第3話 死者と生者の邂逅[其の参]
秋乃は暗闇の中に立っていた。
ここがどこなのか。自分が何故ここにいるのか。――自分がどうなったのか。何一つ分からない。
静寂と沈黙、暗闇。色濃い闇が全身にのしかかってくるかのようだ。
しかし、この暗闇には綻びもある。目が暗闇に慣れていくに連れ、徐々に確信するに至った。ここが
いわゆる現実世界に幾らでも存在する、なんの変哲もないごく普通の洞窟。自分がどうして洞窟に立っているのかはさておき、どうやって来たのかもさておき、別に恐れる必要はない。ここはしょせん現実世界の一部に過ぎず、俗に言う異界の類
「目覚めたかい?」
「きゃああああっ!」
真横から男の声がして、秋乃は悲鳴を上げた。
「至近距離で絶叫するのはやめて貰えるかな? 耳がキンキンするからね」
隣にいたのは鉄だった。狐の面のせいで顔はほとんど見えないものの、口元が微妙にへの字になっているのだけは分かった。
「ご、ごめんなさい。あの……ここは一体?」
「ここは『青の鳥居』の中さ」
「『青の鳥居』?」
「俗に言う異界の類だね。おっと、まだ気絶してはいけないよ。背負って歩くのは面倒だからね」
言葉通り面倒臭そうに言い、肩を竦める鉄。
「君はお化け屋敷に入れないクチかな?」
「無理です。死にます」
「もう死んでいるがね」
「え」
「後ろを見てみると良い」
言われるがままに背後を見る。目を凝らす。何かある。ややあって、秋乃はその正体に気付いた。
「……青い鳥居?」
「そう。いわゆる現実世界と
現実世界。秋乃が雪乃の代わりに死んだ世界。すなわち――雪乃が生き返った世界。
迷う理由はなかった。生きている雪乃の姿を見られるのなら、最期に見ておきたい。秋乃はそう考えた。きっと、今までに鉄と契約した誰もがそのように考え、実行した筈だ。
秋乃はゆっくりと回れ右をして、鳥居の入口――現実世界へ歩いた。
程なくして入口に立った秋乃は、外を覗き込むなり目を見開いた。
秋乃が契約し、意識を失ったあの時から、世界の時間はほとんど進んでいなかった。あの時と違うのは、時間の停止が解除されていることだ。
人間が動き、各々の立場に応じた言動を続けている。パトライトが忙しなく回り、木の葉が風に舞っている。何もかもが正常に動いている。故に――
「あれは……わたし?」
「君がいた世界の現状さ」
「これが……」
目の奥に熱を感じた。そこでようやく、秋乃は自分が泣いていることに気付いた。
「わたし、ほんとに死んじゃったんですね……」
「選んだのは君だろう?」
「分かってます。けど、まだ受け入れられない自分がいるんです。死にたかった訳ではないので」
「なるほど。まあ、じきに慣れるさ」
そう言って、鉄は歩き出す。異界――『青の鳥居』の奥へと。
後ろ髪を引かれながらも、秋乃は鉄に続いた。視界は涙でぼやけていたものの、鉄の姿だけはどうにか見失わずに済んだ。
涙は時間の経過と共に落ち着いてくれたものの、それでもなお、先ほどの雪乃の泣き顔が頭から離れない。
「ストップ」
「!」
自失状態だった秋乃の意識を引き戻したのは、やはり鉄の穏やかな声だ。
いつの間にか開けた場所まで来ていた。
秋乃は恐る恐る前方を見て、絶句した。自分が想像していた異界とは似ても似つかない光景が、そこに広がっていたのだ。
「ここは契約者たちの拠点にして理想郷。……見た目はただの地方都市だがね」
「理想郷?」
「理想郷さ」
鉄はそれ以上は何も言わなかった。
* *
「当分はこの寮で暮らすと良い」
秋乃がまず案内されたのは、中心街から外れた高台に佇む『
麓の街に留まらず、遠方の海まで見渡せるらしいこの寮の外観は、寮というよりもマンションに近い気がした。見る限り、一棟でもなさそうだ。しかし、そこは余り重要ではない。問題は全く別のところにある。
「あのー……」
「なんだね?」
「わたし、寮に入るお金なんて持ってないです」
間。
「ちょ、なんで笑うんですか!」
「失敬」
吹き出した鉄に文句を言うも、彼はまだ笑っている。
「君は野宿でもするつもりだったのかい?」
「で、でも、タダで住むなんて……!」
「もちろんタダではないよ。君の給料から差し引かせて貰う」
「え?」
認識をひっくり返されたのは、ここに来てもう何度目になるだろう。
「お給料、貰えるんですか?」
間。
「だから、なんで笑うんですか!」
再び文句を言うも、鉄はまだ笑っている。
「君はボランティアでもするつもりだったのかい? 命懸けのボランティアとは、なかなか興味深い」
「想像してた異界とだいぶ違っててびっくりしただけです!」
「異界といっても、いろいろあるからねぇ」
この
「早瀬早瀬早瀬早瀬!」
「ひっ!」
大声と一緒に猪の如く突進して来たのは、言うまでもなく湊である。
心臓が飛び出すかと思うほど驚いている秋乃に構わず、湊は普段同様、常軌を逸した無垢な顔で発言した。
「なんだよ! お前もこっち来てたのかよ! 先に言えよな!」
「いま来たばっかなんだけど……」
「そうか!」
湊はいつかのようにポンと手を打つと、ほんの少しだけ大人しくなった。どうせ束の間だろうが、秋乃は若干安堵した。
「……来ちまったんだな」
「?」
ぼそっと呟いた湊の表情は、どことなくいつもと違っていた。――気がする。秋乃が確信を持てなかったのは、その前に湊が元に戻ってしまったためだ。
「気にすんな! 独り言ってやつだ!」
秋乃は釈然としなかったが、鉄が『仕切り直し』をしたことで、この件は有耶無耶になった。
「では――最後に、君の武器を用意しようか」
「……武器……」
その二文字に秋乃は戦慄した。
覚悟は済ませた、つもりだった。だが、改めて
そうだ。自分も武器を手にしなくてはならない。湊のように。『悪い死者』を地獄に送るために。――殺すために。そしてそれには、反撃されて自分が倒れるリスクが付き纏うのだ。
「秋乃! そんな顔すんなって! 戦うだけが仕事じゃねーんだから!」
湊の声色はいつもながら呑気だが、台詞の中には聞き流せないものが含まれていた。
「ま、すぐ分かるって! たぶん!」
「たぶんって……」
詳細を聞きたかったのに、曖昧に打ち切られてしまった。そこへ、鉄の声が再び割り込んだ。
「武器は
「え? わたしの中? 願う? 魂?」
こちらの認識をひっくり返す情報を次から次へと押し付けられ、秋乃は大いに困惑したが、湊も鉄も何も説明してくれないので、仕方なくやってみることにした。半ば以上はやけくそだ。
武器をください。目を閉じて、無難な言葉を添えて願った。結果は拍子抜けするほどあっさり出た。
瞼越しにも分かる眩い光。はっと目を開けると、光に覆われた
黒い革紐に赤い石を通したペンダント。
「ほう。なかなか粋じゃないか。……この石はガーネットかな?」
「がーねっとってなんだー?」
「宝石の一つさ。これ場合はパワーストーンと呼んだ方がしっくり来るがね」
「なんか強そうだな!」
好き勝手に感想を述べる二人を脇に、秋乃は予想の斜め上を行く『武器』を見下ろす。
これは自室に保管していた
その時、着信音か何かとおぼしきクラシック音楽が耳に届いた。秋乃のものではない。失礼ながら、湊のものでもないだろう。
鉄が懐から青いスマートフォンを取り出す。彼は掛かって来た電話の相手と幾つかやり取りを交わした後、秋乃と湊をゆっくりと見回した。
「済まないね。さっそく
【To be continued】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます