第9話 死んだ先は[其の壱]
鳥居をくぐった秋乃たちは、既に時間停止が実行された「現場」に足を踏み入れた。
ドーム状の屋根の下、多くの人間が石像のように動きを失くし、本来なら聞こえて来る筈の声、音、その全てが失われている。慣れてはきたものの、未だ気味の悪さは拭えない。
「ここは……」
「良くあるアーケード街だな!」
相変わらず緊張感の欠片もない湊と、揺るぎない真顔で黙々と指輪を装着する要。二人はこんな感じだが、周辺にはしっかり視線を這わせている。もちろん、秋乃もだ。
制服の内側に隠していたペンダントを出し、覚悟を新たにする。そして、見える範囲に「対象」がいないのを承知すると、三人で歩く傍らで耳を澄ませた。
「――
「気安く呼ぶな! お前だけは許さない!」
早々に聞こえたのは、そんな男女の声。湊を先頭に、秋乃たちは足早に声の発生源をたどり始めた。
男女の会話の内容はともかく、彼らの間に会話があること自体が重大だ。それは秋乃にとって、希望以外の何物でもない。
「言い争ってるってことは、まだ……!」
「まだ間に合うかもだな!」
「うん! 急ご!」
「……」
「先輩、いま舌打ちしました?」
「していない」
表情を変えないまま、要は不意にぴたりと足を止め、ある位置を指し示した。
「
湊と一緒に、秋乃は要の指した先を見た。
軒を連ねる店舗が、左右ともに一時的に途切れている地点。その間を横切る普通車二台分ほどの道路上に、
憎しみに満ちた顔をした男性が、怯え切った顔をした女性に銃口を突き付けている。車道を挟んで向かい合う彼らは、それぞれが別の要因で、全身を小刻みに震わせている。
男性が一歩、二歩と女性に近付き、一発の弾丸でほぼ仕留められるほど距離を縮めた。取り返しの付かないことがすぐにも起きようとしている現状、言葉を考えている暇はなかった。
「あなたが
秋乃はそう言った。矢庭の制止より、確認が口を衝いたのだ。
男性がこちらを向いた。表情はなく、動じた様子はない。
男性の視線はすぐに秋乃たちから外れ、女性の方へ戻ってしまった。女性を確実に殺すためなら、攻撃されようが構わないという訳か。
「戦闘になったら呼んでくれ」
「任せろ!」
要は論外として、あっさり了承する湊も大概である。だが、今は協力して貰うしかない。
「まだ命乞いする気か?
激情を押し殺した声音で、宗助と呼ばれた男性が問う。藤沢亜矢と呼ばれた女性は、ただ震えるばかりで、もはや言葉も出ないようだ。
「どうしたどうした! 何があった!」
顔だけは大真面目な湊の声が木霊する。
湊の質問に応じた訳ではないだろうが、次の宗助の台詞により、秋乃たちは宗助と亜矢の関係、及びおおよその事情を知ることとなった。
「好きだった。力になりたかった。その一心で自分の物を売って、借金までしたのに……!」
「マジか! そりゃ大変だったな!」
亜矢を睨み付けたまま、宗助は続けた。
「お前が旦那と子供と一緒に歩いてるのをここから見た。あの時の僕の絶望がお前に分かるか?」
間もなく、亜矢の態度が一変した。
「し、知らないわよ! 騙されたあんたが悪いんでしょうがっ!」
自らの死を確信してか、亜矢は醜悪な本性を晒した。彼女の開き直りに、宗助の目の色が変わる。
「ふざけるなっ!」
「そうだそうだ! 悪いのは騙した方だ!」
宗助は鬼の形相で更に一歩、亜矢に近付いた。
「僕も女を見る目がなかったよ。それでも、お前だけは許さない。お前なんかのために、僕は……!」
「一言一句同意だ!」
「湊。もう喋らないで」
「分かった!」
秋乃は足を踏み出した。心は自分でも驚くほど落ち着いていた。
たかだか十五年しか生きていない小娘の主張が受け入れられるかは分からないが、やらない選択肢はない。秋乃は緩慢に口を開き、宗助に問い掛けた。
「本当に殺すんですか」
宗助の動きが止まった。
宗助が再びこちらを――いや、秋乃を見る。普段の秋乃なら、その敵意を纏った視線に怯んでいたかも知れない。けれど、今は違った。
「だったらなんだ?」
静かに、冷たく、宗助はそう聞いてきた。秋乃はこれに応じた。
「あなたも死ぬんですよ」
「それがどうし――」
「こんな人なんかのために!」
秋乃は声を荒らげ、思いの丈をぶつけた。
宗助の表情がたちまち強張った。絶句しているのが見て取れる。
秋乃には、脳裏に焼き付いて離れない光景があった。先日地獄に送られた少女との邂逅だ。あの少女は、少女の死を喜ぶような人間を救って、殺して、死んだ。――二度も死んだのだ。
あの少女と同じ道を進もうとしている死者が今、目の前にいるのだ。同情からでも、正義感からでもない。
「あなたは……独りですか」
秋乃は意を決して、そう尋ねた。
雪乃を助けて、自分は死んで。その後は、永遠に独りぼっちでいるものだと思っていた。が、実際は違った。仲間がいた。味方がいた。友達がいた。秋乃は独りぼっちにはならなかった。
無論、宗助も同じとは限らない。彼の未練となりうるものは、もう『青の鳥居』内にも残っていないのかも知れない。けれど、もしそうでないのなら。
恐る恐る宗助の目を見る。大きく開かれている。
「僕は……」
宗助はやがて、迷子みたいな表情で唇を震わせながら、言葉になり損ねた呟きを発して――ゆっくりとピストルを下ろした。
瞬間、宗助の眉間に
秋乃が――いや、きっとここにいる誰もが状況を理解するより先に、亜矢の頸部が
「……え……」
地面に崩れ落ちた宗助たちを、呆然と見下ろす秋乃の腕を掴む者がいた。湊だ。強い力で引き寄せられた秋乃は、すぐに三度目の
たった今まで秋乃が立っていた辺りに、小さな穴が空いている。湊の行動の理由はこれだろう。
バチン! と乾いたノイズが静寂を切り裂いた。
頭が回らない中、そちらに目をやった。
男が嘲る。自身が殺した二人と、二人を守れなかった秋乃たちを。
「秋乃」
湊にぽんと肩を叩かれた。向けられた緩い笑顔を見ている内に、感情が息を吹き返した。
湊がゆっくりと秋乃から離れて行く。制服のポケットから取り出したキーホルダーを手に、戦いに向かってしまった。
湧き上がる数多の感情に蝕まれながら、秋乃は一人、立ち尽くした。
【To be continued】
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