間章 二つの日常

第13話 鳥居の外で

 籠鳥ろうちょう大学附属高等学校。通称、籠鳥学園。校内で無類の人気を誇る一階の食堂は、今日も今日とて、歴史ある学食の味に魅了された生徒で溢れ返っていた。

 窓際のテーブルに着いた早瀬秋乃はやせあきのもその一人――という訳でもなく、クラスメイトの堂本湊どうもとみなとに、半ば強制的に連れて来られた格好だ。

「よっしゃー! 最新のSSRが来たぞ! こいつがいれば、きっと次の激戦も乗り切れる!」

 横向けにしたスマートフォンを凝視しながら、声を張り上げる湊。いつものことだ。そんな湊を余所に、秋乃はただ黙々と塩ラーメンを完食した。

 鳩が豆鉄砲な周りの生徒たちへの配慮は諦めた。諦めたくはなかったが、きりがないのだ。何度注意しても、湊は五分もあれば忘れてしまう。

 更に、最近はこの程度では済まないのが常になりつつある。なんせ、一人増えたのだから。

「堂本。SSRとはなんだ?」

 秋乃の斜向かい――湊の隣にいる桜庭要さくらばかなめが、湊のスマートフォンを覗き込み、微かに首を傾げている。

「なんだよ要! 知らねーのか?」

「ああ。聞いたことがない」

 聞いたことがない方が多数派だと思うが、突っ込むのはやめておく。

「SSRってのは、強敵と戦う上で必要不可欠な存在なんだ! どいつも戦闘力が頭ひとつ抜けてて、めちゃくちゃ頼りになるぞ!」

「なるほどな。俺たちの業務上、確かに戦闘力の向上は優先事項だ。俺も早くSSRにならなければ」

「甘いぞ要! SSRを極めてURに進化させるまでがセットだ! そんで、そのURを極めて、初めて真の強敵と戦う資格が得られる訳だ!」

「なんだと?……俺にはまだ、気が遠くなるほどの訓練が必要ということか」

 そろそろ止めた方が良いだろうか。

「時間も金もかかるけどよ! 最強を目指すなら、こういう地味な作業の積み重」

「湊。桜庭先輩」

 噛み合っているようで、全く噛み合っていない二人の会話を、虚無に近い思いで止める。無垢なきょとん顔と、揺るぎない真顔に見詰められながら、秋乃はさっと周辺に視線を這わせた。

 秋乃たちから近いテーブルにいる十人余りの生徒や、空席を探す通りすがりの生徒たちがこちらを見ている。性別も学年もバラバラな彼らだが、唯一共通しているのが、秋乃たちを見る目が明らかに普通でないことだ。

 困惑、畏怖、同情、興味本位。理由は言うに及ばずだろう。同類に扱われるのは些か不本意だ。

「ん? どしたー?」

「どしたー、じゃなくて。食べ終わったんならもう行きましょ。あんまり居座ってたら、他の人に悪いじゃない」

 当たり障りのない言葉を選び、湊と要を促す。二人は一度顔を見合わせると、椅子から腰を上げた。

「早瀬の言う通りだな」

「さすが秋乃! しっかりしてるな!」

「はいはい。ほら、早く」

 秋乃が空いた食器を手に返却口へ向かうと、湊と要も、それぞれカツカレーと牛丼が入っていた食器を持って付いて来た。

 目立たず、静かに過ごす普通の学園生活。そんなかつての理想とは掠りもしない生活を、秋乃は今日も送っている。


 * *


 死者としての仕事にも、週に一度は休みがある。だが、曜日に関してはシフト制だ。

 今週は今日、七月に入って最初の水曜日だ。学校の休日とのズレが大きく、少々残念な休日ではあった。

「今日は休みだし、今から三人で遊ぶか!」

 放課後。学校を出るや否や、湊から想定外の提案を受けた。

 いや、厳密に言うと提案ではない。これが湊の中で決定事項なのは、彼の顔と態度で知れた。

 遊ぶ、と表現するからには、ある程度屋外を歩くのは前提だろう。屋内には拠点がない。

 照り付ける夏の日差しをものともせず、屋外での遊びを考えるのは、真面目に凄いと思う。けれど、今の秋乃にとって、承諾は難儀なものだった。

「悪いけど、わたしはわたしでやることあるから。掃除とか、洗濯とか……」

 無難であり、事実でもある内容で遠慮を試みる。

 夏は苦手だ。この気象の中、やむを得ない用事以外で出歩くのは気が進まなかった。もう少し遅い時間帯であれば、考える余地はあったのだが。

 と、思った矢先だった。

「洗濯なら、オレが代わりにやってやるよ!」

「またビンタされたいの?」

「サーセン」

 考えるのはやめた。

 信じたくはないが、湊は本気で言ったのだろう。無邪気と活発と軽挙を足して二で割ったような表情は、徐々に鳴りを潜めていった。

「なら、要はー?」

 すっかり拗ねた子供みたいになった湊が、要を見上げる。要の表情は岩のように動かない。

「済まないが、俺も帰らせて貰う。せっかくの休みだ。バステトと充分なコミュニケーションを取っておきたい」

「なんだよー……。二人ともつれねーな」

 しょんぼりと肩を落とす湊。先ほどといい、今といい、とても高校生の挙動とは思えない。

 珍しく押し黙っていた湊だが、数秒とかからず勢いよく顔を上げると、あたかも名案が浮かんだとばかりに、並々ならぬやる気と自信に満ちた目をこちらに向けてきた。

「じゃあ、要んち行こうぜ!」

 何が「じゃあ」なのか。とにかく、あとは二人で好きにやって貰うとして、自分は早く家の用事を済ませるとしよう。

「秋乃も行くよな!」

「……はい?」

 信じがたい不意打ちに瞬きを忘れ、無意識に上げた声はひっくり返ってしまった。

「秋乃だって遊びに行きたいよな! バステトとも仲良くなりたいよな!」

「待ってよ! 勝手に……っ」

 言いかけて、口を噤む。湊が発した形だけの問いは、全否定するには良心の呵責が強かった。

 問いの内容自体も、あながち間違ってはいない。湊たちとは上手くやっていきたいし、犬も嫌いではない。飼っていたこともある。

 しかし、ここでノコノコ付いて行くのは、さすがによろしくない。幾ら仲間とはいえ、付き合いが長い訳でもない一人暮らしの男子の家に上がるなど。秋乃としては完全に「なし」だ。

 今回は遠慮すべきだと即結論を出すと、秋乃は本日二つ目の断り文句を考えた。

「先輩にも都合ってものがあるでしょ。わたし達が勝手に決め」

「来て良いぞ」

 遠慮のための言葉は、当人によってあっさり遮られてしまった。

「忙しいなら、無理強いはしないが」

 絶句する秋乃を前に、要がやや怪訝な顔になる。女子あきのが突然来ることに、なんの違和も感じていない様子だ。

「よっし! 決まりだな!」

「早い内に決まっていれば、茶請けくらいは用意したんだが……」

「気にすんな! オレも気にしねーし!」

「助かる」

 秋乃の思いを置き去りに、放課後のスケジュールは決定してしまった。

 目立たず、静かに過ごす普通の学園生活。そんなかつての理想とは掠りもしない生活を、秋乃は今日も送っている。



【To be continued】

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