秋葉原#3

 日も暮れ、人通りも少なくなったアキバで、神崎と恵比寿の二人は手短な回転寿司の店に入った。無論、神崎の強い要望により、メロンの流れている店だ。

 ウナギの寝床のような、間口が狭く奥に長い作りは回転寿司にはよく見られる作りで、いくらでも寿司を流すレーンを伸ばすことが出来る、この業態には都合が良かった。夕食時だったが、平日のためか店内の客は片手で数えるほどで、皆サラリーマンだった。

 二人は入り口から半分ほど奥に入った、寿司職人の正面のカウンターに腰掛けた。流れていない商品を注文する時に便利だからと、神崎が渋る恵比寿を引っ張って、その席に座ったのだ。

 そういう所を称して、「お前の方が、俺よりも商売の神に向いてんじゃないの?」などと神崎相手に冗談めかして言ってみるが、当の神崎は、「合理的な思考が出来ることと、金運を招き寄せることは違う」と、これまた合理的な返答をして、恵比寿を苦笑させた。

 基本的に神崎は、日本が鎖国をしていた時代から既に軍人であるため、すっかりロジカルな思考が染みついている。戦場では常に『結果の最大化』ということを求められ、それを最優先に考えて膨大な数の兵士を指揮していた。求められる結果はその都度異なって、都市の占領だったり、敵の殲滅だったり、市民の生命の保護だったり、補給路の確保だったりと、様々だったが、必要な情報さえあれば、どんな作戦立案でも彼は、施政者に望まれるままに行った。

 ――あくまでも、望まれるままに。


「ねぇねぇ、恵比寿さん知ってる? 回転寿司って、案外ね海外の方がいいネタ回ってんだよ」

 アナゴの握りにツメ(たれ)をかけながら、神崎が言った。

「なんで? いいのはみんな日本に持ってくんじゃねえのかい?」

 恵比寿は、ガリのポットのフタを開け、トングで皿の上にガリをひとつまみ載せた。

「いやいや。最近は華僑の経営してる大手寿司チェーンなんかもあってさ、金に任せていい本マグロとかドーンと買い付けちゃったりするのよ。見た目もなんか派手だしさ。こないだもドバイの回転寿司行ったけどさ、案外美味かったよ」というと、アナゴの握りを一つ口に放り込み、目の前を通過しかけていたイクラの皿を取った。

「しかしまぁ、ちょっとめぇまでは外人は皆『生魚食う奴なんかの気が知れねぇ』なんて言ってたクセによう、今じゃ世界中の奴がうめぇうめぇって寿司食ってんだから、わかんねぇもんだ」

「だよねー。今は庶民からセレブまで、日本人がびっくりするほど、みんな寿司が大好きだよ。ベトナムの露天で握り寿司売ってたり、ニューヨークの高級レストランで、白人が高いワインを飲みつつ寿司つまんでたり、どっかの大使館で出されたりとかさ」アガリをすすりながら、神崎は、あちこち渡り歩いてきた中で見た、世界の寿司事情を恵比寿に披露していた。

「ま、マンガやアニメみたいにさ、なんでもいいからよ、日本を好きになってくれるってぇのは有り難ぇことだよな」というと、店員に日本酒のおかわりを注文した。

「そういやさ、恵比寿さんとこ、最近どうなの? やっぱ相変わらず?」恵比寿に酌をしながら、神崎が訊ねた。

 恵比寿の所――即ち、彼が本来守護している場所という意味だが、彼ほどのビッグネームになると、マイ神社や、マイ寺院、マイ神殿などを持っていることもある。恵比寿の場合は三人でルームシェアしているが、基本的に主は恵比寿ということになっているようだ。

「あー、基本的には千年めえから同じかねぇ。『金が欲しい』とか『商売繁盛』とか、そういう「現世利益」ばっかだよ。ま、生きてるうちに御利益がなけりゃ、拝みたくねぇってえ気持ちも、分からねぇでもねえけどよ」

「それはそれで、ストレス貯まるよねぇ……。よく平気だよなぁ。俺なんか、一カ所でそういう黒いオーラを毎日浴びまくる、とかいう生活、絶対耐えらんないわー。あー、無名の三流戦神でヨカッタ~、俺」と、スプーンでメロンをすくって、嬉しそうに口に運んでいる。それを微妙な顔をしながら、横目で恵比寿が見ていた。

「俺は、どこから鉛玉が飛んで来るか分からねぇ、気の休まらねぇ生活の方がイヤだよ」

「まぁ、ひとにはオススメはしないけどね」と、二つ目のメロンに手を伸ばした。横で恵比寿が、またメロン食うのかい、と渋い顔をしている。

「でもよ、最近はちょいと雰囲気違うのもやってくんだよな」

 恵比寿は店員に、「大トロと赤貝とアジをつまみで」と注文した。シャリより日本酒の方がメインになってきたようだ。どちらも元は米ではあるけれど。

「ん? どういうの?」

「このへんにいるオタク連中さ。こういうアキバ系の連中の中にはよぉ、『絵が上手になりたいです』とか『声優になりたい!』とか、えーっとなんてぇんだっけか、ああそうそう、ピュア……な、お願いってぇのが増えてきてんだよな、最近」そう語る恵比寿の顔がほころんだ。

「へぇ~。まぁ、アキバから近いからね、恵比寿さんとこ」といって、二つ目のメロンにスプーンを差し込んだ。この店のメロンは皮に網目がある。ハネジューではなく、アンデスのようだ。

「でよ、絵馬なんか、可愛い絵がいっぱい描いてあんだよ。最近の子は上手いもんだよな」

 レーン越しに、店員からさっき注文した刺身の皿が差し出された。店側のサービスだろうか、いささか崩れた数の子が、皿の脇に積んである。恵比寿は「よう」という感じに手で挨拶をし、寿司ネタの乗った分厚い皿の束を受け取った。

「それって、いわゆる痛絵馬ってヤツじゃないのかな。あはは……。でも、近所の店の甘酒が高すぎるの、何とかなんないのかな。買うの躊躇するレベルだよ、アレ。悪質な便乗商売じゃないかと思うんだけど……」話しながら、あっという間に二つ目のメロンを平らげた神崎は、レーンを流れる三つ目のメロンの皿を素早くキャッチした。

「お前の気にする所はそこかい!」上の空の友人に、軽くキレ気味にツッコミを入れた。

「え?」ふいに恵比寿にキレられて、理由が分からずにぽかん、としてしまった。

「……とにかくよぉ、金くれだとか、そういう余りにも利己的なお願いよりも、そういう夢のあるお願いの方を叶えてやりてぇって思うのが人情ってもんじゃねえのか、という話をしたかったんだけどよぉ、お・れ・は」割り箸を神崎の鼻先に突きつけ、持論を強調した、

「あ……、ごめん、恵比寿さん。俺メロンに夢中で、つい……」嬉々としてメロンをついばんでいた神崎青年は、一瞬で、塩を食らった青菜のように、くたっとしおれてしまった。それを見た恵比寿は、己の失言を悔いた。

 こうして彼が安心しきってボケていられるのも、恵比寿に心を許しているからだとも言える。あくまでも神崎は、時間のない中、自分を頼ってこの街に休養を取りに来ている。恵比寿は、それを忘れそうになっていた自分を戒めた。

「いや、俺の方こそ熱くなっちまって、済まねぇ。機嫌直してくれよ、な?」と言って、神崎の肩を景気づけに、パンパンと叩いた。あからさまに気を遣っているのが分かる。

「うん」神崎は恵比寿の気遣いに感謝し、少しだけ無理をして笑顔を作って見せた。

 やはり、その場だけ癒やされた気になっていても、短時間の表面的な癒やしだけでは、心の深い部分にある傷や疲労は、如何いかんともし難かった。自分でも、元気になれた気になるが、ふと気を抜いたときに何かショックを与えられると、途端に崩れてしまう。それでも、何日かこの街で過ごしていれば、次の任務に就くことが出来る程度には回復する。そうやって、毎回毎回、心を騙しながら戦場に出かけていく――それが今の彼だった。

「有人よう、俺よりもお前の方が、今のこの街、好きだろ?」手酌をしながら神崎に尋ねる。

「ん~、どうなんだろね。恵比寿さんココ長いのにさ、そんなに愛着ないの?」

 神崎も店員に酒を注文した。普段は付き合い以外は全く飲まないのだが、今日は少しだけ、アルコールの力を借りたい気分だった。

「俺はさ、何カ所か掛け持ちだろ? そんなにココに思い入れがあるかと言われれば、やはり正直疑問はあらぁな。それに、俺は俺で、ちょっとばかし面倒を見に行きてぇ所もあるしよ」

 そう語る恵比寿の目は、遠くを見ていた。

蝦夷えぞに……行くの? ほっとけばいいのに、あんな連中。大体、過保護なんだよ……」

 恨めしげに言うと、グラスに冷や酒を注ぎ、一気にあおる。自分としては、やることはやったのだ。それ故に沸き上がる、神崎の人間たちへの不信は隠しようもなかった。

「俺もよ、手を下した中のひとりとしちゃぁ、微妙に気になることもあるんだよ。未だに、甲斐甲斐しく世話してる連中だっているだろ? だから、俺と代わってくんねぇか? オタクの神の適任はお前しかいねぇよ。俺が推薦する」

「イヤだよ、そんなの。理由がそもそも納得いかない。どうしてもってのなら、マンガの神にでも交代をお願いすればいいじゃないか」唇を尖らせて、子供のようにふて腐れた。

「あいつ気むずかしくて、頼みづれぇんだよ。それにやっこさん、オタクは嫌いみてぇだしよ」

「俺よりよほど神的だし、それこそビッグネームじゃないか」ボソボソと面倒臭そうに答えた。

 神崎は、ふて腐れたまま、横を向いてグラス酒を呷り続けている。天罰を与えた張本人の一柱でもある恵比寿自身が、天罰を与えられてもなお、反省の色の見えぬ連中のために、わざわざ出向いていくという事自体、まったく納得がいかなかった。

「ふぅ、……仕方ねぇなぁ、諦めるか」あれほどまでに人間好きな神崎が、珍しく人間を嫌悪している様を見て、こいつはまだまだ餓鬼だなぁ、と苦笑した。

「悪いけど、マジでカンベンだから」

 只の酔っ払ったオタクと化した神崎は、若干ろれつの回らぬ舌でそう言った。一気に冷や酒を大量に飲んで、急激にアルコールが回ったようだ。彼はカウンターに頬杖をついて、レーンの向こう側を半眼で睨みながら、なかばヤケのように酒を喉に流し込んでいた。

「ところで、嫁は見つかったのかい?」

 恵比寿は、これ以上飲ませまいと、手酌をしようとした神崎の手を掴んだ。酌を止められた神崎は、一瞬我にかえり、肩を落として淋しげな目で恵比寿の顔を見た。

「え? ……ああ、まだ」そう言うと、神崎は、視線を手元のグラスの中に泳がせた。

「っていうか…………なんかもう……見つかる気しない…………俺、疲れた……」

 切れ切れに、ずっと考えないようにしていたことを、口にした。

 考えてはいけない、と思っていたことを。

 ふいに、恵比寿にグラスと酒瓶を取り上げられて、神崎は少し赤くなった顔を上げた。

「そうかい。ま、完全にやめるってぇのも、お前のことだから、きっと諦めがつかねぇだろうしさ、今回一回ぐれぇスルーしちまうってのも、たまにはいいんじゃねぇか?」

 普段の粋な調子で、恵比寿は彼に提案した。

 これは恵比寿なりの折衷案、といったところか。

「一回、休み……か。考えたこともなかったな……」神崎は、手持ち無沙汰な両手を肩からだらりと下げ、天上から下がった灯籠型の照明を見上げて、ぼんやりと眺めていた。



『僕の白猫は、もう帰ってこないかもしれない――』

 そんな自分は、百万回絶望する猫、

 永久の時間を、孤独に歩く野良猫。

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銃を手に君を待つ俺 東雲飛鶴 @i_s

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