【2】猫の人と中の人

 ――自分は淋しい、籠の中の白猫。



     ◇◇◇



 その晩の東京は雨だった。

 日本はもう雨期に入っている。壁に掛けられた時計の針は午後十時を回り、室内には湿り気を帯びた冷たい空気が満ちている。明かりを落とした殺風景な部屋の中では、ベッド脇のサイドテーブルに置いた読書用ランプの小さな明かりとノートパソコンから漏れる光だけが、この部屋の主の姿をおぼろげに浮かび上がらせている。

「やさしいなぁ……商社マンさん。うふふ……」

 都内の病院の一室でコントローラーを握るうら若き乙女、塩野義麗しおのぎうららは、嬉しそうにそう呟いた。


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 >clock 22:25:39

 >Server No.10 : Tricorn

 >【North Island】

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「うわ~、強化かかってるとこんなに違うんだ……。すごいなぁ……」

 自分の分身である猫型の獣人キャラが各段に強くなったのを目の当たりにして、高位強化魔法の絶大な威力を噛みしめていた。


 PLパワーレベリングは世間体を気にする日本人プレイヤーの間でモラル的に問題視されることが多い。しかし麗が今まで、こうした恩恵を受けずに来たのは、何もモラルを気にしていたというわけではなく、単純に誰とも絡まず孤独なプレイを続けてきたからに過ぎなかった。

 ――ふと、Flawの体が光の結晶に包まれた。強化魔法を掛けなおすにはまだ早い。


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 Flaw:

 あれ、なんでですか?

 Alphonce:

 ああ、魔法切れたから、かけなおしてただけ。こないだのアップデートで修正が入ってね、レベル差が大きいと、すぐに強化が切れてしまうようになったんだ。気にしないで、どんどんミミズ叩いてていいですよ。時間もったいないから。

 Flaw:

 はーい、ありがとうございます(^_^)

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「へー。なんでそんな修正するんだろ。面倒なだけなのに」

 麗は画面の向こうの彼のいうままに、どんどん大ミミズを切り倒していった。

 信じられない量の経験値が入り、どんどんレベルが上がっていく。いきなりこんなインフレ状態を目の当たりにして、麗は軽い興奮状態になっていた。

 普段はリスクの低い弱い相手ばかりと戦っていたため、中々レベルが上がらず業を煮やしてこの島に単独でやってきてしまったが、結果は言わずもがなだった。

 その後、死体のまま誰かを待っていたところ、呑気に釣りなどしにふらふらとやってきた彼、Alphonceに救助されて現在に至る、という次第だ。

「あ、もう時間かぁ……。今日はなんか、ちょっと短かったなぁ……」

 麗は残念そうにつぶやいた。大分狩りの調子も上がってきたところだったので、もう少し続けたかったが、さすがにこれ以上起きていると翌日に支障が出てしまう。

 約束の時間になったので、プレイを切り上げることにした。


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 Flaw:

 そろそろなんで、落ちますね。今日はほんとにありがとうございました!

 Alphonce:

 いえいえー。お役に立ててよかったです(^^)/

 Flaw:

 こんなにレベル上がったのゲーム始めてすぐ以来です!というか、前にレベル上がってから、もう一週間くらい経ってるかもです・・・

 Alphonce:

 うーん、普段ソロだとつらいですよね。特にこのゲーム、元からPTプレイを前提に設計してあるから、ソロの人には厳しいかもしれない。

 Flaw:

 そうなんですか?てっきりひとりでもできるのかと思ってました。どおりで難しいゲームだと思った(^_^;)でも、それって自分がヘタだからって思ってて・・・

 Alphonce:

 悲しいけど、それが仕様です。特に序盤はそうですよね。軌道に乗るまでが結構大変。孤立無援なのが一番つらいと思う。

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(この人も、一人で苦労とかしてたのかなぁ……。だからこんなこと……)

 これまでゲームそのものや、プレイ効率などについてあまり他人と語ったことがなかった彼女は、ソロプレイヤーにとって必要以上に厳しい環境だったことを初めて認識した。

「じゃあ、PT組むのヤな人はかわいそうじゃん」

 麗は微妙にむくれ顔になった。


 ===== ===== ===== =====

 Flaw:

 レベル上げるの疲れたときは、ずっと街でお友達とチャットばっかりしてます。もうチャットだけでもいいやって日もありますよ。最近、なんだかレベル上がるのに時間かかるようになってきたし、お金もないし

 Alphonce:

 そっかー。俺もレベル上げ行かないでチャットばっかりしてますよ。上げてないジョブもけっこうあるけど、なんか面倒で。

 Alphonce:

 だから、釣りしてたりとか、合成してたりとか。ホントに真面目にレベル上げにも行かないで、毎日フラフラしてます。

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「へー……こんな人いるんだ。めずらしい」

 じゃあ、自分もヘンな子じゃない、普通なんだ。そう思えて、麗は少し嬉しかった。


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 Flaw:

 レベルこんなに違うのに、やってることあんまり変わらないんですねー(^_^)

 Alphonce:

 獲物と場所が変わるだけで、本質的には結局どのレベル帯でも同じです。

 Flaw:

 そうなんですか?

 Alphonce:

 ・・・正直このゲーム、何かをするには金や時間やレベルが要りすぎるんですよね。金を稼ぐにはレベルが要り、レベルを稼ぐには金が要り、じゃあ一体どうすりゃいいんだって思うと、あとは時間をかけるしかないときてる。

 Alphonce:

 ・・・リアルばかりか、こんなところでまで体制批判してもしょうがなかった。・・・すみません。

 Flaw:

 いえいえwあんまり高レベルの知り合いがいないので、参考になります。でも、商社の方って、みなさんそういう難しいこと考えているんですか?w

 Alphonce:

 あははw そんなことないですよ。俺がめんどくさい性格なだけでw まぁ、普段こんな調子で釣りしたり、ふらふらしてるだけなんで、インした時に声かけてくれたら、いつでも手伝いますよー(^^)/

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「うっそー! 商社マンさん、やさしーなぁ、ホントに」


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 Flaw:

 ありがとうございます!でも、めんどくさいってwもしかしてオジサン?

 Alphonce:

 説教臭いってよく言われますが少なくとも外見的には25才くらいですよw

 Flaw:

 外見的ってwwwじゃあ、フレンド登録、お願いしていいですか?

 Alphonce:

 はい、喜んで!

 Flaw:

 じゃ、ここで落ちます おやすみなさーい

 Alphonce:

 あーーーー、まったまった!ここじゃだめ。安全な所まで戻らないと、いきなりログインした場所に敵がいたら、また死んじゃうって!

 Flaw:

 あ・・・そうでしたw

 ===== ===== ===== =====


「あぶないあぶない、よかった、商社マンさんいてくれて」

 ふぅ、と息を吐くと、麗はログアウトの解除をした。

 六十秒のカウントダウン中であれば、いつでも解除できる仕組みだ。


 ===== ===== ===== =====

 Flaw:

 ふう、危なかった。@三十秒くらいでしたw

 Alphonce:

 よかった(^_^) 俺が街まで護衛するから、一緒に行きましょう。

 Flaw:

 かえって迷惑かけてしまって、ごめんなさい(T-T)

 Alphonce:

 いえいえ。気にしないで。ここじゃみんなそうやって助け合って生きてるんだから。

 ===== ===== ===== =====


(助け合って生きてる……? まるで――)


 ===== ===== ===== =====

 Flaw:

 まるで、ほんとにここに住んでるみたいに言うんですね

 Alphonce:

 ああ半分そんなもんですよ。時間的にじゃなくて、気持ち的に、というか。

 Flaw:

 気持ち的に、ですか?

 Alphonce:

 あはは、廃人の戯れ言なんで聞き流して下さい。はい、行きますよ!

 ===== ===== ===== =====


FlawはAlphonceの後にぴったりくっついて、雪道をざくざくと歩き、途中気配を消す魔法などをかけてもらいつつ、巨人や魔法生物などの間をくぐって、街までの洞窟を悠然と歩いていった。

 自分一人でこの洞窟を抜けたときは、いつ敵に見つかるかと必死だった。なのに今は、王族のように全ての脅威を素通りしている。麗は、ちょっとした優越感に浸っていた。


 ===== ===== ===== =====

 Flaw:

 私もね、似たようなこと考えてました

 Alphonce:

 似たような事って? どんな?

 Flaw:

 私も『気持ち的に』ここに住んでる、って

 ===== ===== ===== =====


 入院生活のため自由の少ない彼女にとって、思うままどこにでも行かれるこの世界は、とても魅力的だった。気が付けば、心が世界に入り込んでいることも少なくなかった。

 聞こえるはずのない川のせせらぎや、踏みしめる枯れ草の感触、草原をわたる風が髪を揺らす感触、湿った霧の立ちこめる森の匂い……。どれもリアルではないけれど、自分の意思で見て歩いている場所だからこそ、そこに在る、と感じられることもあった。


 ===== ===== ===== =====

 Alphonce:

 え?・・・それはマズイ傾向かもw足洗えなくなりますよwww早く他の楽しみ探すことをオススメします(ォィ)

 Flaw:

 洗えなくっていいんです。べつに。洗ったって、することないから

 Alphonce:

 ま、そういう危険性のある場所だ、ということだけ頭のスミに入れておいてもいいかもな、ってことで。(経験者談)

 Flaw:

 はーい。センパイw

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 麗の最後の言葉に答えず、彼はそのまま道を急いでいた。実際、街へは僅かな距離を残すだけだったのだ。でもそれが、彼女には少し冷たく感じられた。

「なんか気を悪くするようなこと……言っちゃったかなぁ。明日でもでメッセ流しとこ」

 思いの外早く街に着いて、麗は安心したと同時に、少し寂しい気もしていた。別の誰かと一緒に行動する事自体、彼女にとっては貴重な体験だったからだ。


 洞窟の終点までやってくると、二人は街への入り口をくぐった。画面が暗転し、now loadingの表示が出た。ダウンロードを終え、二人は街へと戻ってきた。

 洞窟と繋がっていたのは「港」と呼ばれるエリアで、ここから周辺各国への定期便が就航している。しかしパスを持たないFlawは、まだこの空を走る定期便に乗ることは出来ず、いつになったら乗れるのだろう、と憧れと諦めの混ざった気持ちで見上げるばかりだった。

 ――やっぱり、自分にはこの街はまぶしすぎる――


 ===== ===== ===== =====

 Flaw:

 とうちゃーく!

 Alphonce:

 はーい、おつかれさまでした。そうだ、名前、なんて読むんですか?

 Flaw:

 フラウでお願いしまーす(^_^)そちらは?

 Alphonce:

 長いんで、アルでいいです。

 Flaw:

 今日はどうもありがとう、アルさん。じゃ、おやすみなさーい(^^)/

 >FlawはAlphonceにていねいにお辞儀した

 Alphonce:

 はーい、おつでした。

 >AlphonceはFlawに手を振った

 Alphonce:

 そうそう、俺が猫至上主義なのは最高機密ですよ。では。

 >Alphonceはニヤリと笑った

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 そう言うと、Alphonceはきびすを返して、再び島へと渡っていった。

「面白い人……」

 麗はくすりと笑った。ふと、廊下の方で足音がした。無論リアルの方である。ドアについている小さな窓から、ナースの照らす懐中電灯の明かりが僅かに見える。

「やば、消さないと」

 麗は慌ててベッド脇の照明を落とし、ノートパソコンを閉めて布団を被った。

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