秋葉原#2

 二〇一X年 三月四日


 アキバでは、ずっと子供でいられる。

 俗っぽい言い方かもしれないけど、ここは、俺にとってのネバーランドなんだ。


「ああああああああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~………………、猫、癒やされるうぅぅぅ」

 さっきまで、アキバの交差点で恵比寿に愚痴を垂れながら、前回の仕事の後遺症で相当ぐったりしていた神崎青年は、ここへ来るまでに二件のメイド喫茶をハシゴして、綺麗どころのメイドさんに癒やされて徐々に回復し、その上最終的にこの猫カフェにまで来て猫の「ちーちゃん」に最後の仕上げとばかりに、全力で癒やされている最中だ。

 大好きなものに囲まれてどっぷりと浸かることが、彼にとって最大の癒やしだった。今回も精神にかなり大きなダメージを負っていたはずだったが「二次オタ」で「ゲーオタ」で「メイド萌え」で「猫好き」の神崎青年は、まるで、携帯の急速充電のように鋭意回復中である。

 そんな彼は、おそらく「打たれ弱く」かつ「治りやすい」、柳のような男なのかもしれない。

 大通りから少し入った雑居ビルの五階にあるこの店は、アキバ中の猫カフェの中でも一、二を争うほどの人気店で、神崎はこの店の常連でもあった。店内は落ち着いたアースカラーで統一され、キャットタワーやソファーの上で、猫たちが気ままにくつろいでいた。今日は彼のメンバーズカードのスタンプが満タンになったので、恵比寿のお茶代がタダになった。

 スコティッシュフォールドの長毛種、この猫カフェの一番人気「ちーちゃん」を一心不乱にもふりながら、神崎は全身で猫成分を補給していた。

「ちいいいいぃぃちゃん、マジサイコー!」至福の表情で、猫をもふもふしている。頭を撫でたり、おなかをなで回したり、肉球をぷにぷにと、いじくり回している。

「おいおい、あんまり毒気出すと、彼女が弱るぜ?」一緒にソファに腰掛けている恵比寿が、着物についた猫毛をつまんでは捨てている。彼等の座るソファの前には、籐のローテーブルがあり、コーヒーが二つ並んでいる。しかし神崎は猫まっしぐら状態で、目の前のカップはアウト・オブ・ザ・眼中だった。

「ああああ…………、猫サイコー。マジサイコー! ちーちゃん愛してる! ふぐふぐぅ」

 ちーちゃんのもっさりした体に顔をうずめて、彼は心底幸せそうにしている。片やちーちゃんの方はというと、神崎にさんざんもふられた上に彼の毒気まで浴びて、小さな耳がぺったりと倒れて、いかにもげんなりとした様子だった。

 ちーちゃんは、スコティッシュフォールドという、耳折れで若干手足の短い品種だ。彼女の耳はたまたま倒れていないのだが、他の品種に比べればやはり耳は小さめで、ふさふさした毛の中に半分埋もれるような形で耳があった。ふっくらとした丸顔で、目はライム色で丸く、ヌイグルミのような、非常に萌えくるしい顔をしている。体毛は全体的に茶色く、ぱっと見はチンチラゴールデンのような、悪く言えばタヌキかアライグマのような容姿だった。

「おい、ちーちゃんぐったりしてきたぞ? いいかげん放してやんなよ」

 そう言われて、腕の中の猫を見てみると、確かに力なくぐんにゃりとしている。

「ああ、こりゃいかん」慌ててちーちゃんを解放すると、神崎は別の猫を捕まえに行った。


 猫カフェを満喫し、すっかり猫成分を満タンまで吸収した神崎と、恵比寿の二人は、店を出た。あんなにグダグダだった神崎は、あっという間に回復し、今や、普段の飄々とした彼に戻っていた。アキバの威力は、彼にとって本当に絶大だった。

 店を出た二人は、すっかり日の落ちた秋葉原の大通りを歩いていた。夜になると歩道を行く人影もまばらで、途端に多くの店が閉まってしまう中、飲食店は比較的遅くまで店を開けていた。昨今のアキバはとみに飲食店が増え、ひところの外食事情の悪さを思い出すことは難しい。

「なんかメシでも食わないか?」

 小腹を空かせた恵比寿が、夕食を取ろうと提案した。メイド喫茶や猫カフェの軽食は彼の口には合わないらしく、ほとんど飲み物だけしか取っていなかったからだろう。

「そうだなぁ、回転寿司でも行きますかね」さすがに日の落ちた通りは寒いらしく、今は上着にちゃんと袖を通している。両手はズボンのポケットに突っ込んでいた。

「わざわざそんなとこ行かなくったって、ちょっとタクシー拾ってよぉ上野でもいきゃ、もっといい所があるじゃねえか」と、通りを走る車を、手にした扇子で示した。

「いいんだよ、回転寿司って値段なりには楽しめるでしょ。俺、元々そんなに贅沢しないし。ものには適性価格ってのがあってね、回転寿司ってのは、商品の「価格」と「価値」の最適化が高度にされた外食産業なわけ。変に高い店行っても、納得出来ない値段じゃ嬉しくもないよ」

「なんだい、その最適化とかって」恵比寿は扇子の先を頬に軽く突き立て、小首を傾げた。

「要は、商品を買ったときに払った金額が、商品の価格として納得出来るなら、価格と価値の差は少ない。すごく高く感じても、安く感じても、差は大きい。この差が極端に少ないものを、最適化されてるって言うわけ」つい普段の癖で、恵比寿相手に講釈をしてしまう。

「ふーん……。なんかむずかしいな。そういうの、おめえんちのあんちゃんが得意だったっけか」

「得意すぎて反吐へどがでるよ」神崎の目が吊り上がる。余程兄の優秀さが気に入らないらしい。

 ふと、恵比寿が立ち止まり、神崎の鼻先に扇子を突きつけた。

「で、有人ちゃんよ。あんた、ホントはメロン食いたいだけなんだろ?」

「!」一瞬神崎はびっくりまなこで恵比寿を見、すぐに苦笑に変わった。

「……サーセン。……おいら、メロン、食いたいです」

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