第14話 鳥居の中で[其の壱](修正版)

 秋乃たちが暮らす綿津見町わたつみちょう。ここ切絵町きりえちょうは、綿津見町の隣に位置する小規模な町だ。

「切絵商店街……。ここね」

「おう! 秋乃好みのが見付かると良いな!」

「ありがと。湊」

 今回も道案内をしてくれた湊に、秋乃は率直な気持ちを伝えた。湊はどこか上機嫌だ。

 青狐寮あおごりょうと現在地は、共に町境に位置し、最低限のスタミナさえあれば、徒歩で行き来可能だ。歩き通しの疲れも大したことはない。

 この町には、自転車を買いに来た。綿津見町で唯一の自転車屋は、個人経営に毛が生えた程度のもので、品揃えも評価に値しない。――とのことで、この町の商店街を教えて貰ったのだ。

 秋乃と湊の斜め後ろには、赤いタンクトップ姿のバステトを連れた要がいる。散歩中だった彼らを見付けた湊が、半ば強引に誘ったのだ。

「――そういや、なんでバステトなんだ?」

 自転車屋への道すがら、湊が要にそんなことを尋ねた。

 この大人しい秋田犬の名前の由来は、実は秋乃も前々から気になっていた。何故バステトなのか。そもそも、バステトとはどういう意味なのか。

 要はいつもの真顔で答えた。

「エジプト神話の神の名だ。昔、壁画を見せて貰ったことがあってな。胴体が人間、頭部が犬という独特の姿が印象深」

「それはアヌビスだな!」

 湊が大声を割り込ませると、要の足がぴたりと止まった。

「バステトは猫だ!」

「……」

 要に合わせて立ち止まる秋乃と湊。要は動かない。言葉に詰まったように黙り込むだけだ。

 しばらくそうしていた要だったが、やがて緩慢にこの場にしゃがむと、バステトの頭を撫で撫でしつつ、長い沈黙を終わらせた。

「心配するな。お前はこれからもバステトだ」

 変わらない真顔と声のトーンのせいで、なかなかシュールな絵面だ。

「お! あんな所にでかい本屋が!」

 唐突にも唐突に、湊の大声が木霊した。

 びっくりして湊の視線を追うと、真新しい書店が遠目に見えた。遠目に見えたところで、湊が早急に走り出した。

「ちょっと、湊!」

「漫画とレシピ本見て来るなー!」

「湊ってば!」

 本来の目的などそっちのけで、戦闘時より遅い俊足で去って行く湊。もう秋乃の声は届いていない。諦める他ない。その内戻って来るだろう。

「バステト。少し休憩するか?」

 どうやら、諦めたのは秋乃だけではないようだ。すぐそばで、要がバステトに問い掛けている。

 確かに、ここまで歩きっ放しだ。湊がいつ戻って来るか分からない以上、短時間でも休憩しやすい場所があれば良いかも知れない。

 辺りを見渡したところ、秋乃の視界に一軒の店舗が留まった。出来すぎている気もするが、偶然理想の休憩所を見付けた秋乃は、さっそく要を呼んだ。

「先輩。そこに和菓子屋がありますよ」

 手招きしながら、秋乃は足早に店の前に立った。

 『夢野和菓子店』。和食レストランと居酒屋の間に佇むこの和菓子屋の木製看板には、力強い字体でそう彫刻されている。

「縁台がありますし、湊とも合流しやす――先輩?」

 一応付いて来てくれた要だが、何やら考え込んでいるのが窺える。一言もなくじーっと店を凝視する姿を見ている内に、段々不安になってきた。

「えっと……ここに何か問題が?」

「……この店に罪はない。ただ、気に食わん奴がここの常連でな」

「誰のことだい?」

 真後ろから男の声が割り込み、秋乃はぎょっとしてそちらを振り向いた。

 巫を想起させる和服。青い羽織。青い絵の具を用いた狐の面。異様な身なりをしたこの男の名は鉄勇大くろがねゆうだい。秋乃たちの上司だ。

 要は振り向きこそしないものの、明らかに辟易している様子だ。割と最近分かったことだが、彼は鉄に絡まれている間は、表情のバリエーションが少々増えるらしい。

「いつからいたんですか」

「まあまあ。座りたまえ。休憩も必要だろう? 団子くらいなら奢ろう」

 あたかも自分の店のように言いながら、鉄はさっさと縁台に腰掛けて、自分の隣の、ちょうど二人が座れるほどのスペースをぽんぽんと叩いた。

 要は溜息混じりに肩を竦め、鉄の方へ歩いて行くと、鉄の隣――ではなく、一つ右の縁台に腰掛けた。

「なかなか酷いことをするね」

「あなたが言わないでください」

 穏やかな鉄と、冷ややかにあしらう要。一触即発に見えなくもないが、たぶん違うのだろう。それきり二人に動きはない。

 秋乃が要と同じ縁台に座った時、鉄は既に秋乃たちへの関心を失っており、早々と店内で買い物を済ませると、二人分の団子を秋乃たちの縁台に置くだけ置いて、自分の席に座り直した。以降、絡んでくる気配はない。

 すっかり静かになった。

 しかし、それは鉄の沈黙だけではなく、秋乃と要の間に会話がないのも関係していた。これといって話す内容がないのだ。

 思えば、今まで湊抜きで要と会話する機会は多くなかった。秋乃たちの中心には、いつも湊がいたからだ。

 要は普段と違わず、何を考えているか分からない真顔で大人しく座っている。秋乃は、そんな要になんとか話し掛けてみた。

「普段は指輪してないんですね」

 何気なく選んだ話題だった。

 要が勤務時間外に指輪をしている姿を、秋乃は一度たりとも見たことがない。学校にいる間はともかく、放課後や休日も同じ。それがほんの少しだけ気になっていたのだ。

 秋乃が単なる雑談の一環として投げたこの質問に、要はすんなりと応じた。

「もともと、あれは俺の趣味とは違う。貰い物だ」

「そうなんですか?」

「そうだ」

 言われてみれば、先日上げて貰った要の家の中に、ああいった趣向の物は見当たらなかった。

 なんということはない。真相は至ってシンプルだった。と、思いきや。

「だが、理由はあと一つある」

「……あと一つ?」

 指輪の話は終わっていなかったらしい。秋乃は要の次の言葉を待った。

 要は揺るぎない真顔で口を開いた。

「能力を制御するためだ」

 さらっと重要な事実を明かされ、秋乃は大いに戸惑った。

「能力……?」

「ああ。俺のもう片方の能力・・・・・・・は制御が難しくてな。不用意に発動しないよう、普段は触れないことにしている」

 どうやら、要には能力が二つあるらしい。秋乃は問いかけた。

「その能力って、どんなものなんですか?」

 しかし、要の回答は、秋乃が望んだそれの斜め上を行くものだった。

「〈死者の断末魔〉という言葉は知っているか?」



【To be continued】

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