第2章 捻じ曲げた世界

第7話 ちぐはぐな共存[其の壱]

「そういや、要はどこに住んでんだ?」

青狐寮あおごりょうという寮があるだろう? あの近くだ」

「マジか! 近所じゃねーか!」

 成り行きで三人と一匹で帰路に就くことになったは良いが、早瀬秋乃はやせあきのには、桜庭要さくらばかなめと一緒に歩いている現状が、何かの冗談のように思えてならなかった。

 要とは昨日、明確な敵として出会ったばかりなのだ。みなとに至っては殺されかけている。

 なのに当人たちときたら、わだかまりの一つも見せやしない。本人たちが納得しているのだからと言われればそれまでだが、腑に落ちるかどうかはまた別の話だ。

「じゃあ、学校は?」

籠鳥ろうちょうに在籍している」

「マジか! オレも籠鳥だぞ!」

「そうか。あそこは風情があって良い」

「案外、どっかですれ違ってるかもな!」

「あり得ない話ではないな」

 欠片の邪気もない笑顔と、確固たる真顔で繰り広げられる会話。秋乃の入る余地はない。特に入ろうとも思わないが。

 ちなみに、要は二年生とのことだ。残念ながら先輩である。

「要! 学校で会ったらよろしくな!」

「ああ」

「もちろん、秋乃もだぞ!」

「……え?」

 急に話を振られ、反応が遅れた。いや、それだけではない。掛けられた言葉の内容自体が、秋乃には理解しがたいものだった。

「明日からも、今まで通り仲良く――」

「ま、待って!」

 秋乃が慌てて遮ると、湊はお約束のきょとん顔になりながら立ち止まった。要とバステトもまた、足を止めて秋乃を見た。

 二人と一匹の視線が集まる中、秋乃はおずおずと自分の見解を口にした。

「わたし、昨日死んだのよ?」

「ん? 知ってるぞ」

「え? だから、今まで通り登校なんか出来る訳ないじゃない」

 自分は何かおかしなことを言っているだろうか。言ってはいない筈だが、湊の反応と要の無反応を見ていると、どうにも自信が揺らいでくる。

 しばしきょとん顔を維持していた湊が、何か閃いたようにポンと手を打った。一人で納得されても困る。

 そんな最中、要が起伏のない声で湊を呼んだ。

「少年」

「オレは堂本どうもと湊だぞ!」

「堂本」

「おう! なんでも言ってみろ!」

「こいつは新入りか?」

 こいつ、とは聞くまでもなく秋乃のことだ。

「秋乃は昨日契約したんだ! で、あれが初仕事だ!」

「なるほどな。だからあの時、何も出来ずに突っ立っていた訳か」

 秋乃が繰り出したストレートパンチは、あえなく避けられてしまった。

「……なぜ殴ろうとする?」

「なんで分からないんですか馬鹿なんですか」

 信じがたいことに、要は本当に分かっていない様子だ。秋乃は彼との対話を諦め、湊に向き直った。

「それで……学校のことなんだけど」

「大丈夫! 秋乃はなんにも心配しなくて良いぞ! とにかく、行ってみれば分かるって!」

「……制服とか教科書は?」

くろがねのオッサンに頼めば用意してくれるぞ!」

「どうやって?」

「細かいことは気にすんな! ってか、オレも知らねー!」

 何から何まで釈然としないまま、秋乃の疑問は有耶無耶にされてしまった。

 しかし――翌日の登校で、秋乃は湊の言葉の意味するところを、その身を持って知ることとなる。


 * *


 何がどうなっているのか。

 通学路を進む間も、校門を抜けた後も。すれ違う誰もが秋乃を気にしていない・・・・・・・ことに、秋乃は愕然としていた。

 驚きや怯えといった、示してしかるべき反応が、彼らからは全く見受けられないのだ。秋乃の存在を疑問視すらしていない・・・・・・・・・・かのように。

 最初は姿が見えていないのかと思ったが、違う。目も合った。挨拶もされた。教員も、生徒も、秋乃を視認しているのは明白だった。

 ならば、この光景はなんだ。こんな状況はあり得ない。ある筈がないのに。

 教室に入っても、やはり状況は同じだった。

 スマホゲームをしている湊の隣に着席した時、前席の友達――雨谷莉子あまがいりこに声を掛けられた。莉子もまた、何事もなかったように秋乃に接してきたのだ。

「おはよ。元気ないね。……って、当たり前か」

 そう話す莉子自身の表情にも、明確な陰りが見て取れた。

 言葉が出ない。困惑と混乱に頭を掻き回されて、何も思い付かないのだ。

 だが、秋乃の無言を気にした様子もなく、莉子は表情同様に陰った声色で続けた。

美紅みくなぎも、秋乃がいなくなったショックで休んじゃったけど、私は来ちゃった。来たら、いつもみたいに秋乃がいる気がして。……馬鹿だよね」

 そんな莉子の台詞を聞いた。ものの一瞬で背筋が凍り、全身が総毛立った。

 震える唇を懸命に動かして、勇気を振り絞って、秋乃はようやく発声に至った。

「莉子、なに言ってんの……? わたしはここにいるよ?」

 藁にも縋る思いで訴えた。しかし、莉子は目を丸くし、怪訝な顔をするだけだった。

「うん。いるよ?……秋乃こそなに言ってんの?」

 一向に噛み合わない会話。今の秋乃と莉子は、互いに致命的な齟齬をきたしている。

 何一つ状況が理解出来ないでいる秋乃の前で、やがて莉子が、とうとう決定的な言葉を口にした。

「秋乃までどうしちゃったのよ……。秋乃が死んでつらいのは分かるけど、こんな時だからこそ、私と秋乃がしっかりしなくちゃでしょ?」

 莉子の言葉は悪い冗談にしか聞こえないのに、とても冗談を言っているようには見えなかった。狂気すら覚えるほど、莉子は本気だった。

 とてつもない異常性によって、秋乃の中で夢と現の境が曖昧になってゆく。秋乃がよく知る「現実」の輪郭が揺らいでゆく。

「すぐには無理でも、皆で乗り越えていかなくちゃ。秋乃だって、きっとそれを望んでるから」

 眩暈を感じながら、秋乃は覚束ない思考で一つの結論を見出した。

 莉子は――いや、現実この世界の人間は、今ここにいる秋乃と、死んだ秋乃を同一人物と認識出来ていない・・・・・・・・・・・・・のだ。

 ふと隣席を見ると、湊が無邪気に笑っていた。あたかも「大丈夫だっただろ?」とでも言いたげに。


 * *


 ブロック塀を難なく登り、ちらりと内側を見下ろすと、視界に一人の女性が映った。

「おーい! みやこさーん!」

 制服姿で忙しなく手を振りながら、女性の名を呼ぶ。自宅の庭掃除をしていたその女性は、すぐにこちらに気付き、優しげに目を細めた。

「こんにちは。湊君。でも、そんな所にいたら危ないでしょう。落ちて怪我でもしたら……」

「その時はその時だ!」

「もう……。それに、また伏見ふしみさんに怒られるわよ」

 伏見さんというのは、隣家のおっかないおじいさんである。

「その時もその時だ!」

「……わたしまで怒られるのよ?」

 若干眉尻を下げる都。しかし、本気で気分を害している訳でないのを、湊は知っている。

「なんだかんだで、湊君とも長い付き合いね。もう何年ぐらいになるかしら?」

「九年ぐらいだな!」

「あら、そんなに?」

「そんなにだ!」

 都は湊の返答を当たり前のように受け入れる一方で、九年もの間、湊の外見が全く変わっていないことに疑問を抱かない。認識出来ていない・・・・・・・・のだ。

「早いものね。時間が経つのは」

 都はどこか遠い目をして、昔を懐かしむように呟く。そんな彼女の一見穏やかな表情に、湊は間もなく違和感を覚えた。

「なんか今日、元気なくね?」

「……湊君には隠せないわね」

 都は認めた。やや俯き気味に箒とちり取りを片付けると、彼女は薄く微笑んだ。

 湊は声高に提案した。

「今日すげー暇だし、愚痴でも弱音でもなんでも聞くぞ!」

 都は微かに驚いた様子を見せるも、やがて小さく声を立てて笑った。少しは肩の荷が下りたのか、目元が柔らかくなっている。湊が覚えた違和感は、徐々に彼女の表情から消えつつあった。

「上がる?」

「ん? 良いのか?」

「良いわよ」

「じゃあ上がるぞ!」

「ちゃんと玄関から入って来てね」

「任せろ!」

 湊は回れ右をして地面に降り立つ。うっかりバッグを引っ掛けそうになったが、すんでのところで危機を脱した。

 ぱたぱたと門扉に駆け寄った時、ある物が視界の片隅に現れた。


 堂本都

   湊


 門扉の脇に取り付けられた表札。九年間、そのままになっている表札だ。

 湊はそれをほとんど見ることなく門扉をくぐると、早々と玄関のドアに手を掛けた。



【To be continued】

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