第8話 ちぐはぐな共存[其の弐]
「何があったって訳じゃないんだけどね。……急に思い出しちゃったの」
湊とテーブルに向かい合った都は、まず初めにそう告白した。
湊は出された茶菓子を遠慮知らずに貪る傍ら、都の現状を自分なりに解釈し、口を開いた。
「思い出し凹みってやつか!」
「何それ。初めて聞いたわ」
おかしそうに、くすくすと笑う都。
「けど……そうね。大体そんなところよ」
幸い的外れではなかったらしい。
「そうか! 話してみろ!」
「うん。分かった。でも、途中で嫌になったら言ってね」
「心配すんな!」
「……ありがとう」
都は自分の冷茶を少量飲み進め、ゆっくりと表情を消していった。
「息子につらい思いばかりさせてしまったこと、今でも後悔してるの」
視線をテーブルに落として、都は静かに話を始めた。既に菓子を完食していた湊は、飴の包み紙をなんとなく結び始めた。
「どうしたらあの子が幸せになれるか、親としてしてあげられることは何か。ずっとずっと、そればかり考えて生きてた。……でも、あの子はいなくなってしまった。わたしが守ってあげられなかったから」
都は回想に耽るように目を閉じて、湊に心の内を晒してゆく。
「あの子には笑顔でいて欲しかった。そのためならなんだってするし、人生でもなんでも捧げるつもりだった。それなのに……」
都の声が震え、湿り気を帯びる。表情が歪み始めた。泣いてはいないが、いつそうなっても不思議でない状態なのは明らかだ。
「わたしは、母親失格ね」
こう呟いたきり、都は沈黙した。
湊はこれを話の終わりと判断し、普段なら最小限の物しか入っていない自分のバッグを開けた。小さく膨らんだ手提げ用のビニール袋を黙々と取り出して、それを得意げな顔で都に手渡した。
「これやる!」
「え?」
半ば押し付けられる格好で袋を受け取った都は、一瞬困惑の素振りを見せるも、中身を知るなり目を瞬かせた。
「林檎……? 良いの? 湊君のでしょう?」
「気にすんな! これ食って元気出せ!」
「ありがとう……。湊君は優しいわね」
「まあな!」
歯を見せて笑う湊。感化されたように、都の顔に微笑が浮かぶ。
「それから……こんな情けない話を聞いてくれてありがとう」
「聞いただけだけどな!」
「ううん。充分よ。心が軽くなった」
「そうか!」
結構なことだ。心は軽い方が良いらしい。
空気が和らいだ気がしたところで、バッグの中のスマートフォンが鳴った。メールの通知音だ。湊は早々とスマートフォンを取り出し、メールに目を通すと、早々と立ち上がった。
「用事が出来た!」
「帰る?」
「帰る!」
答えた後で、まだグラスに手を付けていなかったことに気付き、湊は出された冷茶を一気飲みした。むせそうになったのは内緒だ。
「また来てね。湊君」
「また来るぞー!」
ブンブン手を振りながら、湊は急ぎ足で玄関へと走った。
門扉を抜け、外に出た。表札は見なかった。
* *
通学路の脇にある児童公園の前に、三十代半ばほどの男性が立っている。下校途中に見付けたその男性を、要は良く知っていた。
「
意識の外で男性の名を口にする。向こうもすぐにこちらに気付いた。
「要か。ちょっと久し振りだな」
近付いた要に、男性こと叶は気さくに声を掛けてきた。
公園内では、スモック姿の女の子が一人、可愛らしい螺旋状の滑り台で遊んでいる。要は女の子のことも知っていたが、女の子の方が要を覚えているかは微妙なところだった。
「いま走ってったとこ。止めても聞きやしねぇ」
苦笑する叶。彼もその奥さんも、あのわんぱく盛りの一人娘には常々手を焼いているらしい。
「子供は……年長だったな?」
「ああ。来年小学生になる」
叶は頷く。少しの空白を挟んだ後、彼は公園内を見詰めたまま言う。
「おれみたいな駄目人間でも、なんとかここまで来られたんだから、世の中分かんねぇもんだな」
「卑下する必要はない。立派にやっているじゃないか」
「そんな大層なもんじゃねぇよ」
「俺からすれば充分立派だよ」
要は本心しか言っていないのだが、叶は急に黙ってしまった。気に障ることでも言っただろうか。
見ると、叶は何やらためらっている様子だった。一度口を開いて、閉じる。また開いて、止まる。要は怪訝に思いつつ、叶の言葉を待った。
叶はいったん深呼吸をして、ようやく決心を付けたように言葉を発した。
「昔からそうだったら良かったんだけどな」
声は微かにくぐもっていた。続く叶の言葉は、概ね想像が付いた。
「そうだったら、兄貴は殺されなかったんだ」
要は叶の嘆きを黙って聞き届け、言った。
「ここでする話ではないな」
「あ」
指摘を受けて顔を青くした叶は、挙動不審に辺りを見回した。幸いにも、要たちの傍に人の姿はなかった。
変わらない叶の姿。それは時として、怒以外の感情が薄い要の心に影響を及ぼす。
「笑うんじゃねぇ」
不満を述べる叶は、若干悔しそうだ。要はここで初めて、自分の口元が緩んでいることに気付き、ほんのちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。
「ああ、済まない」
「ったく……」
そんな遣り取りをする内に、女の子がこちらへ駆けて来た。気が済んだようだ。
「パパー!」
「お帰り。満足か?」
「まんぞく!」
声高に返事をしながら叶に飛び付いた女の子の胸には、「さくらば かのん」の名札がある。
「叶」
「ん?」
「もう行くよ」
これ以上は野暮だ。要は二人に背を向けた。
「そうか。……またな。要」
「ああ、また」
一言で応じて、要は立ち去った。
帰宅のため、最寄りの
* *
今日一日でどっと疲れが出た。
秋乃は自分の意思で
しかし、今日の登校で自分が
「歪み」は秋乃が死に、契約者となる以前から始まり、増え続けていた。そして、これから先も絶えず増え続けるのだろう。「歪み」も「地獄送り」も。『青の鳥居』という異界がある限り、ずっと。
その異界へ帰る道中、スマートフォンが鳴り、秋乃は我が身を震わせた。
立ち止まってスマートフォンを確認すると、案の定、仕事の要請と内容が綴られたメールだった。
秋乃たちの本来の役目は、
それでも、誰かが地獄に送られる姿はもう見たくないから。湊たちを頼りながらも、今は数少ない「出来ること」をやるしかないのだ。
「おーい! 秋乃ー!」
「!」
憂鬱な気分で、スマートフォンに落としたままでいた視線を持ち上げると、横断歩道を挟んだ向かいの歩道で、湊が呑気な顔をして手を振っていた。その隣には要の姿もある。
秋乃は生唾を飲んだ。怖い。でも、行かなければならない。青に変わったばかりの信号を見て、間もなく湊たちと合流した。
「早いとこ行くぞー!」
湊の声色に緊張感はない。彼の思考を理解出来るようになるのは、まだ当分先になりそうだ。
秋乃はしかと頷き、歩き出した二人の背を追い掛けて行った。
【To be continued】
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