【3】国家を玩具にする男

 会長である兄の命で、GSS社の治安維持部隊の総指揮者となった神崎有人は、日本からA国へと舞い戻り、空港で親しかった人の亡骸と対面する。そして仮住まいだった軍事基地に到着した。そこには、自分の不在中に起こった全ての災厄の原因が待っていたのだ。



     ◇◇◇



 翌日、神崎は国軍司令部に出向いた。

 短い期間暮らした国軍基地の司令室には、見慣れた副司令と本来の司令官の姿はなく、ふてぶてしい男とその腰巾着と思しき男がいた。

 ――この男は、あの時の……。


「改めてGSSグリフォンセキュリティサービス社、治安維持業務の責任者となりました神崎です。よろしくお願いします」

 これまでのダークスーツではなく、将校然とした、GSS社標準指揮者制服に身を包んだ神崎有人がそこにいた。民間企業であるから階級章のようなものはない。さらに現在は営業職でもないから、もはや伊達眼鏡もかけてはいなかった。

「君は先日まで、兵器屋G  B  Iの営業じゃなかったのかね?」

 目の前で自分への不快感を露わにした男は、この国に神崎が着任早々に出席した、誕生パーティの主役だった。――つまり、これが大統領の甥というわけだ。

 この地域の男性特有のたっぷりとした口髭をたくわえた、知性のかけらもない贅肉だらけの男だ。勲章をびっしり貼り付けた軍服が全く似合っていない。

「この休暇明けで辞令が出ました」と神崎。

「営業にナニができるのかね? いや、大道芸か?」

 臨時大統領兼司令官と自称する大統領の甥は、ひどく侮蔑の籠もった目で吐き捨てるように言った。

 大道芸とは恐らく、宴席で神崎がサズの演奏会をしたことを指しているのだろう。かつての名アーシェクに向かって、まったくもって失礼極まりない物言いである。

「あれはただの余興です。……営業もね。私の本来の所属はGSS社、本業はコントラクターですよ」

「さしあたり、今君に用事はない。下がりたまえ」

 司令官の傍らに立つ、副司令と名乗る男が言った。この男には、見覚えはない。痩せて少し背を丸めたこの男はどうやら、腹に一物ありそうだった。

「こちらにはあります」

 神崎は一歩前に進み言葉を続けた。

「どうか、我が社の部隊の指揮権をお返し下さい」

 国軍のヘルプで参加している以上、クライアントの指示に従うのが基本ではあるが、何から何まで指図される言われはないのである。

 体のいい捨て駒として扱われる理由は断じてない。

「金は払っている。レンタルなのだから、どう使おうと勝手だろう?」

 司令官は机の上に足を投げ出し、爪をやすりで研ぎながら、ニヤニヤと神崎を見ていた。口から出かかる罵声を飲み込んで、冷静に言葉を選んで話を進める。

 荒事師の神崎には、とても苦手な部類の行為だ。

「こちらにも警備計画というものがあります。気ままに指揮された挙げ句、国民の安全に支障があっては閣下のメンツにも関わりましょう」

「メンツ……だと。楽師風情に何が分かる。帰れ」

 神崎の取り付く島もない。

 司令官もとい醜いブタ野郎は、目の前に立っている若者を、研いだばかりの指先でピッピッと追い払った。猫背の腰巾着男が、司令室のドアを開けて顎をしゃくり、神崎へ退室を促した。

 神崎は憤慨しつつ、黙って頭を下げて司令室を出た。


 こんな無能な連中のために、多くの仲間たちが無残に殺されたことは、許しがたかった。その中には、建設に携わった非武装の技術系社員も多く含まれていたのだ。

 先刻訪れた仮設の死体安置所には、無数の納体袋が並べられていた。その中には、神崎が兄からよろしくと頼まれていた、兄のお気に入りの建設技術者もいた。噴飯やるかたない。


 念のために神崎がドアに耳を当てると、中の会話が聞こえた。無遠慮な大声だ。耳など当てずとも丸聞こえだったろう。

「閣下、あの男の言うことなど、聞く耳は不要ですよ。傭兵など、何人死んだっていくらでも換えはきくのですから」

「そういうことだな、ハッハッハ」

「それよりも、今夜のお食事の件ですが――」

 神崎はそれ以上、聞いてはいられなかった。

 ドアを蹴り破って、二人を袋だたきにしてしまいそうだったからだ。

 今は生かしておくしかない。今は――


     ◇


「クソッタレ!」

 神崎は司令部の建物を出ると、自分の乗って来た装甲車両のタイヤを蹴り飛ばした。

 ――今すぐにでも首をねてやりたい。八つ裂きにしてやりたい。

 司令官たちのクズさ加減に彼の腑は煮えくりかえっていた。しかし、今は耐えるしかない。


 面談中、着信があったので、神崎が携帯の画面を確認すると兄からだった。めったにないことながら普段なら絶対にコールバックなどしない。だが今は――

「何の用だ」

『済まない……有人』

「まったくだ。貴様、一体何の恨みがあってこんな」

『非は私にあることは重々承知している。だがこれだけは』

「なんだよ」

『敵をせん滅しろ』

「……いいのか? ヘタすると国際法に」

 PMCはあくまでも民間の武装組織だ。国軍の命令に従わずに戦闘行動を起こせば賊軍認定されてしまう。相手が国内勢力だった場合、果たして大丈夫なのだろうか? と神崎は杞憂する。

『言論封鎖と世論操作はこちらに任せて、存分に働け』

「……分かった。それから、麗のことを頼む」

『高くつくぞ』

「仇討ち代だと思えば安いもんだろ」

 玲央はフッと笑うと電話を切った。


     ◇


 空港内の指揮所に戻った神崎は早速、おにぎり友達の元副司令アジャッルの居場所を探した。今回の騒動の顛末を聞き出すためだ。

 居場所はすぐに分かった。彼は場末の基地に左遷されたのだという。神崎は急ぎ元副司令の元へ迎えを送った。


 指揮所のブリーフィングルームでは、各小隊の隊長を集め、神崎が緊急対策会議を開いていた。空港施設に適当な広さの部屋がないので、今は大型テントを使用している。パイプ椅子に座った各小隊長を前に、神崎が現状の包括的な説明を始めていた。

「現在我々が直面している危機的状況は、敵勢力の行動の活発化だけではなく、クライアント側による身勝手な行動が引き起こしたものだ。本来であれば、契約不履行を盾に撤退することも可能だが、今回は日本政府の意向や、親会社GBIが受注した復興事業や開発事業などとの絡みがあって、実質上、撤退は不可能だ。会長に代わって謝罪する」

 場内がざわざわと騒がしくなった。

 この会社の唯一にして最大の弱点、親会社GBIとのしがらみについて知らぬ者が少なくなかったためか、社員たちに動揺が広がっている。

「最初に説明したが、この国の防衛はいま、臨時大統領兼司令官の暴走が原因ででボロが出た状態だ。そこを、今まで大人しくしていた旧来勢力が、大国のテコ入れを受けて息を吹き返した。私は会長より、親会社の施設を死守せよ、という勅命を受けている。何としてもこの現状を打破し、受注した事業を成功させなければならない。急ぎ増援の手配をしているが、それまでは各自の努力に期待したい。私も諸君らの生命を第一に考え、この戦況を立て直していくつもりだ。どうか私を信じて欲しい」


 自分を信じろなどと、どの口が言っているのか。

 神崎は、ひどく不愉快だった。

 己に対して腹を立てていたのだ。

 この偽善者、詐欺師め、と。


「なおこの作戦指揮は全て私が執る。GBIが開発した衛星データリンクシステムを導入するが、各位への指示は音声にて行うので特段の装備は必要ない。準備が整い次第攻勢をかける。これで一気に巻き返すぞ!」拳を天に付き上げる神崎。

 おお! と皆も雄叫びを上げた。


     ◇


 対策会議が終わって神崎が急ごしらえのオフィスに戻ると、そこには元副司令が到着し、のんびりとお茶を飲んで待っていた。

「アジャッル副司令、お待たせしてしまったようで……。わざわざご足労頂きありがとうございます」

 部屋に入るなり、神崎は元副司令の前で深々と礼をした。

「その服も似合っているよ、カンザキ君。やはりただ者ではないと思っていたよ」

 温厚なこの老人は、久々に戻ってきた神崎の顔を見てにっこりと笑った。

「どうでしょう。――それよりも、今回の顛末を教えて頂けないでしょうか」

 苦笑いをして濁しつつ、本題に入った。副司令には、聞きたいことが山ほどある。

「まったく、あのやんちゃ坊主には困ったもんだ……」

 と言うと、アジャッルはゆっくりと語り始めた。


 子供の頃から、『何でも自分のものにしたがる』困ったちゃん。

 それが大統領の甥の本質だという。

 アジャッルは、「小さい頃はよく遊んでやったものだが」と昔話から現在の様子までを、楽しそうに語った。

 事情が事情なのに楽しそう、というのはおかしいかもしれないが、老副司令は知的で温厚な神崎青年とのおしゃべりが、何より好きだったのだ。

 その困った甥御チャンがどうしてこんな事をしでかしたのか。

 彼は素行の悪さも手伝い、新政権誕生後は場末の役所に島流しになっていた。そしてつい先日、彼の叔父である大統領が側近たちとともに、さらなる国際支援を求めて海外へと旅立った。

「チャンスを伺っていたのでしょう、彼は」

 その機に乗じて、彼は行動を起こしたのだ。

 大統領の近親者=甥の立場を利用して大統領に不満を持つ者を集め、前任者を無理矢理追いだしてしまった。運悪く神崎が日本に一時帰国している間のことで、暴走する彼を止められる者は、誰もいなかった。

 彼が、神崎が暮らしていた国内最大の基地をジャックし、GSS社の社員コントラクターをおもちゃにし出した最初の理由は、兄の私兵だから目障りだった、というひどく安直なものだった。

 PMCの手柄で周辺の治安が良くなったとなれば、自分や国軍の評価が下がってしまう。そこでいくらでも換えのきくPMCの傭兵をどんどん危険な場所に投入し、ボロボロになったところで国軍を投入し、手柄を取り上げよう、という魂胆らしかった。だがそれだけで説明のつかないほどの被害が出ている。

 甥単独の行動ではなく、だれかにそそのかされていることは容易に想像ができる。その証拠にテロリストの装備が、神崎が帰国する以前よりも各段に上等になっていた。明らかにGBI社製の兵器が横流しされている上、おそらく彼らの支援者から別ルートの兵器が供与されている。

「身内の恥を晒すようなことになったが、君達には本当に済まないと思っているよ」アジャッルはお茶の入ったカップを包み込むように持って、済まなそうに言った。

「我々もベストを尽くしますよ、アジャッル副司令。無論あなたや元の司令官の復権も」

「あの男、未だに大統領のイスを狙っていたとは」ふと、副司令が漏らした。「この国の独立時、現大統領の派閥と、若い甥を押す急進派の派閥とがあった。結局長老たちが皆大統領側についてしまったので、奴は国防大臣にもしてもらえず、左遷されていた、というわけなのだが……」

「なるほど……。ちょっと読めてきましたよ。とにかく、副司令はこの指揮所に詰めて頂きたい。よろしいですか?」

「向こうにいたとて、雑用しかすることのない男だ。この老いぼれを、好きなように使ってくれたまえ、カンザキ君」

 アジャッル副司令は、深い彫りの奥でギラリと瞳を輝かせ、不敵な笑みを浮かべた。

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