【5】死の商人だって自炊したい

 神崎有人の着任から半月後。

 彼が事務所で遅い昼食を取っていると、東京支社の菊池から電話がかかってきた。日本との時差は四時間、こちらは昼下がり、あちらは夕方だ。

『おう、最近どうだ? 結構いい数字出してるみたいじゃないか』

「ご苦労さまです。まぁぼちぼち、って所ですね」

 神崎は口の中のサンドイッチを、少しぬるくなったノンアルコールビールで一気に喉の奥に流し込む。今日はこれで三本目だった。

『なんだ、浮かない声だな。何かあったのか?』

「いや……そういうわけじゃないんですけどね」

 大統領府の件もあり、一躍人気者となった神崎の商売はとても好調だった。予想以上の営業成績に、先日金一封(微々たる金額だったが)が出たばかりだった。おかげで直属の上司である菊池はご満悦で、最近ひんぱんに電話をかけてくる。

 しかし、売り上げの大きな部分を占めているのが、実は別の顧客であることを、上司にはなかなか言い出せなかった。いや、もちろんクライアントも十分商品を購入してくれているのだが……。

『ん? なんだ、煮え切らないな、お前らしくもない』

「自分の仕事の結果にイマイチ納得出来てない、というカンジで」

『大そうな数字だと上は言ってるんだ、もっと自信持て』

「そうですか? まあ、ありがとうございます。他に何かありますか」

『いや。それじゃ頑張れよ、有人。以上だ』

「了解っと、」

 神崎は電話を切ると、昼食を再開した。


     ◇


 菊池は神崎との電話を切ると、別の場所にかけた。

「菊池です。会長――」

『様子はどうだ』

「元気に御用聞きやってますよ」

『何もなければそれでいい。また連絡しろ』


     ◇


 自分がこの現場に派遣されたのは、一ドルでも多く顧客から絞り上げるため。なのに連日、宵越しの銭は持たないとばかりにカラーコピーした商品カタログ片手に神崎の事務所を訪れるのは「ムダ遣い志望」のGSS社員たちだったのだ。戦闘要員、非戦闘要員問わずひっきりなしに訪れる新規顧客の注文に神崎は頭を抱えていた。


「君らさあ……これ、顧客用のカタログなんだけどさ。つか俺いま飯食ってんだけどさ」

 今日も巡回ついでに来訪した自社の警備員たちに神崎がぼやいた。

「まあまあまあまあ。アンタも手数料で儲けてるだろ?」

「否定はしないが……」

 横目でジロリとにらむと男は自社専用電子マネーのカードをチラつかせる。

「な?」

「チッ。じゃあ、そこの申込用紙に記入しろ」

 脇の机上の書類入れをあごで示す。

「あんがとよ!」

「しばらく来るな! クソが!」

 吐き捨てるなり、くるりと事務椅子を回転させて背もたれに思い切り体重を預けた。


 ぼやく神崎を他所に、社員たちは日頃のストレスを膨大な買い物で発散していた。民間軍事会社の社員ともなれば、それなりに刹那的な生活をしている訳だが、こんな僻地でも欲しいものが何でも買えるとなれば、手当たり次第注文したくなるのが人情というものだ。

 非戦闘員や技術者の中には、世界一の食道楽である日本人も大勢いるため、日本食のニーズも高い。昨今こそ寿司を始めとした和食が世界中で食されるようになり、その材料である米や調味料類の入手がある程度は容易になった。金額を気にしなければ、醤油、味噌、ワサビ、出汁類など一通りのものが買えるのだ。無論ここでも仕入れ可能だ。

 ――というわけで、場末のコンビニ『神崎マート』の売り上げはうなぎ登りだった。


     ◇


 毎日変わり映えのしない基地の食事では、海外暮らしの長い神崎でもさすがに飽きてしまう。それが舌の肥えた日本人ならなおのこと――今の彼を日本人と呼ぶのなら――。


「もうガマンならん!」

 とうとう彼は調理場の隅で自分のメシを調理し始めてしまった。

 自炊は内勤者の特権のため、あまり本格的なものを作っていると外勤の同僚から『サボリだ』と言われかねない。そこで彼はジャポニカ米を取り寄せて「おにぎり」を作ることにした。具材は基地に豊富にあったツナ缶を使用してツナマヨに。

 ぎゅっぎゅっぎゅ……。

「よ、よし……できたぞ」

 完成したおにぎりを事務所に持ち帰ると、神崎は万感の想いを込めてかぶりついた。

「く~~~~~~~ッ」

 神崎は泣いていた。


 おにぎり――日本の伝統的な携行食――は、いつでもどこでも水なしでも食べられるので非常に便利だ。古くは旅行の際に持ち歩いたり、現代でも行楽や学校、オフィスでも人気の食事だ。昨今では世界中のコンビニでおにぎりが売られているのだから、日本食人気はすさまじい。

 というわけで神崎は職権を乱用し、社員の携行食糧として、おにぎりを普及させたいと思っている。具材の梅干しやおかかは、抜かりなく発注済だ。


「ねえ、それって泣くほど旨いのかい? カンザキ君」

 気が付くと、目の前にアジャッル副司令が立っていた。この基地の出納役でもある副司令は立派なヒゲを蓄えた壮年の男性で、日頃神崎と行動を共にすることが多かった。今でこそ事務方ではあるが、引き締まった逞しい体は威圧感を与えるに足りる。

「ぅえっ、い、いつお見えになったんですか」

 神崎は、あわてて手の甲で頬を拭った。彼はヘタクソな造り笑顔で椅子を勧めると、副司令はゆっくり腰掛けた。そしてラップにくるまれた、机の上の丸くて大きな物体をじっと見つめた。

 神崎の握ったツナマヨおにぎり――いわゆるバクダンおにぎり――は、海苔で全体を被覆され、濡羽色をした制作者の頭髪のように光っている。大概の外国人は黒い食べ物に拒絶反応を示すのだが、副司令は好奇心の方が勝っているようだった。きっと食べさせるまで動かないに違いない。

「私の国の携行食ですが、良かったら召し上がりますか?」

「おお、ありがとう。君が旨そうに食べているから私も食べてみたくなってね」

 副司令は嬉しそうに神崎の差し出したおにぎりを受け取り、ラップを剥くとやおらかぶりついた。

「……」

 副司令は、もしゃもしゃと、一心不乱に食べている。

「あの……。どう、ですか?」

 おそるおそる、副司令の顔を覗き込む。

恵方巻えほうまきじゃないんだから、何か言ってくれないかなぁ……)

 間が持てなくなった神崎は、おにぎりについての講釈を始めた。

「外側は、日本の伝統食品で海草を乾かしてシート状にした「海苔」というものです。そのままでも食しますが、こうして食品を包んだり、まとめたり装飾するのにも使われます。白い部分は米、まぁご存じですよね。近隣国の日本食レストラン向けに卸されるものを取り寄せました。炊きあがった後で軽く塩味をつけてあります。具は基地にたくさんあったツナ缶、マグロの身を油漬けにした食品、これをほぐして、ソイソースとマヨネーズと少量のマスタードで和えました。本当は具も日本風なものにしたいところですが……」

 目の前の初老の男は、神崎の説明も上の空で黙々とおにぎりを食べている。

「どうですか? 味。とか……」

「…………」

 難しい顔でにぎり飯を食らう副司令を、少々呆れ気味に見守る。そして全部食べ終わった彼は、驚いた様子で神崎の手を両手で握り、

「こんな旨いもの初めて食べたぞ! カンザキ君、これを基地の食事で出してくれたまえ!」と叫んだ。

「え……。ええええええええ?」

 願ったり叶ったりな神崎は、急遽おにぎりの量産体制について検討を始めるハメになった。


     ◇


 食後の昼寝から目覚めると、事務所は神崎一人になっていた。すでに日も落ちはじめている。勤務時間も過ぎ、事務員たちは娯楽室にテレビでも観に行っているのだろう。

 外では先日発注した浄水施設の基礎工事が始まり、重機が騒々しく地面を掘り返す度に、部屋が少し揺れた。急かしているから照明を炊いて夜間も工事が続く。


 神崎はふと、心がコロンとエアポケットに入った気がした。そして、コロコロ……ストン、とどこかに落ちたような――――。

 いつも考えないようにしている『彼女フラウ』のことを、うっかり思い出してしまったのだ。何十年も大遅刻をしている、彼女のことを。

 パリで撮影した『彼女』の写真をずっとお守りにしていたこともあったが、かえってつらくなるので今では会社のロッカーに置きっぱなしにして久しい。

 一時期は音楽をヘッドホンから爆音で流しっぱなしにしてたこともあったが、その行為そのものが『彼女』から気を逸らす行為だと気づいてやめてしまった。結局死地に身を置くことくらいしか、気を紛らわせる方法が彼には見つからなかった。


 彼女が再び地上に戻って来る場所と知ってから、神崎はこれまで住んでいた巴里から、四季の美しい極東の国へと移り住み、東洋人に姿を変え、独りでずっと彼女を待っていた。

 彼女と今生で出会ったならば、いつか二人で歩きたい、そう思いつつ彼は八洲の隅々を歩いた。彼女を連れて行きたい場所、見せてやりたい風景にいくつも出会い、絵や写真に収めていった。

 しかし、大きな戦争や災害が起こる度、そんな場所は少しづつ姿を消していった。その国に来て三つ目の大震災が起こったとき、彼は限度額無制限と言われる、黒いチタンのクレジットカードを使い、初めて十億ドルもの大きな買い物をした。

 米軍の輸送船に、山ほど買った荷物を詰め込んだ。あくまでも合衆国の救援物資という体で。いくら日系とはいえ、民間軍事会社からの差し入れでは、先方も気分が悪かろう、という彼なりの配慮だった。

 いつか彼女に見せたかった風景。それが蘇ったとしても、見せるべき女性はここにはいない。しかしムダと分かっていても、手を差し伸べずにはいられなかった。


『もう、今生では逢えそうにないか……』

 そのことを思い出すと、彼の心は生皮を剥がされたようにヒリヒリと痛み出し、寂寥感で押しつぶされそうになる。今までは必ず次の生でも巡り合えていたのに、こんなことは初めてだった。

 あてもなく想い人を待つことが、想像以上に心を切り刻むとは思いも寄らなかったのだ。あの川の渡し守の案じていたとおり、人ならぬ身でもなければとっくに発狂し、生きていくのも困難だったろう。

 それほどまでに彼の心は擦り切れていた。

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