第17話 患いのリズム

 昼飯を食べた後の午後の授業というものは辛いものだ。理由は言わずもがな、飯を食ったことで血糖値が上がってしまったから。

 脳みそが体に向かって強制的に眠れと言ってくるのに、教師は生徒に向かって強制的に起きろと言う。誰がこれを拷問でないと証明することができるのか? ……いや、誰もできないな。断言できるぞ。


 脳みその命令と教師の命令どちらがより大事なのか? 人によって意見が分かれる話だろうが、この場合俺が取る選択というものは決まっている。

 いや、決める以前の問題かもしれない。なぜなら選ぶ前に行動に移しているからだ――。


 コテン。

 バシンっ。




 放課後のチャイムが鳴り響く夕方。


「あぁ……今日も授業が終わった。あと数日で夏休みとは言え、それまで真面目な学生を演じなきゃならないのはやっぱり辛いなぁ」


「真面目、ねぇ……。つかぬ事を聞くけど、君は授業中に夢を見る学生をどう思う?」


「夢があるっていいじゃないか。夢の持ち方は授業じゃ教えてくれないぞ、自分で見つけていくしかないんだ」


「…………ふぅ」


 呆れる崇吾をよそに、帰り支度を始める俺。授業が終わったら即帰宅……これも帰宅部の特権だ。このクソ熱い中スポーツに精を出すなんて、俺にはとても出来ない。


「じゃあな崇吾、また明日」


「あ、うん。またね良くん」


 俺は鞄を引っ掴むと教室を飛び出した。目指すは校門だ!

 ……いや、まあちょっと早歩きで廊下を進んでいるだけだが。



 そんな中、玄関への曲がり角へと差し掛かった時の事だ。俺は不覚にも誰かとぶつかってしまった。危ないなぁ。

 胸元にすっぽりと収まってしまったその人物へと話しかける。もちろんお互いの注意不足について言わなければならないからだ。だって危ない。


「おいおい、俺も悪かったけどそちらさんももう少し先を予想してだな。だろう、じゃなくて、かもしれないで行動……を゛!!?」


「…………ん」


 なんてことだ! 俺の胸元に飛び出してきた人物は元カノだった。

 その小柄で華奢な体、ショートボブの黒い髪にこちらの顔を見る黒曜石のような瞳。

 間違いない、元彼女のちかりだ!


「あ、ああ……」


「……」


 俺の体は雷にでも打たれたかのようにしびれて動かなくなった。当然、そのあまりに突然の出来事に脳がショートしてしまったからだ。だというのに心臓だけはバクバクと動く自分の体が分からない。


「ん、心臓の音」


「お、音?」


「大きい……」


 決して声が大きいわけではないのに妙に透き通って俺の耳へと届く。ちかりの声の特徴か? 将又俺の耳性能が人より高いのか? その真相は分からない。が、一つ言えることは俺の体がまだ動かないことだ。


 いや動かないじゃないんだよ、動かせ間抜けの俺! いや俺は間抜けじゃない! はず!!


「ぐ、ぐぅうう……」


 だが残念なことにかろうじて動くのが口だけだった。誰が俺を口だけ野郎でないと証明することができるのか? それは俺自身が証明しなければならないことだ。だ!!


「心臓、うるさい」


「そ、それはお前……っ!」


「不整脈?」


「なわけねぇだろ!!」


 動悸が激しいからといってもそれはこの状況がさせることであり、俺は健康優良児だ!


 言いたいことだけ言って、ちかりは俺の胸に顔を埋め数秒。パッと離れる。


「ばいばい」


 それだけ言うと何事もなかったかのように去って行ってしまった。


「な、何だったんだ一体? ……いかんいかん。別れた女にいつまでも翻弄されるなんて、これは恥だぜ」


 身を震わせ、頭を振るい、気を引き締める。

 終わった女は終わった女、前を向いて新しく生きなきゃならないんだよ。過去の恋愛を振り返る年じゃないぞ俺。


 ……でも、相変わらずいい匂いがして――。


「って、何考えてるんだ俺は! 馬鹿か!?」


 またも首を振り、気を引き締める。

 ……でも、抱きしめ甲斐があったなぁ。いや、俺ってやつは……。


 バシっ!


「よし!」


 両頬を叩き気合を入れ直すと、今度こそ帰路につくのだった。


 ……が、柔らかかったなとか考えてしまう。


 バシっ!


 ◇◇◇


 崇吾がその光景を目撃したのは偶然のことだった。

 教室を出て、廊下を歩くその先に妙なポーズで固まる親友の姿を見た。


(何をやってるんだろう?)


 気になって観察をしていると、良介から飛び出してくる制服の少女の姿。

 重なっていた、いや抱きついていたとでも言うのだろうか。


 その小柄な――おそらく自身と変わらない――少女の去っていく後ろ姿、その合間にちらりと見えた顔を見て、崇吾は言いようもない……強いて例えるならば戦慄に近いものを感じとる。


 そう、決してポジティブな感覚では無かった。戦慄、と単にそう片付けていいのかもわからない何か。


(何を馬鹿な)


 崇吾の脳には一つの言葉が残った。

 しかし、その思い浮かんだ考えを小さく振り払う。一目見かけただけで思う事ではない、それは失礼以外の無いものでもないはずだからだ。


 ――もし、得体の知れないものが姿を持ったならば、あんな感じなのかもしれない……。


 取り消そうとする崇吾の胸に不安、心臓が掛けるリズムは不正に早まっていく。

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