第1章 捧げ者
第1話 死者と生者の邂逅[其の壱]
「
「うん。いこ。
二〇二四年四月。自他共に認める仲良し姉妹は、入学式当日も一緒に自宅を出て、新たな通学先へと並行していた。
学校は自宅からだと自転車がいるかいらないか程度の微妙な位置にあるのだが、二人は運動のためというよくある理由で徒歩を選択した。
今日で高校生になる秋乃と、大学生になる雪乃。三つ違いの姉妹の目的地である
雪乃と共に、秋乃は先述の建物の前に立つ。
時代を逆走するような教員が未だに多く勤務し、堅苦しい校則はお気持ち程度にしか更新されていない。ついでに、偏差値も低くはない。ゆるゆるまったり過ごしたい子には不向きな学校だろう。
「緊張する?」
「んー、どうだろ」
正直、自分でも分からない。確かに環境は変わったが、結局自分のすることは変わらないのだ。少人数の友達が出来て、ある程度の成績が取れればそれで良い。中学時代と同様の生活が理想だ。
「ま、同じ敷地内にはいる訳だし。なんかあったら言いなさいよ?」
「もう。子供じゃないんだから」
「そうは言ってもねぇ。あんた、しっかりしてるようでしてないじゃん」
「う……」
長年秋乃を見てきた実姉に容赦なく核心を突かれて、秋乃は肩を落とした。
若干の睡魔との戦いを乗り切り、割り当てられた一年B組の教室にやって来た秋乃は、早々に「理想の学校生活」を揺るがされる羽目になった。
「お前、見ねー顔だな! どっから来たんだ?」
席に着くが早いか、隣の男子生徒に直球かつ必要性の見出せない質問を受けた。一片の曇りもないクリアな目をした男子生徒の大声に、泡を食った顔が一斉にこちらを振り向き、秋乃はこの男子生徒と共に嬉しくない意味で注目の的となった。
「え……。ずっとこの辺に住んでるけど」
「そうか!」
「あなたこそ、急にどうしたの?」
「オレは寮から来たぞ!」
「いや、そんなこと聞いてないから!」
無闇に目立たないよう、当たり障りのない対応を試みたが、大声で発せられた見当違いの返答に、あっさり素が出てしまった。
「いきなりでかい声出すなよ! 皆びっくりするだろ!」
「あんたにだけは言われたくないんだけど!?」
悪気も計算も窺えない純真無垢な満面の笑み。これはあれだ。単に話が通じないタイプだ。一刻も早く話を打ち切る必要がある。
「あんたとわたしは初対面! 中学も住んでる場所も違う! 見ない顔なのは当たり前!」
「なるほど! 上手いこと言うな!」
「馬鹿なの!?」
疲れた。早退出来ればどんなに嬉しいか。
秋乃は男子生徒の台詞が途切れた隙を見て深呼吸をし、不本意に興奮した自分を宥めた。
「……あのさ。お願いがあるんだけど」
「良いぞ! なんでも言え!」
「ちょっと黙ってくれない?」
冷静に、冷静に。自分に言って聞かせながら心底からの望みを口にした。
秋乃の想定通り、男子生徒はピンときていない様子で、見事な癖毛を揺らしつつ首を傾げた。
「なんでだ?」
「疲れるから」
「そうか!」
意外にもすんなり納得してくれた。男子生徒はポンと手を打つと、バッグから取り出したスマートフォンでRPGを開始した。無言。一言もない。
男子生徒が弾切れのマシンガンの如く大人しくなったことにより、教室にようやく静寂が戻った。しかし、まだ大半の生徒は引きつった顔をしている。
とにかく、ひとまずは嵐が去ったので、秋乃はほっと胸を撫で下ろした。先が思いやられるのは説明するまでもないが、今この瞬間くらいは平和を噛み締めても許されるだろう。この男子生徒との今後の付き合いはその都度考えるとしよう。
秋乃がそう考えていたら、静かにしていた男子生徒が不意に手を止めた。くるりとこちらを振り向いた彼は、あの純真無垢な目をして口を開いた。
「オレ、
「わたしの話、聞いてた!?」
秋乃の安堵はものの見事に一刻だった。
再び泡を食う一同。無論、男子生徒こと湊は気にしていない。
「聞いてたぞ! 黙って欲しいんだよな!」
「じゃあ、なんでそうしないの!」
「自己紹介は別腹だ!」
「別腹の意味知ってる!?」
既に枯れそうな喉を駆使した秋乃の叫びが、一年B組の教室に木霊した。
* *
入学から二ヶ月ほどが経った。秋乃は相変わらず湊に振り回されている。
秋乃と湊の存在は、既に学年中どころか一部の上級生にも知れ渡ってしまっている。こんな筈ではなかったのに。極力目立ちたくはなかったのに。
今や下校時間が一番の癒やしという有様だ。よりにもよってとんでもない人間と隣席になってしまったと、己の不運を嘆くばかりだ。
「はぁー……」
湊の顔を思い出しては溜息を吐く日々。いつになれば終わりが来るのだろうか。
現在進行系で癒やしの時を過ごしていた秋乃は、すっかり
頭上から何かが落ちて来た。
容量のギリギリまで水を張ったバケツをひっくり返したみたいな、水滴の域を凌駕した水。
意図的に秋乃を狙ったように降った水は、秋乃の体と、ブラウンを基調とした制服を
自分の身に何が起きたのか。分からないまま頭上の巨木を見上げようとした時だった。記憶にない類の重音と、生々しい水音が足元で聞こえた。
落ちて来たものを見下ろし――秋乃は絶叫した。
二度目の重音。その正体を秋乃は見ない。見るまでもない。見たくない。これ以上見たらおかしくなってしまう。
「お前が悪いんだ……全部、お前のせいなんだ……」
そんな声。笑っているような、泣いているような複雑な響きだった。
秋乃の視界に、人の足が入り込んだ。こちらは生きた人間のものだと知れた。見たくない筈なのに、秋乃の視線はそちらへ動いていた。
そこにいたのは、見知らぬ青年だった。血塗れの大斧を片手に、
もう声も出せず、立ち上がることさえ出来ない。胃の中も空っぽで、どうすることも出来ない。秋乃はただ座り込んだまま怯え、えづき、絶望した。
けれど、秋乃の絶望はまだ終わらなかった。
直後、青年の頭部が
奇跡的に繋ぎ止めていた意識が遠のいた頃、誰かが言った。
「
「……!」
秋乃は肩を震わせ、息を呑んだ。自分はこの声を知っている。嫌というほど知っている。
青白い顔を上げる。目の前に立っていたのは。
「
湊だった。場違いにきょとんとした表情を秋乃に向け、
「こんなとこで会うなんて、奇遇だな!」
学校と変わらない、曇りのない無垢な笑みを浮かべて、湊は秋乃にそう話し掛けた。
【To be continued】
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