第12話 狐の目(修正版)

 予定時間外の仕事が一段落した後。

 疲労困憊の体で帰宅する途中、先頭を歩いていた要が、おもむろにこんな発言をした。

「俺のために誰かが死ぬのはごめんだ」

 先ほどの話の続きなのだろう。要の顔は見えないものの、声色からは少なからず陰りが窺えた。

「オレは無事だぞ!」

 すっかり元通りになった湊が、すかさず言う。

 要が微かに眉を寄せる。

「結果論だ」

「心配すんな! これからもずっと無事だ!」

「根拠は?」

「ない!」

 胸を張る湊。要は溜息混じりに肩を落とした。

「もういい」

「そうか!」

 前向きなのか、何も考えていないのか、秋乃もときどき分からなくなる。良くも悪くも、湊は不思議な少年だ。

「――ねぇ」

 会話が一時途切れたのを確認すると、秋乃はおずおずと二人に問い掛けた。

「死者が死んだらどうなるの?」

 以前から密かに気にしていたこと。宗助の死を目の当たりにして、より一層深まった疑問だ。

「悪い死者が地獄に行くのは分かった。でも、さっきの人は思い留まってくれた。地獄に送られるようなことはしてない。あの人は……どこに行くの?」

 答えてくれたのは湊だったが、その内容は身も蓋もないものだった。

「分かんねー!」

「え?」

くろがねのオッサンに何度か聞いてみたけど、全然教えてくれねーんだよ! ケチだよな!」

 湊ですら知らないこと。聞く対象が鉄である辺り、要も知らなさそうだ。なら、秋乃に知る術はない。たぶん、これから先も。

「少なくとも、まともな場所ではないだろうな」

 意外にも、要が口を挟んだ。知らないながらも、確信に足る見解が彼の中にあるのか。

 秋乃は根拠を尋ねようとしたが、その考えはたちまち見透かされた。

契約者おれたちは、エゴで運命を捻じ曲げた存在だ」

 はっと息を呑むと共に、薄ら寒さを感じた。

 間違いない。自分は自らの我儘で運命を捻じ曲げて、生者みんなの意識や想いに干渉し、歪みをもたらした。許される訳がない。頭では分かっていた筈なのに。

「つまり、そういうことだ!」

 湊の声は明るい。しかし、彼もまた、誰かの身代わりになってここに来た一人なのだ。

 湊も要も、秋乃と同じだ。だから、最期はきっと同じ場所に行き着くのだろう。今の秋乃には想像すら出来ない、遠いどこかへ。


 * *


 三人での仕事を終えた要は、悶々とした気持ちを抱えながら、鳥居内のスーパーへと向かっていた。

 湊たちとは、買い物に行く体で別れた。

 買い物は嘘ではないが、それ以上に、今は一人になることの方が重要だった。何故なら、今の自分は、冷静とは対局線上にいるからだ。

 頭を冷やさなければならない。けれど、簡単にはいかなかった。

 要は爪が食い込むほど握り締めた拳を、ゆっくりと持ち上げた。

 激しい痛み。石畳の壁に衝突した拳は瞬く前に流血し、壁の一部に赤い染みを作った。

 この自傷は衝動的なもの。嵐のように荒んだ感情にあてられた結果だ。意味などない。が、それでも幾らかは楽になった。

 こんな惨めな自分を、湊たちには見せる訳にはいかなかった。いや――見られたくなかった。

 深く呼吸し、負傷した拳を下ろした時、背後に人の気配を感じた。

「やあ、要君」

 こんな時に限って、会いたくない人間に捕まる。特にこの男は、いま会いたくない人間の筆頭だった。本当についていない。

「駄目じゃないか。せっかく秋乃君が治してくれたというのに」

 鉄の声は穏やかだ。普段と何一つ変わらない。

 振り向くのはやめた。今ばかりは嫌だった。

 鉄勇大ゆうだい。青くペイントされた狐の面で、顔のほとんどを隠す気味の悪い人間。要たちの上司にして、『青の鳥居』の管理者の一人だ。

「済みません。放っておいてください」

「今回は相手が悪かっただけさ。君が気に病むことはない」

 要の頼みを無視し、傷口に塩を塗る鉄。覚えのあるどす黒いものが、要の胸中に広がっていく。

「新垣文人ふみとのことは、以前からマークしていたんだがね。よりにもよって、あんなところで契約違反を起こすとは。君たちには悪いことをしたね」

「……鉄さん」

「ともあれ、無事で良かったよ。僕としても、有望な部下を三人も失うのは都合が――」

黙れ・・

 自分でも驚くほど低く、最悪の意味で興奮した声音だった。上下関係を気にする余裕など、もう爪の垢ほども残っていない。

 鉄は要の言葉通り沈黙したが、ほんの一時に過ぎなかった。彼は間もなく、今の要にとって致命的な言葉を口にした。

「君はあの一件以来、随分と感情豊かになったねぇ」

「っ!」

 いま手錠きょうきを手にしていたなら、間違いなく鉄を攻撃していただろう。敵う筈もないのに。

 嵩を超えた感情いかりに任せて振り返った。

 振り返った先に、鉄の姿はなかった。


 * *


 背伸びをしたところで、要もまだまだ青い。あの程度で理性リミッターが外れるのだから、見ているこちらは退屈しない。

「鉄のオッサン! こんなとこで会うなんて奇遇だな!」

 裏通りにひっそりと佇む和菓子屋の縁台でくつろいでいたら、良く知る少年の大声が、落ち着きのない足音とともに近付いて来た。

「湊君。大きな声を出さずとも、ちゃんと聞こえているよ。この通りは喧騒とは無縁――」

「また制服破れたからくれよ!」

「人の話を聞きたまえ」

 自分を棚に上げ、鉄は湊をたしなめる。

「見ろ! この風穴を!」

 話を聞かないまま、湊は自らの脇腹部分を指し示す。確かに、ワイシャツに小気味よい穴が開いている――のだが。

「六桁後半の給料は渡している筈なんだがね。なぜ制服代程度を惜しむんだい?」

「課金したらなくなった!」

「納得したよ」

「同情するなら八桁くれ!」

「同情はしていないよ。……大福は好きかい?」

 これ以上図に乗られたら面倒なため、鉄は縁台にある大福の皿を指し示した。まだ二つ残っている。

「好き! くれ!」

「構わないよ」

 鉄が応じると、湊は目を輝かせながら隣に座ってきて、早速大福に手を伸ばした。

 勢いよく大福にかぶりつく湊を横目に、鉄は他意のない言葉を口にした。

「君が『青の鳥居』に来て、もうすぐ十年になるね」

「だな! いろいろあった!」

 大福ガツガツと頬張り、ご満悦な体で答える湊。

 湊がここに来たのは、彼が十五歳の時だ。死者以前に、生者としても未熟な思春期。こんな・・・彼でも、思う所は少なくなかった筈だ。

「悪いことばかりでもなかっただろう? 確か、ここに来て友達が出来たと喜んでいたね?」

「まあな!」

「それに、ここでも秋乃君に会えた」

 さりげなく挟んだ、ささやかな揶揄。

 湊が一瞬黙った。

「オッサンのそういうとこ嫌い!」

「これは失敬」

 忍び笑いをしつつ、鉄はしれっと話題を変えた。

「要君もだが、君も実に興味深い」

「んー?」

 こちらを見ずに反応する湊に、鉄は更に言う。

「特にその嘘っぽい笑顔は、見ていて飽きないよ」

 湊は変わらず、緩い表情で大福を頬張っている。ご機嫌で何よりだ。

 会話はそこで途切れた。



【第2章 End】

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