第13話 狐の目

 三人での仕事を終えた要は、悶々とした気持ちを抱えながら、鳥居内のスーパーへと向かっていた。

 湊たちとは、買い物に行く体で別れた。

 買い物は嘘ではないが、それ以上に、今は一人になることの方が重要だった。何故なら、今の自分は、冷静とは対局線上にいるからだ。

 頭を冷やさなければならない。けれど、簡単にはいかなかった。

 要は爪が食い込むほど握り締めた拳を、ゆっくりと持ち上げた。

 激しい痛み。石畳の壁に衝突した拳は瞬く前に流血し、壁の一部に赤い染みを作った。

 この自傷は衝動的なもの。嵐のように荒んだ感情にあてられた結果だ。意味などない。が、それでも幾らかは楽になった。

 こんな惨めな自分を、湊たちには見せる訳にはいかなかった。いや――見られたくなかった。

 深く呼吸し、負傷した拳を下ろした時、背後に人の気配を感じた。

「やあ、要君」

 こんな時に限って、会いたくない人間に捕まる。特にこの男は、いま会いたくない人間の筆頭だった。本当についていない。

「駄目じゃないか。せっかく秋乃君が治してくれたというのに」

 鉄の声は穏やかだ。普段と何一つ変わらない。

 振り向くのはやめた。今ばかりは嫌だった。

 鉄勇大ゆうだい。青くペイントされた狐の面で、顔のほとんどを隠す気味の悪い人間。要たちの上司にして、『青の鳥居』の管理者の一人だ。

「済みません。放っておいてください」

「今回は相手が悪かっただけさ。君が気に病むことはない」

 要の頼みを無視し、傷口に塩を塗る鉄。覚えのあるどす黒いものが、要の胸中に広がっていく。

「新垣文人ふみとのことは、以前からマークしていたんだがね。よりにもよって、あんなところで契約違反を起こすとは。君たちには悪いことをしたね」

「……鉄さん」

「ともあれ、無事で良かったよ。僕としても、有望な部下を三人も失うのは都合が――」

黙れ・・

 自分でも驚くほど低く、最悪の意味で興奮した声音だった。上下関係を気にする余裕など、もう爪の垢ほども残っていない。

 鉄は要の言葉通り沈黙したが、ほんの一時に過ぎなかった。彼は間もなく、今の要にとって致命的な言葉を口にした。

「君はあの一件以来、随分と感情豊かになったねぇ」

「っ!」

 いま手錠きょうきを手にしていたなら、間違いなく鉄を攻撃していただろう。敵う筈もないのに。

 嵩を超えた感情いかりに任せて振り返った。

 振り返った先に、鉄の姿はなかった。


 * *


 青狐寮あおごりょうに帰る道すがら、湊が突然こんなことを言い出した。

「秋乃の〈末梢能力〉も分かったことだし、これでまた戦略の幅が広がるな!」

 湊は秋乃に同意を求めているようだが、現状同意のしようがなかった。秋乃の知らないワードが、重要な部分にさも当然のように存在している。

「待って」

「ん? どしたー?」

「〈末梢能力〉って何?」

 秋乃の真っ当な質問に、湊が目を丸くする。

「前に説明――」

「されてない」

「マジか! 忘れてた!」

 とても納得した様子でぽんと手を打つと、湊は依然として無垢な笑顔で、得意げに説明を始めた。

「〈末梢能力〉ってのは、武器を変化させた状態で使う能力のことだ! 秋乃の場合は、あのバリアだな!」

「じゃあ、怪我を治す方は?」

「あっちは〈基礎能力〉だ! 人によるけど、戦闘とは直接関係ないのが多いぞ!」

「ふーん……」

 基礎。末梢。一応覚えた。そこでふと、一つの疑問に辿り着く。

「湊の〈基礎能力〉って?」

「……」

 何気なくぶつけた疑問は、予想の斜め上を行く結果をもたらした。

 湊は無垢な笑顔のまま、静止画さながらにフリーズしている。秋乃が訝っていると、彼はやがてすーっと視線を外し、何を思ったか、寮とは真逆の方向へ走り出した。

「オレも買う物あった!」

「え?」

「また明日な!」

「ちょ、ちょっと……」

 ここまで完成度の低い誤魔化し方があるのか。勉強になった。一瞬で追う気が削がれた。

「でも……なんで隠すんだろ」

 小さくなっていく湊の背中を見詰めながら、秋乃は呟いた。


 * *


 背伸びをしたところで、要もまだまだ青い。あの程度で理性リミッターが外れるのだから、見ているこちらは退屈しない。

「鉄のオッサン! こんなとこで会うなんて奇遇だな!」

 裏通りにひっそりと佇む和菓子屋の縁台でくつろいでいたら、良く知る少年の大声が、落ち着きのない足音とともに近付いて来た。

「湊君。大きな声を出さずとも、ちゃんと聞こえているよ。この通りは喧騒とは無縁――」

「また制服破れたからくれよ!」

「人の話を聞きたまえ」

 自分を棚に上げ、鉄は湊をたしなめる。

「見ろ! この風穴を!」

 話を聞かないまま、湊は自らの脇腹部分を指し示す。確かに、ニットベストとワイシャツに小気味よい穴が開いている。のだが。

「六桁後半の給料は渡している筈なんだがね。なぜ制服代程度を惜しむんだい?」

「課金したらなくなった!」

「納得したよ」

「同情するなら八桁くれ!」

「同情はしていないよ。……大福は好きかい?」

 これ以上図に乗られたら面倒なため、鉄は縁台にある大福の皿を指し示した。まだ二つ残っている。

「好き! くれ!」

「構わないよ」

 鉄が応じると、湊は目を輝かせながら隣に座ってきて、早速大福に手を伸ばした。

 勢いよく大福にかぶりつく湊を横目に、鉄は他意のない言葉を口にした。

「君が『青の鳥居』に来て、もうすぐ十年になるね」

「だな! いろいろあった!」

 大福ガツガツと頬張り、ご満悦な体で答える湊。

 湊がここに来たのは、彼が十五歳の時だ。死者以前に、生者としても未熟な思春期。こんな・・・彼でも、思う所は少なくなかった筈だ。

「悪いことばかりでもなかっただろう? 確か、ここに来て友達が出来たと喜んでいたね?」

「まあな!」

「それに、ここでも秋乃君に会えた」

 さりげなく挟んだ、ささやかな揶揄。

 湊が一瞬黙った。

「オッサンのそういうとこ嫌い!」

「これは失敬」

 忍び笑いをしつつ、鉄はしれっと話題を変えた。

「要君もだが、君も実に興味深い」

「んー?」

 こちらを見ずに反応する湊に、鉄は更に言う。

「特にその嘘っぽい笑顔は、見ていて飽きないよ」

 湊は変わらず、緩い表情で大福を頬張っている。ご機嫌で何よりだ。

 会話はそこで途切れた。



【第2章 End】

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