さんの顔見られないもん」

 神崎は真っ赤になった。

「み、見られなくても……いいんじゃないかな」

「あ! HMDで自分だけ見てるんでしょ! ズルい!」

「バレたか……」

 仕方ないので、神崎はバイザーを上げてスマホで自撮りすると、写真を後部モニターに表示させた。

「次降りるまでこれでかんべんして下さい奥さん」

「お、おおお、お、おくさん! って、あーヘルメットな有人さんかっこい~! 待ち受けにするからあとでちょうだい!」

「それはちょっと……機密なんで」

「も――!」


 一回目の給油のため、米海軍第七艦隊の空母に立ち寄ることに。空中給油よりも費用は格安だ。

「うーちゃん、空母に降りるよ。ごはん食べよう」

「わーい! ……空母ってなに?」

「軍艦の一種で、甲板にたくさん飛行機を載せられるやつだよ」

 まもなく神崎機は米海軍の空母に着艦するが、こんな出鱈目なことができるのも、日頃から取引のあるGBI社副社長であればこそ。まあ、もちつもたれつである。

 後部座席から女の子が降りてきたので甲板クルーが目を丸くしていたが、軽くいなして食堂に直行する神崎。

「「「ご結婚おめでとう!」」」

 配膳カウンターから食事を取り、二人が席に着くやいなや、クラッカーが焚かれ拍手が鳴り響いた。

「え……これ、サプライズ?」

「すごーい!」

 なんと厨房からケーキが提供された。クリスマスケーキくらいの大きさだ。

「おお……みなさんどうもありがとう!!」

「ありがとうございます~」

 だが、神崎は不安だった。

 恐らく麗は食事の後にこのケーキを半分も食えやしない。かといって食事はすでにトレーに乗っている。日本男児たるもの、食べ物を残すことは許されない。――神崎は覚悟を決めた。


 給油も終わり再び空の旅に戻った二人。やっぱりというか一時間もしないうちに神崎の気分が悪くなってきた。

「うーちゃん、もうちょっと食べてくれると思ったんだけどぉ……」

「だってぇ、お肉大きかったんだもん」

 まあ、しょうがない。こないだまで入院してた病弱少女が米国軍人メシを完食しただけでも褒めてやらねば。結局ケーキは一口食べるので精いっぱいで90%神崎が片付けるハメになった。

 米国のケーキは、スポンジがバサバサで口腔内の水分を猛烈に奪い、盛られているのは死ぬほど甘ったるくて胃を殺す勢いのバタークリームだった。利点なんて日持ちする事と型崩れしにくい事だけで、これが口当たりの軽い日本の生クリームとしっとりスポンジにフルーツのホールケーキであったなら、麗ももう少し食べられたかもしれないし、90%残ったとしても神崎の胃袋にここまでダメージを与えることもなかったであろう。

「……う、麗、俺」

「え……なに……有人さん」

「吐いたらごめん」

「や――――だ――――ガマンしてええええええ!」

 やっぱそうだよね、と消え入りそうな声で言うと、とりあえず降りられそうな場所を探して速度を上げた。垂直離着陸機V  T  O  Lでつくづく良かったと思う神崎だった。


 無人島に着陸し、スッキリした神崎は旅を続けた。残りの道のり、因幡の白兎よろしく顧客の空軍基地をとびとびに経由して補給を行いつつアラビア海、紅海を抜け、いよいよ地中海に入った。

『マスター、ギリシャ空軍がエスコートのため接近しています』

迎撃インターセプトすればいいのかな?」

『やめてください。着陸できませんよ』

 おそらくは所属不明機にデリケートな空域を単機で飛ばれたくはない、ということだろう。ときおり隣国とドッグファイトを繰り広げて死人も出るのだし。

「ギリシャ語自信ないからニンフが対応して」

『英語でコミュニケーションが可能です』

「冗談だよ」

「有人さん、次で終点?」

「ああ」

 まもなくギリシャ空軍のデモチームが神崎機を出迎えた。ド派手なカラーリングの機体がまぶしい。神崎の帰還に迎えを差し向ける程度には、神への崇敬がいまだ政府に残っているのだろう。

「アニメのプラモかな?」

「何がはじまるの?」

「俺達を歓迎してくれてるんだよ」

「わ~かっこいい~」

 いかにも平和的な飛行でございと言わんがばかりに美しい編隊を組んで誘導する彼らの後をしれっとついていく神崎機。

 神崎の目的地はギリシャ最東端の島、ロドス。二人の故郷である。

 地中海を抜けて、アナトリア・ドデカネスエリア、いよいよエーゲ海に差し掛かった。出会いの島を彼方に臨む。

 この海の南洋にも迫る美しさは、かつて神域であったことを辛うじて人間にも知らしめるに足る。実際には150ほどの島々から構成されたドデカネス諸島の名の由来は、ギリシャ語で「12の島」という意味だ。日本列島を表す古語「八島やしま」とほぼ同じだが、日本は約6000もの島がある。

 小アジアを指すアナトリアとは、日本語で日出る処という意味だ。つまりこの島こそ、ギリシャの『日出る国』である。今でこそ行政区としてアナトリアの領域にギリシャ諸島は含まれてはいないが、神崎のいた頃は小アジアもギリシャであった。

 しかし、かつてさんざん人間に利用されて辛酸を舐めた彼にとって、この場所は帰りたい故郷ではなかった。物言わぬ矛として、死なない兵士として、戦勝のお守りとして。

 ――しかし今は。

「麗、今のうち言っておきたいことがある。これから行く場所で、君は何かを思い出そうとしなくていい」

「どういうこと?」

「俺は、かつての君が生まれた場所に君を連れて行く。君との約束の拡大解釈と言われれば否定できないのだけれど……そこから俺達の関係を仕切り直したいんだ。君とこれからを生き直すために」

「いいよ」

「人は死ぬと記憶がリセットされる。持ち越しできる奴はごくごくわずか。だから、何も思い出せなくても気に病まないでくれ」

「わかったってば」

「麗、俺のエゴに付き合わせて済まない……」

 彼女は大きなため息をついた。

「謝らないでって。なんで全部自分だけ悪くなるの?」

「ごめん……麗」

「だーかーらー! ひとの話きいてた?」

「お、俺、あそこに行かないと、どうしても君とやり直せない気がして……」

「そういうの、もうよそうって、さんざん話したよね? 有人さん」

「うぐ……」

「私、有人さんのこと全部、受け入れるって言ったよね。今さら、なんだかんだ言わなくてもいいって」

「……はい」

「だったら。有人さんが行きたいんなら私も行くだけだよ? いちいちかっこつけなくていいの! も~めんどくさい人だな~」

「――ふっ。それを承知で俺と付き合ったんでしょうに」

「そこ、ドヤらない! いまハネムーンの最中なんだよね? 楽しくいこうよ!」

「ごめ……了解!」

 着陸予定の空軍基地の管制から通信が入る。滑走路の使用許可と位置情報がHMDに表示された。

「うーちゃん、もうすぐ着くよ」

「うん!」

 ギリシャ最東端の軍事基地、ロドス空軍基地の滑走路に向けて高度を下げると、ギリシャ空軍機は機首を転じて帰っていった。アテナイにでも戻っていくのだろう。その翼にゼウスのいかづちを宿した彼らは。


 故郷の島に降り立った神崎機は、滑走路から駐機場にやってきた。ずいぶんとこじんまりした印象だが、現在は新しくて大きい国際空港が別の場所で営業している。

「じゃあな、ニンフ。もう会うこともないだろうが」

『さびしいです、マスター』

「中東支社の連中によろしくな」

『お元気で』

 神崎と麗を降ろした機体は、ニンフの操縦で中東支社に送り返す。

「バイバーイ! ありがと~」

 麗がニンフに手を振った。

 神崎機は滑走路に戻ると、あっとういう間に加速をして舞い上がり、あるじ仕込みの宙返りを見せて、東の空へと去っていった。

 神崎は麗の肩を抱いて語りかけた。

「麗、二度と戦闘機なんか乗らないから。安心して」

「うん。もう私のこと置いてかないでね」

「ああ」

 入国手続きなどをしていると、乗ってきた戦闘機がいなくなっているので係員が驚いていたが、自動操縦で帰っていったと説明すると、いたく感心していた。


 二人が基地建物を出ると、車止めに見知った男がリムジンを背に立っている。近寄ると向こうから声をかけてきた。

「おかえり。遅かったな」

 神崎の兄、玲央だった。

「ただいま。どうしたの?」

 神崎は車に目を止めた。

「ここは田舎だからな。足がないと困るだろうと思ってな」

「そう、だが遠慮するよ」

 麗は玲央が怖いらしく、神崎の後ろに隠れてしまった。

「彼女がお前さんと行くのはイヤだとさ」

 玲央が車のキーを放ってきた。神崎がキャッチすると、近くに止まっている別の車を顎でしゃくって示した。

「そう言うだろうと思ってな。好きにしろ。俺は忙しい」

「なら来なきゃいいのに」

「これでもこの島の主だ。弟夫婦の帰還を出迎えるのは当然だろう」

「なに言ってんだ、このツンデレが。……ありがたく頂いとくよ」

 玲央はフン、と鼻で笑うと、さっさとリムジンに乗り込んで去っていった。

 業腹だが、今回ばかりはあんたに諸々感謝しなけりゃな、と思いつつ、神崎はリムジンを見送った。

 兄の置いて行った車に近寄って錠をキーレスキーで解除すると、座席に何か置いてあるのに気づいた。

(これは……)

 それを急いで上着のポケットにねじ込んで、麗を助手席に乗せると、山の方へと進路を取った。


 彼が車を止めたのはロドス島のアクロポリス、神殿だった。

 少々足場の悪い道を麗の手を取って昇っていく。その頂きに大理石で作られた神殿の名残があった。

「有人さん、すごいきれい! 海が見える~」

「ああ、昔と変わらない……」

 あの頃と違うのは、マリンスポーツに興じる人間たちの姿が多くあることか。

「麗……」

「なあに?」

「この場所で、君にプロポーズしたんだ。だから、もう一度言うよ。Σε παρακαλώ Παντρέψου με.――僕と結婚してください」

「……はい」

 彼は先ほど兄から贈られたバングルをポケットから取り出すと、大きい方を自分の腕に着けて、小さい方を麗に差し出した。

「このバングルはね、ここで君に贈ったのと同じデザインなんだ。もう、オリジナルはなくなってしまったけど……兄貴がまた作ってくれた。受け取ってくれるか?」

「うん。とっても綺麗……」

 麗もバングルを身に着けると、にっこり微笑んだ。

「これからもずーっと、ずーっと、よろしくお願いします、有人さん」

「ありがとう。こちらこそ、どうぞよろしく。……もう、離さないよ」

 彼は、あの時と同じように啄むようなキスをして、彼女を抱きしめた。

 日の暮れかかるエーゲ海の潮風の中、俺は運命に勝ったんだ、と思いながら。


                         (了)

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