第6話 藪から棒に[其の参]

 急がないと。早くしないと。湊が死んでしまう。

「湊……湊ぉ……!」

 泣いて、ひたすら泣いた。泣いたらほんの少し冷静になれたが、それで状況が変わるなら苦労はしない。――そう思っていた。

 未知の力に導かれるかのようだった。秋乃の脳裏に、あの言葉が蘇った。

 「強く願えば、君の魂は応えてくれるだろう」。鉄の言葉だ。湊の地獄送りを命じたのが彼なのだとしたら、もう何を信じて良いか分からないが、今は賭ける・・・しかない。

 湊を助ける力をください。目を閉じて願った。願いはすぐに実を結んだ。瞼越しに光を感じて目を開けると、首から下げたペンダントが炎を纏っていた・・・・・・

 眩い真紅の炎。だが、この炎が秋乃を傷付けることはなかった。温かくて・・・・心地よい・・・・炎。炎の正体は間もなく知れた。

 炎が動き出し、湊の体に触れる。最初こそひやりとしたものの、危惧は杞憂だった。

 湊が受けた傷が緩やかに癒やされ、絶え絶えだった呼吸が安定と力強さを取り戻してゆく。

 秋乃はペンダントを湊にかざし、願い続けた。

 治療の完了と同時に、炎は音もなく消失した。

 湊の肉体も呼吸も顔色も、全てが元通りになっている。湊は助かったのだ。

 生まれて以来、ここまで安堵したことがあっただろうか。友達を救えた。その事実が、能力ちからの行使による疲労を打ち消していた。

 やがて、湊がゆっくりと瞼を開いた。まだ目の焦点が定まらず、何もない空間をぼーっと見詰めるに留まっているが、秋乃が感極まるには充分すぎる挙動だ。

「湊……! 良かった……!」

 秋乃の鼻声を聞いて、意識が覚醒したのだろう。湊は目を見開き、秋乃がぎょっとするほど勢いよく身を起こすと、何やら興奮気味に、到底信じられない言葉を声高に発した。

「あいつ、超つえー!」

「……は?」

 唖然とする秋乃。湊はなおも喋り続ける。

「どこに住んでんのかな! 弟子にしてくんねーかな!」

「え、ちょ、湊……」

「あ、その前に友達か! ちゃんと過程は踏まねーとな!」

「湊ってば!」

 湊に過程を踏むという概念があったことにも驚くが、あんな仕打ちを受けたにもかかわらず、弟子だの友達だのと言って距離を詰めようとする様は、正気を疑わざるを得ない。倒れる際に頭を打ったのかも知れない。

 再度あの力を使うべきか悩んでいたら、湊が不意にこちらを見た。

「秋乃! 助けてくれてサンキュな!」

「軽っ!」

 まるでついでのように礼を言われ、秋乃は酷く傷心した。

「湊」

「ん? どしたー?」

 純真無垢な笑顔を、ここまで憎たらしく思ったのは初めてだ。

「わたしがどれだけ心配したと思ってんの!」

 悲しみは反動し、時として怒りに変わる。

 ほぼ絶叫しながら、秋乃は湊の頬に渾身のビンタをお見舞いした。


 * *


 激痛に耐えながら歩く。いったん人気のない場所に移動しなければならない。これ以上時間は止められない。延長には許可が必要なのだ。

「怪我をしたようだね」

「問題ありません。それより……」

「君を撤退させた理由かい?」

「ええ」

 鉄と共に細い路地を進む傍ら、要は頷いた。

 鉄は要を見ないまま、静かに応じた。

「簡単なことさ」


 * *


「ありがとね。付き合ってくれて」

 翌日の夕刻。生活用品を揃えるため、『青の鳥居』内の各店舗を回っていた秋乃は、道案内も兼ねて付いて来てくれた湊に、心からの感謝の気持ちを言葉に乗せた。

「気にすんな! 助けて貰った礼だ!」

 未だ手探り状態の秋乃を、嫌な顔一つせずサポートしてくれる湊には頭が上がらない。

「よし! 次は服屋だな!」

「え?」

 心底感謝していた矢先、何やら悪い予感がした。

「オレが秋乃に似合うやつ探してやるよ! えーっと、まずはトップスだろ? で、ズボンとスカートとソックス。あとタイツと下――」

「それ以上言ったら殴るから」

 予感が当たり、秋乃の気持ちは緩やかに萎えていった。黙っていれば感謝されて終わっていたのに、何故余計な発言をするのだろう。

 気分の切り替えがてら、何気なく向かいの通路を見遣った秋乃は、そこにとある光景を目撃した。

 黒いジャージ姿の少年がベンチに腰掛け、ペットとおぼしき秋田犬に、スティック状のおやつを与えている光景。普段なら気にも留めないが、秋乃は今に限って足を止めてしまった。

 どこかで見た少年だ。高校生ほどの外見。黒服。吊り目。昨日。無人駅。手錠。

 気付いた瞬間、秋乃はそっと後ずさった。そのまま湊の手を引き、速やかに立ち去ろうと試みる。しかし、叶わなかった。

「おーい! 要ー!」

「ちょっ、馬鹿!」

 あろうことか、湊が少年に話し掛けてしまった。ずんずんベンチへ向かって行く彼の背を、秋乃は慌てて追い掛けた。二の舞になる可能性がある以上、一人では行かせられない。

 湊と秋乃は程なくしてベンチ脇に到着したが、今の所、少年の視界には犬しかいない。

「済まないが、後にしてくれ。バステトがまだ食べている」

 起伏のない声でそんな言葉を返された。が、湊には関係ないようだ。

「こんなとこで会うなんて、奇遇だな!」

「バステトがまだ食べているんだ。少し待ってくれないか」

「かーなーめー!」

「……」

 湊の妙な粘り強さにより、要がようやくこちらを向いた。無表情、というより真顔でじっと見詰めてくる姿は、昨日とは全く違う空気を纏っていた。

 洗練された冷徹な眼差しも、異常なまでの苛烈さもない。まるで憑き物が落ちたように静かだった。こうして見ると、目付きが悪いだけの普通の高校生だ。

「……ああ、お前たちか」

 秋乃たちを認識してもなお、要は静かな真顔のまま応じた。昨日の苛烈な彼はどこへ行ったのか。

「おう! オレたちだぞ!」

「湊は黙ってて」

「分かった!」

 秋乃は要が大人しいのをよしとし、今の内に怒りをぶつけておくことにした。

「あんた! 昨日はよくも……!」

「いきなり喧嘩越しか。穏やかでないな」

「あんたが言うな! いきなり湊を殺そうとした癖に!」

 感情任せに怒鳴ったら、バステトとやらに威嚇されたが、現状の秋乃にそれを気にするだけの余裕はない。

 要はバステトを宥めつつ、一時的に沈黙した後、おもむろに口を開いた。

「その件なんだが。あれは俺の人違いによるものだ」

 背筋に恐ろしく冷たいものが走って、秋乃はおののいた。

「人、違い……?」

「ああ。地獄へ送る相手を見誤まった。俺のミスだ。そこの少年は無関係だった」

 眉一つ動かさない要。声のトーンも一定をたもっている。

 秋乃の震えは止まらない。

「つまり……勘違いで殺人未遂を?」

「そんなところだ」

「そんなところだじゃないでしょ! 何してくれてんの!」

 理不尽の域を超えた真実により、震えに別の震えが上書きされた。

 要一人の勘違いで、湊は殺されかけた。秋乃が力を引き出せていなければ、湊は死んでいたのだ。こんなことが許されて良い訳がない。

「ほらな! だから教えてやっただろ? 送る相手間違えてるって!」

 のだが、そう思ったのは秋乃だけだったらしい。

 当の湊は被害者でありながら、加害者である要に如何なる負の感情も示さない。むしろ馴れ馴れしいほど友好的だ。

「そうだな。お前の言った通りだった」

 要も相変わらずだ。どう考えても、加害した人間の態度ではない。

 絶句する秋乃を余所に、要はバステトが食べ終えたのを確認してから、ベンチの隣に設置された白い自販機の前に立った。

 ひとときの逡巡の後、要は飲み物を一本購入し、すっと湊に差し出した。

「これで許してくれ」

「安っ!」

 突っ込んだのは秋乃である。

 あれだけやらかして、僅か百四十円の慰謝料で済ませる気か。こんな暴挙がまかり通る訳がない。

「アップルネクター! これ、めちゃくちゃ好きなんだよ!」

 のだが、そう思ったのも秋乃だけだったらしい。

 当の湊は疑うことを知らない眼をキラキラさせながら、一片の躊躇もなく缶を受け取り、すっかりご満悦の体だ。

 湊は即座にプルタブを引いて中身を飲み干すと、溢れんばかりの笑みを要に向けた。

「お前、良い奴だな!」

「湊ぉ!?」

 驚倒する秋乃。けれども、声はきっと届いていない。

 静かな真顔で、要がベンチに座り直す。

「それから」

「……まだあるの?」

 正直もう聞きたくはなかったが、秋乃は既に拒否すら億劫になっていた。

「明日から、俺もお前たちのチームで活動することになった」

 何を言われたのか、理解が追い付かなかった。

「そういう訳で、よろしく頼む」

 要が真顔で会釈をすると、湊が水を得た魚の如く大仰に反応した。

「マジか! すげー嬉しいぞ! ついでに弟子にし――じゃなかった。友達になってくれよ!」

「前向きに検討する」

 もう勝手にしてくれ。



【第1章 End】

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