第3章 人を見て法を説け

第16話 踏み出す一歩[其の壱]

 この日の籠鳥ろうちょう大学附属高等学校の食堂は、どういう訳か、いつも以上に人でごった返していた。

 早瀬秋乃はやせあきの桜庭要さくらばかなめは、からがら確保したテーブルに着いて待機していた。共通の友人である堂本湊どうもとみなとが、少し遅れて来るためだ。

 クラス委員の関係らしいが、時間は掛からないとのことなので、秋乃も要も、それぞれ購入したナポリタンと牛丼には、まだ手を付けていない。

 秋乃はスマートフォンの画面を眺めながら、無表情のまま沈黙していた。眺めているのは、アプリでもなんでもない。ただのホーム画面だ。

 これは気晴らし・・・・に何かしようとして、結局何も思い浮かばなかった結果だ。現状、秋乃の心境は良好ではない。

 席に着いて以来、ここまで無言だった秋乃と要の間に、再び会話が生じた。切っ掛けは要だった。

「どうやって『修復』するつもりだ?」

 淡々とした問い。なんのことを言っているかは明らかだ。同時にそれは、秋乃が気晴らしを図った動機でもある。

 スマートフォンを置き、秋乃は静かに答えた。

「分かりません。今は・・

 秋乃の答えに、要は若干怪訝な表情をしつつも、視線で言葉の続きを促してきた。

「だから――わたしは、これからも湊と一緒にいます。友達でいます。そうしていれば、何か見えてくる・・・・・かも知れないから」

 説明した。漠然としているのは承知の上だ。

 短い空白の後、要が自分なりの解釈を口にする。

「まずは堂本あいてを知る、というわけか」

「はい」

 要の解釈は的を射ている。秋乃は頷いた。

「分かった。協力する」

「え?」

 思ってもみなかった要の言葉は、秋乃の憂いのほとんどをひっくり返した。

 秋乃が訪ねるより早く、要は先述の結論に至った理由を述べた。

「『友達は助けるもの』なんだろう?」

「あ……」

 以前、要を助けた湊が告げた持論だ。

「と言っても、堂本自身が助けを望んでいるかは不明だが」

「……ええ。それも含めて、知りたいと思ってます」

 湊を助けたいのは、飽くまで秋乃のエゴだ。藪蛇になるリスクがある以上、下手な干渉は避ける必要がある。地道で、長い作業になる。

 手探り状態には、常に不安が付き纏う。秋乃もまた、不安を抱えていた。

「よっ! 待たせたな!」

 聞き慣れた大きな声。待ち人が現れたのだ。

 チキン南蛮定食を手にやって来た湊は、秋乃たちとテーブルを囲むと、よほど定食が楽しみなのか、いそいそと割り箸に手を伸ばした。

 そんな湊の動きがぴたりと止まる。彼の視線は、まっすぐにこちらを捉えている。

「ん? どしたー?」

「え、えっと」

 失礼ながら、湊を少々見くびっていたようだ。

 湊は無垢な表情を維持したまま、秋乃や要の間に漂う、普段と違った空気を疑問視している。秋乃は焦燥から、速やかな反応をし損ねた。

「今日は『顔合わせ』の日……だったわね」

 慌てて引っ張り出した言葉がこれだ。事実ではあるものの、つい誤魔化しに使ってしまったのは、少し申し訳なく思う。

「今日だな! やっと五人揃うぞ!」

 幸い、悟られはしなかった。湊は間もなく、いつもの調子を取り戻してくれた。

 秋乃たちは基本的に三人で仕事をするが、三人斑ではない。実際はあと二人メンバーがいる。その二人こそが、班長と副班長だ。

 同じ現場で仕事をする機会がなかったのは、主な活動時間が異なるためだ。秋乃たちは夕方以降、残りの二人は日中に活動している。

 湊は以前から二人の斑に所属しており、とうに親しい間柄だという。要の方も、訳あって一度だけ二人に会ったそうだ。そんな背景もあり、今日の『顔合わせ』は、ほとんど秋乃のためのものと言える。

「二人ともすげー良い奴なんだ! 楽しみにしとけよ!」

「うん。そうする」

 秋乃は意識して微笑を浮かべ、そう応じた。

 顔合わせの話は、ここでいったん終わったと思っていたが、秋乃の予想は外れた。

「あ! 言い忘れてたけど、オレは顔合わせの前に母さんのとこ寄るから! 秋乃と要は先に行っててくれ!」

 湊が初めて口にした、自らの事情。家族のこと。秋乃は一瞬、言葉を忘れた。

「……お母さん? 湊の?」

「おう! 本当は身代わりになった相手・・・・・・・・・・とは、あんまり会わない方が良いらしいけどな!」

 さらっとした声で発せられた情報・・に、秋乃は言葉を詰まらせた。

 意図せず手に入ったこの情報は、当の湊からすれば、きっと隠すつもりも必要もない、ただそこにある事実に過ぎないのだろう。

 しかし、秋乃が始めた『修復』作業は、確実に前進した。たとえ些細な一歩でしかなくても、意義は充分にある。

 非推奨と知りつつ、それでも会いに行かずにはいられない。湊にとって母親という存在は、命を捧げるに足るほど大きいのだ。

 ふと、要の方を見る。

 要は目を伏せて沈黙している。秋乃には想像が付かないが、思うところがあるのかも知れない。

 再び湊を見る。いつも通りだ。

 秋乃は考える。この心が壊れた少年のために、自分に出来ることはあるか。すべきことはあるか。

 少年が何を想い、何を望むのか。


 * *


 母――みやこが暮らす堂本家にやって来た湊は、到着して早々、線香の匂いを嗅いだ。都が長年使っている桜の香り。匂いの発生源は分かる。リビングの隣にある和室だ。

 湊は忍び足で迂回し、和室の窓をそっと覗き込んだ。障子は開いていて、中の様子は一目で知れた。

 こちらに背を向け、畳の上に座っている都。彼女は今、仏壇・・と向かい合っていた。

 湊は、そんな都の後ろ姿を眺めていた。じっと眺めていた。

 やがて、都が伏せ気味だった顔を上げた。仏壇に添えられた遺影を見上げているようだ。

 都が見上げる先。遺影の中にいる人物を、湊はよく知っている。

「ごめんね……湊……」

 都が声を震わせる。

 湊は回れ右をすると、もと来た道を引き返した。



【To be continued】

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